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2019年7月22日 (月)

「学童の昼食の献立は毎日同じでいい」~初めてのスマホでの料理

先日の朝日新聞にこんな記事があった。その抜粋である。

「(フォーラム)夏休み、学童の昼食
 全国のほとんどの小学校で、夏休みが始まります。今春、小学校に入学した娘は夏休みの間、毎日学童保育に通うことになります。保育園時代と大きく異なるのは、毎朝「お弁当」を用意する必要があることです。早起きして作らなければならない上、夏場は食中毒も心配です。ほとんどの学童は弁当の持参を求めていますが、学童の昼食はどうあるべきなのでしょう。

・・・・・・・
■「母が手作り」、社会の重圧 翻訳家・佐光紀子さん
 特に母親が弁当作りをつらいと思う理由について、「『家事のしすぎ』が日本を滅ぼす」を著した翻訳家の佐光(さこう)紀子さん(57)は、「母親が手作りをしなければならないという刷り込みや社会のプレッシャーがあるからだ」と指摘します。
 高度成長期、優秀な労働力を育てることが、企業戦士の妻の仕事とされ、母親が子どもの食生活の責任も負うようになりました。さらに、2006年に始まった国の「早寝早起き朝ごはん運動」で、「朝食を食べた子の成績が良い」などと情報発信されていることもプレッシャーになっているとみています。
 フランスに5年間留学していた佐光さんの長女真結子さん(22)によると、フランスでは昼食時間が長いため、食堂で食べることが多く、親が作った弁当を持っていくという考え方がないそうです。「何を食べるか、誰が作ったかより、食事中のコミュニケーションが大切にされている」
 佐光さんは「学童保育では、異年齢の友達と一緒に食べられるという良さがある。親に作らせるばかりでなく、冷凍ピザを解凍して、みんなで食べる日などがあってもいいのでは」と話します。

■献立、毎日同じでいい 料理研究家・土井善晴さん
 毎日のお弁当作りは大変。そう思わずに続けるにはどうすればいいのか。料理研究家の土井善晴さんに聞きました。
     ◇
 料理は本来、自分でやろうと思えば誰でもできることです。でも、みなさん、「できない理由」をたくさん並べる。その「理由」をなくしたいと思って書いた本が、「一汁一菜でよいという提案」でした。
 献立作りのために、メインのおかず作りから考えると、「大変だ」となってしまう。でも、そんなことは必要ないんです。料理は「できることをする」というシンプルなものなのですから。
 お弁当作りも、品数が愛情ではありません。おにぎりだけでもいいじゃないですか。おかずは、卵焼きや竹輪など簡単なものを入れるだけでもいい。毎日同じものを、頻繁に繰り返す。それでいいのです。「キャラ弁」作りは、自己満足のためなら、意味がありません。
 貧しいことも、働いていて時間がなく凝ったものを作れないことも、子どもにちゃんと説明すれば、子どもは全て理解します。できることを一生懸命すればいい。一生懸命したことは絶対に子どもに伝わります。
 ある日の弁当にトマトが入っていなかったからといって、子どもはいつまで覚えているでしょうか。親が子どもに作る料理で大事なのは、子どもを人間たらしめることです。その方法や内容ではありません。
 料理がなぜ、つらくなってしまうのか。問題の本質は、女性にあるのではありません。もしかすると、身近な男の人に課題があるのかもしれません。料理を作る人たちが踏ん張っていることに、社会が敬意を払うことも必要でしょう。
 今あるものを食べる。今あるもので何とかする。無理をしてまで、それ以上のことをする必要はありません。(聞き手・杉原里美)」(2019/07/21付「朝日新聞」p7より)

年金生活者の我が家では、学童など縁が無いが、毎日の料理、献立の話となると、少し興味を持ってしまう。

先日のカミさんの一週間の不在を機に、家事の見習いをしたが、分かったことは、料理・献立作りがものすごく大変だ、ということ。
愛犬・メイ子の餌やり、オシッコシートの取り替えなどは、習慣になれば直ぐに慣れる。(まあ、エサの前のクスリやりは、毎回手間取ってはいるが・・・)
掃除、洗濯や、炊事の後片付けなどは、たぶんカミさんが不在の時、誰でも出来ると思う。しかし、毎日3回の食事の準備となると、これは大変なことだと悟った。

上の記事で、学童の母親は、毎日の弁当作りに追われるという。そもそも共働きの家庭なので、母親に時間があるわけでも無く、友だちと比較する我が子のリクエストは、過酷なプレッシャーだろう。
それを上の識者は、力むな、と説く。

こんな記事を読むまでも無く、家事、育児は大変な重労働。
いや、実は自分も、現役のときは、「自分は外で仕事をして給料を稼いでいるのだから、家事や育児は奥さんが100%やって当然」と思っていた。
しかし、その家事を少しやってみると、それは大いなる間違いではないかと思うようになった。

昨日も、カミさんとランチに近くのイトーヨーカドーに行ったのだが、入った大戸屋の別の席で、赤ちゃんが大泣き。しばらくして、ママが赤ちゃんを抱いて店の外に出て行った。
カミさんに聞くと、やはり自分の子育て時代、デパートの食堂で待っているときに長男が大泣きし、店の人から「出て行って下さい」と言われたミジメな経験があったという。
その時に、亭主で無くても、おばあちゃんのような応援する人がいればまだ救われる。
しかし、シングルマザーなど、孤立無援の人にとって、毎日の食事など子育ては大変なこと。両親が居ても、亭主がそれに理解を示してくれればまだ良いが、自分のように、それが当然と思っている家庭は、母親は浮かばれない。
最近、そんな事を感じている・・・。

そもそも、なぜ人は3度も食わなければいけないのか、とも思う。しかし、時間が経つと腹は減る。何より、人間に飼われている以外の動物は、ただただエサを探して食うことだけに専念して生きている一生。種の保存のために・・・

話は飛ぶが、昨夜は、カミさんに“ヨッコイショ”されて、初めてスマホ片手での料理にチャレンジしてみた。
先日、庭木の剪定を頼んだのだが、そのオジサンが持ってきてくれた朝畑で採れたというナスとピーマンを利用して作る料理だ。カミさんが、今は昔と違ってスマホでレシピが動画で載っている、というのでググってみた。すると「なすとピーマンの油味噌」(ここ)という動画が見付かった。
190722ryouri 他にも色々あったが、短縮された動画で、素人には良く分からない。それで、手順を丁寧に解説したこの動画にした。
動画を少しずつ再生しながら進める。ナスとピーマンを動画通りにカット。味噌や砂糖などを、載っている通りに用意。強火でナスを炒めろという。ここで困った。どの位炒めるのか、程度が分からない。自分はナスの固いのはキライなので、充分に炒めていたら、焦げてしまった。それに、後から加えたピーマンの炒め時間も分からない。
まあ作ってはみたが、焦げ焦げのナスになってしまった。
案の定、カミさんは「おいしい」を連発。そんなこと食べる前から言うことは分かっていた。マズイと言った途端に、二度と自分が料理をしなくなってしまうのが分かっているから。でも調味料の分量は守ったので、味はまあまあか・・・

有史以来、家族の食うことを担ってきた女性に、最近敬意を持つ自分である。

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