三橋美智也の「古城」
シニア世代以外は、たぶんこの歌を知らないだろう。しかし、この歌は、30万枚の大ヒット。三橋美智也の「古城」である。
<三橋美智也の「古城」>
「古城」
作詞:高橋掬太郎
作曲:細川潤一
松風騒ぐ 丘の上
古城よ独り 何偲ぶ
栄華の夢を 胸に追い
あゝ 仰げば侘びし 天守閣
崩れしままの 石垣に
哀れを誘う 病葉や
矢弾のあとの ここかしこ
あゝ 住古を語る 大手門
甍は青く 苔むして
古城よ独り 何偲ぶ
たたずみおれば 身にしみて
あゝ 空ゆく雁の 声かなし
この歌は、1959年(昭和34年)7月にリリースされた三橋美智也のシングルで、バックコーラスはヴォーチェ・アンジェリカが受け持っていたことは(ここ)に書いた。
Netでこの歌についてググっていたら、この歌は三橋美智也の最大のヒット曲だったという。(ここ)によると・・・
1位「古城」300万枚
2位「リンゴ村から」「星屑の町」270万枚
4位「哀愁列車」250万枚
5位「夕焼けとんび」「達者でナ」220万枚
7位「おんな船頭唄」「母恋吹雪」200万枚
9位「あの娘が泣いてる波止場」180万枚
10位「お花ちゃん」「一本刀土俵入り」「赤い夕陽の故郷」「武田節」「石狩川悲歌」150万枚
15位「男涙の子守唄」120万枚
16位「あゝ新撰組」「おさげと花と地蔵さんと」110万枚
18位「おさらば東京」100万枚
三橋美智也の歌謡曲におけるミリオンセラーが18曲。当時、三橋美智也がいかに一世を風靡していたかが分かる。当時の大歌手だった。
(ここ)に、三橋美智也の最期を看取った、マネージャーだった二條弘子さんのこの歌についてのエピソードがあったので、転載してみる。
「三橋美智也の人気の、その頂点で放ったのが「古城」(34年7月)でした。
歌謡曲史上に残るこの名曲は、和田寿三デイテクターが「三橋の代表作として永久に残るような、格調高く気品のある曲を作りたい」と考えてプロデユースなさったものです。
作詞の高橋掬太郎先生も作曲の細川潤一先生も非常に苦労した末に完成した力作で、譜面を見た瞬間、先生(三橋美智也)は、そのスケールの大きさに圧倒されたそうです。
松風騒ぐ 丘の上
古城よ独り 何偲ぶ
「いったいどう歌えばいいのか、悩みに悩んだよ。それまでの自分の歌い方ではこの作品に負けてしまうと思ったからね。結局は、僕の持ち味だった民謡調のコブシなどは極力抑えて、メロデイどおりにていねいに歌うしかないだろう、と腹をきめたんだ」と、先生。
テクニックでこなしてしまうのではなく、スケール感にはスケール感で
真正面からぶつかってみようと、決めたわけです。
仕上がりは和田デイレクターの狙い通りで、売り上げ三百万枚は先生の長い歌手生活中最大のヒットとなりました。
またショーといえば、オープニングは「哀愁列車」締めくくりの一曲は「古城」というふうに決まってしまったのですから、「永久に残る代表作」という狙いもみごとに達成されたことになります。」(二條弘子著「三橋美智也の遺言」p105ここより)
ステレオの再録盤も聞いてみよう。
<三橋美智也の「古城」(ステレオ)>
この歌の音源は、この二つだと思っていたら、YOUTUBEに1961年録音のステレオ盤がアップされていた。この音源は聞いたことが無かった。
<三橋美智也の「古城」(1961年)>
三橋美智也は声域が高い。民謡でならしただけあって、その声の伸びは素晴らしい。
思い出すに、親父が三橋美智也が好きだった。もう23年も前に亡くなったが、こんな歌を聞いていると、いまだに仲の悪かった親父を思い出す。
自分もトシである。
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コメント
イイ歌ですよね。
投稿: tamakist | 2019年6月 3日 (月) 22:31