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2019年6月 6日 (木)

表現の自由「日本は勧告をほぼ履行せず」国連特別報告者

今朝の朝日新聞にこんな記事があった。
表現の自由「日本は勧告をほぼ履行せず」国連特別報告者
 言論と表現の自由に関する国連の特別報告者デービッド・ケイ氏が、日本のメディアは政府当局者の圧力にさらされ、独立性に懸念が残るとの報告書をまとめた。「政府はどんな場合もジャーナリストへの非難をやめるべきだ」とした。
 ケイ氏は2016年に日本を訪問し、翌年に報告書をまとめて勧告を行った。今回は続報として勧告の履行状況などを報告。政府に対する勧告11項目のうち、放送番組の「政治的公平」などを定めた放送法4条の撤廃、平和的な集会や抗議活動の保護など9項目が履行されていないとした。
 今回、ケイ氏からの問い合わせに日本政府は答えなかったとしている。報告書は国連人権理事会に提出され、審議されるが、勧告に法的拘束力はない。(ジュネーブ)」(2019/06/06付「朝日新聞」p9ここより)

朝日は、現象を淡々と伝えるだけ。一方、産経は・・・
国連報告者が新報告書 メディアの独立懸念に菅長官「不正確」と反論
 言論と表現の自由に関する国連のデービッド・ケイ特別報告者が、日本で現在もメディアの独立性に懸念が残るとする新たな報告書をまとめた。菅義偉(すが・よしひで)官房長官は5日の記者会見で「政府の立場を十分に反映していない内容で極めて遺憾だ。不正確かつ根拠不明のものが多く含まれ、受け入れられない」と反論した。
 今月24日開幕の国連人権理事会に提出予定の報告書は、日本の報道が特定秘密保護法などで萎縮している可能性があると指摘。同法の改正や、放送局に電波停止を命じる根拠となる放送法4条の廃止などを求めた2017年の11項目の勧告のうち、9項目が未履行だとした。政府に批判的なジャーナリストらへの当局者による非難も「新聞や雑誌の編集上の圧力」とした。
 また、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古移設反対派への有罪確定に懸念を示し、日本政府に集会と表現の自由を尊重するよう求めた。
 国連人権高等弁務官事務所は17年5月、ケイ氏の対日調査報告書を公表し、ケイ氏は日本政府に11項目を勧告した。勧告に法的拘束力はないが、日本政府は当時「丁寧な説明を尽くしたにもかかわらず、わが国の立場を十分に反映していない内容の報告書になったことは極めて遺憾だ」(菅氏)と反論していた。
 同事務所は「指摘の大半が噂や決めつけに基づく」「勧告は日本の現状や日本文化に対する不正確で不十分な意見を含む」などとする日本政府の反論書も公表していた。
 菅氏は5日の記者会見で、これまでケイ氏に対し「日本の立場を丁寧に説明してきた」と重ねて強調した。移設反対派の有罪判決に関しても「憲法の下、表現や集会の自由は最大限保障されている」と述べた。」(2019/06/06付「産経新聞」ここより)

菅官房長官の反論を載せている。
もっとも詳細に伝えていたのが東京新聞。
日本メディアの独立懸念 国連報告者「政府は勧告未履行」
 【ジュネーブ=共同】言論と表現の自由に関する国連のデービッド・ケイ特別報告者が、日本では現在もメディアの独立性に懸念が残るとする新たな報告書をまとめたことが4日分かった。日本の報道が特定秘密保護法などで萎縮している可能性があるとして同法の改正や放送法四条の廃止を求めた2017年の勧告を、日本政府がほとんど履行していないと批判している。
 報告書は6月24日開幕の国連人権理事会に正式に提出される予定。
 報告書によると、日本政府が放送局に電波停止を命じる根拠となる放送法四条は効力を持ち続けており、事実上、放送局への規制になっていると指摘。政府に批判的なジャーナリストらへの当局者による非難も「新聞や雑誌の編集上の圧力」と言えるとした。「政府はジャーナリストが批判的な記事を書いても非難は控えるべきだ」としている。
 ケイ氏は17年に公表した対日調査報告書で、日本政府に11項目を勧告。勧告に法的拘束力はないが、政府は不正確な情報に基づくと反論していた。ケイ氏は調査の結果、9項目が履行されていないとしている。

勧告11項目と履行状況
 デービッド・ケイ特別報告者が日本政府に勧告した11項目の主な内容と履行状況に関する評価は次の通り。
 (1)政府による介入の根拠となる放送法四条の廃止=未履行
 (2)歴史的出来事に関し教材で示された解釈に対し介入しない=未履行
 (3)教科課程の作成過程の完全な透明化を保証する=一部履行
 (4)国連の真実・正義などに関する特別報告者の訪日の招請=未履行
 (5)政治活動を不当に制限するような公選法上の規定を廃止する=未履行
 (6)特に沖縄における平和的な集会と抗議の権利を保障するために、あらゆる努力をする=未履行
 (7)特定秘密保護法で安全保障上問題なく公益に資する情報については、開示しても処罰されない例外規定を設ける=未履行
 (8)公益に資する情報の報道を促進する社会的規範の原則づくりを進める=評価できるだけの十分な情報がない
 (9)特定秘密保護法の執行が適切に行われるように、専門家による監視組織を設置する=未履行
 (10)広範に適用できる差別禁止法を制定=未履行
 (11)将来的に通信傍受に関する法律を制定するに当たっては、独立した法機関の監視下で、極めて例外的な場合にしか、通信傍受は行わないと明記する=未履行

沖縄抗議への圧力批判 山城氏有罪 表現の自由萎縮恐れ
 【ジュネーブ=共同】デービッド・ケイ特別報告者の報告書は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設への抗議活動などに日本の当局が圧力を加えたり、過度に規制したりし続けていると批判した。
 特に抗議活動に絡み威力業務妨害などの罪に問われた沖縄平和運動センターの山城博治(やましろひろじ)議長に対し懲役2年、執行猶予3年の刑が確定したことについて、表現の自由の権利行使を萎縮させる恐れがあるとした。
 報告書は、山城氏が長期間拘束されたことに国連の特別報告者や恣意(しい)的拘束に関する作業部会が国際人権規約違反などとして日本政府に是正を求めたと指摘した。
 その上で、集会と表現の自由は「密接に関連し、互いに補強し合っている」と強調した。」2019/06/05付「東京新聞」夕刊ここより)

ググってみると、動画で東京新聞が記者会見で、管官房長官に質問している状況が載っていた(ここ)。

これを見ると、東京新聞の望月記者が質問を始めると同時に、横からメモが差し入れられ、官房長官はそれを棒読み。
ま、官房長官が望月記者を嫌うわけだ・・・。
しかし、米国の記者会見に比べて、日本は記者クラブの仲間内の、事なかれ主義で行われており、国民の代弁と言うより、出来レースだという。

話を戻すと、デービッド・ケイの指摘については、当サイトでも2015年5月17日付で「報道の自由度、日本は世界140カ国中61位」(ここ)、2016年4月23日付で「2016年の報道の自由度、日本は11下がって72位」(ここ)(ここ)と取り上げてきた。
あれから4年経っても、相変わらず政府の対応はまるで他人事。
よって、幾らケイ氏から“通信簿”を渡されても、どこ吹く風・・・
でも日本のメディアから指摘されると、イヤ~な気分。だから東京新聞を閉め出したい!?

相変わらず悪い方向に突き進んでいる日本ではある。

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コメント

今日6月21日の毎日新聞夕刊の 特集ワイドの記事 を是非読んでください。少し長文になりますが・・・

「この国はどこへ これだけは言いたい 作家・半藤一利さん・89歳 自分で考える力、失ったら終わり」
毎日新聞2019年6月21日 東京夕刊

 インタビューしたのは「令和」に入って、ちょうどひと月半の日だった。先月89歳になった半藤一利さんは背筋をスッと伸ばし、ゲタを鳴らしながら、なじみの喫茶店に現れた。開口一番、「歴史探偵」に確認したいことがあった。新元号の考案者とされる国文学者の中西進さん(89)とは、東大文学部国文科時代の同級生だったとか。

 「仲いいんだよ。卒業論文で『万葉集にみる大化の改新と壬申(じんしん)の乱』をやると言ったら、周囲が『万葉集を全部暗記している“お化け”がいるからやめろ。あいつと比べられたら卒業も危なくなるぞ』と。それが中西です。結局、卒論は『堤中納言物語の短篇(たんぺん)小説性』にして、何とか卒業させてもらいました」と笑う。前年に占領が終わり、日本が独立を果たしたばかりの1953(昭和28)年のことである。忠告のかいあってか、大変な就職難にもかかわらず文芸春秋新社(当時)に入社した青年が後に昭和史の闇に光を当てて、その本質を伝えるべく「語り部」となった。運命の不思議さ、天の配剤と言わずして、何と言えばいいだろうか。

 30年、東京・向島に生まれた。敗戦の年、3月10日の東京大空襲で逃げ惑い九死に一生を得た少国民は「生と死は紙一重」であり、この世に「絶対」はないと悟った。長じて編集者となり、坂口安吾、高見順、永井荷風、亀井勝一郎、司馬遼太郎、松本清張……そうそうたる文士に間近で接する幸運を得て、歴史をつくるのは人間だと知る。

 「考えていることが普通の人と違う。面白くてねえ。安吾さんからは『ある一つの事実があっても、それが全てではない、必ず反対する史実が出てくる。その間はどうしたらつながるのか、よく考えろ』と」。若き編集者は史料の行間を読んで「事実」の先にある空白を埋め、「真実」を追究する大切さを教わった。「歴史探偵」誕生の瞬間である。

 当時の日本は、平和主義に覆われており、太平洋戦争と昭和史の勉強をすることは、ジャーナリズムの世界でも「変わり者」扱いされたという。「名字が半藤だから『あいつは反動分子だ』とね。でも応援してくれる人は必ずいるもんです。当時担当していた伊藤正徳さんが病床から『このまま勉強を続けなさいよ。歴史は学べば学ぶほど深くなるし、教訓が生まれてくる。この国の後世のためにも、途中で放り投げたりしないようにね』と言ってくれました。やめようと思ったこともあったんですが、それからは本気で勉強しましたよ」。「連合艦隊の最後」などの著作で知られた伊藤の「遺言」が、まだ無名の青年に「日本のいちばん長い日」を書かせ、「昭和史」の大仕事に挑ませたのである。

 後年、専業作家となった半藤さんは首尾一貫して平和の尊さを書いてきた。ふと、中西さんが不戦を誓った憲法9条を「世界の真珠」とたたえたことを思い出して話題を振ると、「若い頃から彼は言っていましたよ。『しっかりと守った方がいい、これは宝物なんだから』ってね。その点でも僕らの意見は一致していたね」と言うと、遠くを見つめるような目をした。

 初めて知ったことがあった。<もはや「戦後」ではない>。56年度の「経済白書」が高らかにうたった一節。それは英文学者の中野好夫が「文芸春秋」56年2月号に寄稿した評論から採られたことは有名だが、半藤さんがその担当だったとは--。「うまいタイトルだろ。昔はちゃんと働いていたんだよ」と謙遜するが、編集者時代は「名デスク」として数々の企画をものしてきた人である。

 退職後もその眼識と手だれの筆はいかんなく発揮され、この国の将来について<あの日の慟哭(どうこく)と嗚咽(おえつ)が遠ざかるにつれて、日本人は見事に変貌しはじめる>(「日本国憲法の二〇〇日」)と看破した。いわく戦争で<死ぬ必要がなくなり、いまや生きるための欲望に憑(つ)かれてしまった人びとの関心のなかには、天皇も憲法もこれからの日本も、いや隣人も他人もなくなる。生きぬくために、自分のことだけしか考えられなくなる>と。

 嫌な話を聞いた。「平成」の30年間を読み解くキーワードの一つ「IT革命」によって多くの恩恵を受けたのは周知の事実である。一方で、二次元の言論空間では善悪二元論や黒白・面白ジャーナリズムが大手を振り、匿名による罵詈雑言(ばりぞうごん)があふれている。

 「電車に乗ると誰も彼もがスマホに夢中でしょ。膨大な情報に簡単に接して分かった気になって、自分で考える力を失っているんじゃないかねえ。判断停止だよ。インターネット上の訳の分からない意見に火がついて熱狂そのものになり、雪崩現象のように、ある種の権威が人々を引っ張っていくことが起きるんじゃないか」。軌を一にしてバブル経済がはじけて長きデフレに陥った平成ニッポン。大災害も度重なり、目先の生活を守るために国民は内向きになった。

 「しょうがないっちゃ、しょうがないんじゃないの」。あくまで半藤さんは冷静である。

 「よく歴史に学べ、というけれど、そうじゃなくて、歴史を学べと。サアーッと表面をなでて親しみが湧いたら、もう少し調べようという気になるでしょ。その繰り返し。だから、まずは歴史を学ぼうと。そう言っているんだけど、最近妙な歴史になってきているんだよな、昭和史も書く人によって……。ネットでは私のことを『反日』呼ばわりしてるんだってね」

 若き日の半藤さんは本業の合間を縫って多くの元軍人を訪ね歩き、「真実」を探求する日々を送った。「自己弁護したり、美化したりする元軍人もいました。軍中枢にいた人たちは死んじまったし、もう聞き歩くこともできないからねえ。伊藤さんの言葉を思い出しますよ。『日露戦争の時、事実を残さずに、神話的な美談にしてしまった。東郷平八郎も、乃木希典も神社になった。日本は無敵だということで、ばかな戦争を繰り返した』って。昭和10年代に僕らが習った歴史では、日露戦争は聖戦でした。何だかまた同じようなことが繰り返されてきているのかなと。だからこそ今、できるだけ公正な歴史を学んだ方がいいですよ、と言いたいね」

 元首相で海軍大将の米内光政は、日中戦争から太平洋戦争に至る日本国内の流れを「魔性の歴史」と呼んだ。先を見通せない不安な現代にあって、半藤さんは再びこの国が負の歴史を繰り返しかねないと危惧しているのだ。なかでも気になるのが、現政権の言い換えだという。

 「ヘリ搭載の護衛艦を空母化しても『多用途運用護衛艦』だと。『積極的平和主義』って何ですか。戦前の日本が国民をだましたように、意味をごまかしているんじゃないでしょうか」

 「昭和の失敗」を振り返る時、天皇の存在を抜きにしては語れない。今度の令和の始まりを、メディアは奉祝ムードたっぷりに報じて物議を醸したが、半藤さんも60年前、上皇、上皇后両陛下のご結婚に合わせて創刊した「週刊文春」のトップ記事を書いていた。<馬車がゆく、砂利がきしむ音がする、その音は何百万の戦死者のうめきと聞こえるであろう>。「若気の至り」と恐縮するが、当時の世相を誠実に活写したものといえる。そうした不戦思想は昭和-平成-令和の皇室にあって、連綿と引き継がれているという。

 「今の上皇陛下は戦争体験がおありだからね。これまで何遍か、吹上御所でご夫妻とお話ししたことがありますが、例えば沖縄について、琉球処分から戦史、今日のことまで、私が知っているよりも、はるかに陛下はご存じでした」

 実は半藤さん、昨年の終戦記念日に秋篠宮家の長男悠仁さまに昭和史を講義していた。5日前に広島の平和記念公園を私的に訪れたばかりの悠仁さまから「なぜアメリカは広島に原子爆弾を落としたんでしょうか」と質問されたという。「秋篠宮さまも私の書いた本『あの戦争と日本人』を手に、『統帥権とは本当にどういうものだったのでしょうか』などと熱心に尋ねられた。改めて天皇家はこんなに勉強なさっているのかと驚きました」。こうした不確定な時代において、国民統合の象徴として、天皇の存在意義が一層大きくなるのでは、と半藤さんは見ている。

 <世の中は地獄の上の花見かな>。北方領土を巡る衆院議員の「戦争」発言など、どこか政治のたがが外れているように思えてならないと私が言うと、小林一茶の句を教えてくれた。

 「近ごろこんな感じでしょ。政治家のレベルが落ちたのは、国民の意識が劣化したから。荘子は『生に涯(はて)あり、されど知に涯なし』と言いました。ネットですぐに分かった気になっても、そんなもんじゃない。たちまち人生が終わっちゃうよ。自分で考えないとね」【中澤雄大】

 ■人物略歴
はんどう・かずとし
 1930年東京生まれ。疎開先の新潟県長岡市で終戦を迎えた。東大卒業後、文芸春秋入社。「週刊文春」「文芸春秋」編集長、取締役などを経て作家。「漱石先生ぞな、もし」で新田次郎文学賞。「昭和史」で毎日出版文化賞特別賞。2015年菊池寛賞を受賞。

【エムズの片割れより】
いつも半藤さんの話はためになりますね。

投稿: かうかう | 2019年6月21日 (金) 18:25

本日、一気に読み終えた幻冬舎新書「令和に生きる」(半藤一利、池上彰著)で、次のことを初めて知りました。池上彰氏の発言です。
「保守化、右傾化のきっかけは産経新聞のネット全文公開」
産経新聞が主なポータルサイト、ヤフーなどに無料で記事を公開したこと。
 この結果、ヤフーニュースをクリックして、真っ先に読むことになるのが産経新聞なんです。若い人は、新聞を取らないで、産経新聞を読むことになる。
今の若い人が保守化したとか、右傾化したねというきっかけは、産経新聞のこのサービスによるのではないか。
         (91ページ)
これ事実でしょうか。初めて知り驚いています。 

【エムズの片割れより】
自分もスマホで「Yahoo!ニュース」は愛読していますが、あまり感じたことは無いですね。
最近、注意して情報元を確認していましたが、特に産経の記事が多い感じはしませんでした。
でもありそうな話ではあります。

投稿: かうかう | 2019年6月27日 (木) 23:27

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