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2019年6月28日 (金)

童謡「おなかのへるうた」

今日は、ちょっと変わった歌。童謡の「おなかのへるうた」である。

<森みゆきの童謡「おなかのへるうた」>

「おなかのへるうた」
  作詞:阪田寛夫
  作曲:大中恩

どうして おなかが へるのかな
けんかをすると へるのかな
なかよししてても へるもんな
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ

どうして おなかが へるのかな
おやつをたべないと へるのかな
いくらたべても へるもんな
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ

先日、こんな歌を聞いて、自分も素直に「どうして おなかが へるのかな」と思った。
誰が聞いても「そんなの当たり前。動物は生きるために食わないと」と言うだろう。
そう、当たり前。テレビのドキュメンタリー番組を見ても、野生の動物は常に食い物を探し、そのために生きている。いや、生きるためにエサを探し食っている。それは死と隣り合わせの行動。

人間はどうか?当然3食ただただ食っている。そもそも人間の内臓を思い浮かべると、心臓と肺を除くと、食うことのための臓器ばかり。他の動物も同じだろう。食うための気管と臓器ばかりが目立つ。
特に赤ちゃんや幼児は、食うことが仕事。そして食って大きくなることが仕事。だから上の歌のように、「いくらたべても へるもんな」で、ちょっと油断すると「おなかと せなかが くっつくぞ」とアラームを鳴らす。

人間、ショックなことがあると「砂を噛むような味」、つまりは何を食べても味が分からなくなる、と良く言われている。
しかし、それはウソらしい。やはり人間も動物。そんな事は無いらしい。

一方、近親者を亡くして嘆いている人も、「悲しいことに、お腹だけは減るんだ」という。
どんなに悲しくても、辛くても、腹は減る。そして食うと味がする。それが動物の性(さが)。悲しいことだが・・

●メモ:カウント~1220万

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