「平成落首考 総集編・31年を45句で」
昨日の朝日新聞にこんな記事があった。
「平成落首考 総集編・31年を45句で 西木空人
「三日ぶり見るCMの新鮮さ」
平成元(1989)年1月の本紙川柳欄掲載句です。自粛の空気が覆う中、テレビも喪に服し、元号が改まることの実感を人びとは抱きました。
あと2日で、天皇退位による新しい元号が始まります。元号への賛否はいろいろ。ですが、来し方を振り返り、行く末を考える「区切り」にしてみる。そんな効用もあるのではないか。
膨大な掲載句を拾い読みしました。
× × ×
「不死鳥となって火の鳥空に消え」(手塚治虫さん)、「本当の努力と出世の見本見せ」(松下幸之助さん)、「歌姫の生涯それが演歌めき」(美空ひばりさん)。平成元年のこの3人の死は、いま思えば、一つの時代が過ぎ去ったことの象徴でした。
「消費税こどもも結局納税者」。4月、消費税3%スタート。
「ベルリンの土産はやけに重くなり」。11月、「東西の壁」崩壊。
平成2年。「有るとこにゃ有るもんだなとゴッホ言い」。バブル最末期、名画に破格値をつけるのは日本人。
平成3年。「戦争をテレビゲームで見る怖さ」。湾岸戦争勃発。
平成4年。PKO協力法成立。「九条があって入った自衛隊」なのに。
平成5年。「チャンネルをまわせばりえちゃん雅子さま」。6月ご結婚。「雨降って地盤崩れる総選挙」。自民党過半数割れ、「55年体制」は崩壊しました。
平成6年。突如として村山・自社さ内閣誕生。「有権者やめたい程のわからなさ」。すでにバブルは崩壊し就職難。「大学の門から狭い人生路」
平成7年。阪神淡路大震災。「戦中と戦後を一度に見る思い」
さらに地下鉄サリン事件。「モノカネの果てはオウムの住む社会」
平成8年。「鍋底を脱したはずがはや三年」。
平成9年。14歳による連続児童殺傷事件。「少年の背丈に負ける法の網」。いのちの意味が変わってしまったのでしょうか。「この俺の十五の夏は田草取り」
「しばらくは社史を出せない会社増え」。大企業の利益供与事件、倒産が相次いだ。終身雇用はほぼ死語となり、貧富の「格差」が語られ始めます。
平成10年。大蔵日銀など汚職続々。「ただ酒を玉杯で飲む東大出」
平成11年。「武蔵野にゴーンとひびく暮れの鐘」。日産に乗り込む。
平成12年。「歯車の次はネットに繋(つな)がれる」。IT、AIは拡大の一途。
平成13年。「言葉なく言葉にならぬ画面見る」。付属池田小の無差別殺傷。
平成14年。「拉致と核隣り合わせの寒さかな」。拉致された5人帰国。
平成15年。「結局はどうでもよかった探しもの」。イラク大量破壊兵器。
平成16年。「戦争の相手だんだん変わって来」。イラク派遣の自衛隊、多国籍軍に参加。
平成17年。「テロのない国テロに似た惨事」。JR宝塚線脱線事故。
平成18年。「変人の次は軍人満を持し」。安倍内閣発足。
平成19年。「何もかも問題ないと言う総理」。政治劣化が顕著に。
平成20年。麻生内閣。「先読めず心も読めず字も読めず」
平成21年。鳩山連立政権発足。けれど「我が総理言語丁寧意図曖昧(あいまい)」。
平成22年。「三世の戴冠(たいかん)式する金王朝」。北朝鮮・正恩氏登場。
平成23年。「なんと言う事なんと言う事」。東日本大震災。加えて原発事故。「杞憂(きゆう)だと笑い想定外と言う」
平成24年。「元彼に戻る辛(つら)さよ振った民」。安倍内閣復活。
平成25年。特定秘密保護法成立。「特定の人が特定秘密決め」
平成26年。「右手(めて)隠し左手(ゆんで)で平和と書き初めす」。
平成27年。「言論の自由の国の首相ヤジ」。「一強」の傲(おご)り。戦後70年。「世界中戦争になる気配する」
平成28年。「安倍慣れで違和感がないトランプ流」。平成29年。「『ごまかし』が国民病になってきた」
平成30年。「沖縄に寄り添わないで寄り倒し」「おことばの『深い反省』聞き納め」。
平成31(2019)年。「戦ないこの元号が好きでした」
読み返して、なにやら坂を下っているような気がいたします。令和は、どんな時代になるのでしょうか。
「しあわせの形が違う孫とボク」(「朝日川柳」選者)」(2019/04/29付「朝日新聞」p6より)
どれもひねってはあるが、それぞれの“その背景”“その後”を思うと空しい。
しかし、各年の事件を思い起こすと、今さらながら“そんな事もあったな”と思う。
テレビのニュース番組では、年の瀬よろしく、あと何時間、という大きなテロップ。
天皇の若き日の姿がテレビに流れるが、自分にとってやはり一番印象が残っているのは、結婚式のパレードの中継映像。それは1959年(昭和34年)4月10日だったという。
自分は小学校6年生。ちょうど家庭にテレビが入り始めた時期。当時住んでいた社宅で、他の家の屋根にアンテナが建つと、「いいな~」とうらやんだもの。
テレビを見に、自転車で友人の家まで行ったこともある。もちろんテレビを見に、隣の家に上がり込んだことも・・・。そして我が家にもテレビが来た。
馬車で疾走する結婚パレードの生中継を、どこで見たかは記憶が無い。このパレードを機に、ミッチーブームと同時にテレビブームが到来したが、我が家は一歩出遅れた。
それから30年が経ち、平成となった。そして同じく30年が経って、今平成が終わろうとしている。あれから60年・・・
前にも書いたが、レイワというのは、響きが堅くてあまり好きでは無い。アベくんが決めた、ということの拒否反応かも知れない。
ともあれ、時代が移っていく、というひとつの流れは感じる。
いつまでも、今の時代が続く事は無いのである。何にでも、オワリはある・・・
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