リビングウィルの病院現場での体験
老人ホームにいた兄が、2019年3月6日23時15分、非結核性抗酸菌症のために74歳で逝った。妻を胃がんで8年前に亡くし(ここ)、そして自分も追った。
このメモは、兄が6年前に署名した日本尊厳死協会のリビングウィル(終末期医療における事前指示書)が、病院の現場でどう捉えられ、家族と病院とがどうせめぎ合ったかの、闘病の1ヶ月間の記録である。
日本尊厳死協会のサイトに、リビングウィルの定義が載っている。
「LWは、「生前意思」とでも訳せばいいのでしょうか。いわば「いのちの遺言状」です。「自分の命が不治かつ末期であれば、延命措置を施さないでほしい」と宣言し、記しておくのです。延命措置を控えてもらい、苦痛を取り除く緩和に重点を置いた医療に最善を尽くしてもらう。」(ここより)
<2019年2月3日(亡くなる31日前)>
老人ホームから、近くに住む弟のところに電話。「この1年で体重が48キロから43キロに減った。食事の量も少ない。次回のホームの健診で診て貰う」
<2019年2月4日(30日前)>
ホームの健診で、内科の医師から「痰に少し血が混じっているので、念のために病院で診て貰ってくれ」とのこと。
兄は「何処も悪くないので、病院に行くのは疲れるので嫌だ」とのたまう。
<2019年2月6日(28日前)>
予約した午後3時に、弟が病院に連れて行く。病院に着くと、喀血している。レントゲン・CT・血液検査をすることになる。診断結果は「陳旧性肺結核性病変+結核性肺炎などの活動性炎症巣+右胸水」「少量の右気胸」「肺がんは無い」
結核の排菌の可能性が否定できないため、その病院には入院出来ず、収容してくれる病院を探してくれる。
午後8時半、車で1時間以上かかる遠い場所だが、やっと感染症の専門病室がある病院が受け入れてくれることになり、救急車で転院。午後11時に入院。即刻、CT、血液検査、喀痰検査などを行う。
<2019年2月7日(27日前)>
主治医から肺結核の検査のため、塗抹検査×3回、培養検査 8週間、遺伝子検査 3~5日間をするとの説明。
<2019年2月10日(24日前)>
「今のところ、結核菌は出ていない。別の検査をして菌が出なければ、一般病棟に移す」とのこと。
<2019年2月13日(21日前)>
主治医の話。「食事を食べる量が大変少ない。結核菌は無い。病名は「非結核性抗酸菌症」。相当長期間かかって病気になった分、治るのも時間が掛かる。まず大部屋に移って、自宅近くの病院に転院することを検討。通院でも良いが、場所が遠いので通えないだろう。長期入院は無理なので滞在型病院に転院する事になるかも」
<2019年2月17日(17日前)>
一般病棟に移る。転院先が見付からない。本人は持って行ったヤクルトを喜んで飲んだ。
<2019年2月19日(15日前)>
昼に主治医から電話。「昨日から38.9℃の発熱。酸素の吸収が悪いので、酸素吸入をしているが、それでも良くないので顔全体の吸入。今後気管支切開をしますか?と言われたので断る。CTを撮ると、肺の悪い所がどんどん広がっている。ここ3~4日が山」とのこと。
急変。
<2019年2月20日(14日前)>
主治医談「ステロイドが効いたのか、今日は小康状態。18日のCTでは、肺が白くもやがかかった状態。これは水。前日の呼吸器外科の医師との見立てでは、8~9割で2~3日で急変(死亡)の可能性。薬効で小康状態か、このまま悪化するかは2~3日で分かる」
6年前に本人が署名したリビングウィルを渡して、気管支切開等の延命治療は断るが、苦しさだけは取ってくれるように依頼。主治医は、これで今後の治療の方針が立つと、ホットしていた。
兄は「次回はヤクルトを持って来い」と言葉はOK。
(2013年1月 4日 先日、兄貴が「もし自分に死が近くなったときは、パイプにつながれて延命するのは絶対に止めてくれ」と言い出した。「いつそうなるか、誰が先は分からないが、もしその意志があるのなら、あらかじめリビングウィル(終末期の医療・ケアについての意志表明書)を書いて置いた方がよい」と教えてあげた。(ここ)より)
<2019年2月23日(11日前)>
小康状態を維持。食事も、食べられる量は少ないが、食べる意欲はある。ただ、食事の時に、酸素吸入を外してしまうと、酸素濃度が一気に80%ぐらいまで低下し、指先にチアノーゼが出てしまう。寝ている時も酸素吸入のカップが嫌なのか外してしまう事があり、ナースステーションの警報が鳴って慌ててカップを付けに行く事が度々ある。
今後は、食事も多少むせ気味なので、口から取ることが難しくなる事が想定される。
治療としては、抗生物質とステロイドの併用投与の治療をしているが、ステロイドの効果で熱は押さえてられているようだが、ステロイドのデメリットで免疫力を落としてしまうので、肺を侵している抗酸菌に対しては、逆の効果が出てしまう。
体力は、徐々に落ちて来ている状態なので回復はかなり厳しい状況。今日は胃瘻の話も有ったが断った。
本人の意識は、酸素濃度91~93%の割には、しっかりしている。
本人も、もう回復しないのを悟ったのか、ホームには、もう帰る事が出来ないので解約して、中の物は処分する様に言われる。薄々死を覚悟したと思われる。
<2019年2月27日(7日前)>
主治医談。少しずつ悪くなっている。酸素の量が2日に1リットルずつ上げている状況。
・誤嚥の可能性有り。窒息のリスクは高い。本人は食べる意欲があるが、介助する看護師の判断で中止の可能性あり。
・肺の病気は2つ有り、一つは感染症で薬を飲んでいる。もうひとつは肺水腫でステロイドを使っていて少し良くなったが副作用が心配。トータルでみると、横ばいか少し悪くなっている。
・カロリー的には採れていないので、どんどん痩せている。もともと肺に水が溜まっているが、さらに浮腫といって点滴した分が肺に溜まることがある。その時は点滴の量を減らすことがある。ちょっと脱水気味の方が、息苦しさに関しては楽。
・毎日「苦しいですか?」と聞くが「苦しくない」と答えている。
・自分でマスクを外してしまうときがあり、その時は70~80%に下がり、その80%から90%前半に戻るために30分くらい掛かっている。普通の人に比べて、肺の予備力が悪いので、一旦悪くなるともどるのに時間が掛かっている。低酸素の状態が長い。低酸素の状態が続くと呼吸の筋肉が疲れてきて息をすること自体が負担になる。呼吸回数が減るとボーッとする。ある意味、呼吸不全で最期を迎えるのは一番楽な最期。夢見心地になって息が止まる。
・まだモルヒネとかは使っていない。本人が苦しいと訴えたら使う。
・あとは気力。ご飯を食べる意欲がどこまで続くか。それが改善しないと、1ヶ月くらいか・・・
・いきなり呼吸が悪くなる時が、遠からず来ると思うが、その時は間に合わない可能性あり。
<2019年3月2日(4日前)>
酸素マスクを外している。兄に会うや「お昼ご飯は要らない」。看護士さんに伝える。それまでツバをよく吐いていたが、今日は吐いていない。看護士さんは、ご飯はあまり食べていない、とのこと。相変わらず、直ぐに帰れ、の指示。「することない。水も要らない」
主治医の話
・早急に返事が欲しいことがある。今までの非結核性抗酸菌症と肺水腫に加え、気胸が悪化しており、その治療のためにチューブを挿入するかどうかの判断。これは一旦入れると、外せなくなる可能性有り。
・28日にCTを撮ったが、気胸が悪くなっている。入院した時にも気胸があったが、更に広がった。今後も進行する可能性がある。
・通常、気胸を起こした人は、吸った空気が肺の外に漏れて胸腔が広がってしまう。それで胸の方からドレーンという管を入れて、この空気を吸うと肺が膨らむので、肺の孔が閉じたらドレーンを抜いて治療完了となるのが普通。
・しかし呼吸器外科の医師と相談したが、今回の場合は、肺の孔が閉じるかどうかやってみないと分からない。ステロイドの副作用で肺が治らず、チューブを抜ける保証が無い。息苦しさは今後増してくるかも知れないので、それを前提に、やるかどうか。
・本人の同意はもちろん必要だが、もし家族が賛成するなら、病院としてはその処置を進めたい。、しかし、苦しいという症状を取ることは出来るが、それで余命が長くなることは難しい。
・最近は話すことも、疲れてしまっている。肺以外の機能もどんどん低下しているが、それは食事が採れないため。点滴でのカロリー注入には限界がある。
・本人が苦しくないと言っている人にに、苦しいでしょう、と言って、痛い思いをさせて管を入れるのは、なかなか難しい。
・しかし気胸の人は、放っておくと本当に苦しくなるので、病院としてはやった方が良いと思っている。普通は、気胸の人はこの処置しないことは無い。今日明日中に亡くなりそうで、どんな処置も受けたくないと本人が言えば、やらないというのは無くは無いが・・・。
(病室で本人の意志を確認)
本人の意志を医師が聞いた。結果、「管は入れたくない」「今後、苦しくなっても入れたくない」「手術はしたくない」
・本人は、既に声が出ないのに「入れない理由は何ですか?」と医師が聞いていた。
・「分かりました。何度か話はします。」(本人に向かって)「分かりました。今後も何回か聞きますが、気が変わったら教えて下さいね」
・「治療チームは4人なんですが、回診のときに説得するようにします。その上でも難しいようでしたら保留にして、もし状況が変わったらその都度聞くという形にします。」
・「本人の意志、認知機能が低下している方であれば、ご家族の意志優先もあるが、これは何人かで判断したいと思うが、個人的にはご本人がしっかり判断されて拒否されている印象があるので、今の時点では同意は得られていないと見なさざるを得ない。」
<2019年3月4日(2日前)>
・19時。主治医から電話。呼吸が一段と弱くなった。呼ぶ人が居れば呼んだ方が良い。2~3日で亡くなる方が多い。今朝も、食事は要らない、と言っていたという。苦しんではいないとのこと。薬も飲めていない。
<2019年3月6日(死亡当日)>
・11:50主治医と面談。4日にあえぎ呼吸が認められたので連絡した。その後は横ばいで安定。声が出ない。苦しい訴えは無い。チューブは本人が明確に拒否しているので、苦しくなったらモルヒネや、酸素を増やす。点滴は血管が細いのでこれがダメになったら皮下点滴という手段がある。
・今は500CCで汗だけで失われる量で脱水気味。水分を入れないと脱水で腎臓の機能が落ちて亡くなる。かなり早く1週間も持たない。⇒「皮下点滴はしない」と回答。
(5年前に母親が亡くなった時、延命治療は拒否したが、最後の皮下点滴は同意した。しかし延命はしたが、亡くなった時に手足がパンパンに腫れていて、通夜の時になったら、水が抜けて手足がガリガリになっていた。それに、体の水分が多かったせいか、チューブで痰を取る時に猛烈に苦しがっていた。家族の自己満足で本人の苦しみだけを増しただけ、との罪悪感があるので、同じことはしたくない。と説明)
・どこかのタイミングでモルヒネの皮下注射。量やタイミングは検討する。今の点滴の血管は、普通は2~3日で別の場所に変えるが1週間くらい使っている。漏れたりするまでは使って、感染して熱が出たりしたら直ぐに抜いて解熱剤。それからは、点滴が入らないので1週間と持たない。
・21:39弟から電話。主治医から電話が来て10分前頃から心肺停止。後で聞くと、、夕方の7時ぐらいから血圧が変化し始め、9時過ぎに一気に血圧が下がり、脈が取れなくなり亡くなった。医師による確認による死亡診断書は23:15死去。
(兄との最後)
・それより前、午前11時過ぎ、病室を見舞った。声は出ないが、意識はある。痰を吐くティッシュを気にしているので、箱を見せると安心した様子。いつものように手振りで“早く帰れ”
・部屋を出る時に兄を振り返ると、両手を丸く胸に組んでいた。8年前に亡くなった奥さんが迎えに来ていたのかも・・・
<思うこと>
・幾ら、リビングウィルで本人が延命治療を拒否していても、家族と面談した主治医は納得してくれても、背後に居る医師団(病院)は、標準治療を進めたがる。
・これは人工透析中止で現在問題になっている福生病院の例を見ても、医者は治療をしない、という選択肢は取らない姿勢が強烈。
・延命治療拒否が、病院の現場で、どれほど難しいかを実感した。
・延命治療の拒否は、リビングウィルの書類だけではなく、連日家族がそれを医師に向かって言い張る努力が不可欠だと思った。
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喪主として兄を送った言葉
兄嫁の見事な死にざま・・・・
母の老衰死~最後の3ヶ月の記録
正月に“家族”を思う~終わりと始まり
●メモ:カウント~1200万
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コメント
ご愁傷様です。
貴重な記録をありがとうございました。
参考になります。
【エムズの片割れより】
終末期医療は、これから社会問題化していく気がします。
医療の現場の保守性と、患者側との意識のずれ・・・
投稿: Tamakist | 2019年3月17日 (日) 02:56