ロシア民謡「郵便馬車の馭者だった頃」~兄貴が死んだ
昨夜(2019/03/06)遅く、兄貴が死んだ。自分より3つ上。享年74。
兄貴を歌で思い出すと、どんな歌だろう?と思った。記憶を呼び戻す。兄貴の歌声・・・
すると、こんな歌が浮かんできた。ロシア民謡の「郵便馬車の馭者だった頃」。自分が半世紀以上かかって集めた音源の中に、この歌は無かった。youtubeで探す。するとこんな歌が見付かった。
<ロシア民謡「郵便馬車の馭者だった頃」>
「郵便馬車の馭者だった頃」
ロシア民謡
郵便馬車の馭者(ぎょしゃ)だった
昔は若くて力持ち
小さな村であの娘に
俺は夢中で惚れていた
娘に不幸が見舞うとは
俺は夢にも知らなんだ
馭者の稼業は西東
心はいつもあの娘
それは寒い吹雪の日
風が悲しく吠えていた
ふいに馬めがあばれ出し
おびえたように脇を見た
あばれる馬から飛び降りて
俺は見つめた雪の中
誰かが道に倒れてる
はげしく胸が騒ぎ出し
俺は見付けた雪の中
大事な大事なあの娘
ここでここで酒をくれ
先を話す力は無い
酒をくれ早く酒を
先を話す力は無い
この音源は、(ここ)から借用したが、うたごえ運動からの音源らしい。ノイズは少し取ってみた。歌詞は、よく歌われているものとは違う。でも自分の記憶にあるのは、この歌詞のような気がする。
学生の頃、そう1960年代の終わり頃、うたごえ運動が盛んだった。自分が高校生の時、よく兄貴の下宿に遊びに行き、うたごえ喫茶に連れて行ってもらった。この歌もそこで良く歌われていた歌だ。
兄貴は、声が鋭く、合唱には向かなかった。ひとり朗々と歌って自慢していた歌が、この「郵便馬車の馭者だった頃」、そして「仕事の歌」だった。
特にこの「郵便馬車の馭者だった頃」は、ひとりで感情を込めて歌っては、自画自賛。何かの会合があると、決まって十八番のこの歌を歌っていたという。
1970年代になると、うたごえ運動も下火になり、兄貴の歌を聞かされる機会も減った。
そういえば、カラオケが流行っても、兄貴と一緒に行った事は無い。つまり、大人になってからは、兄貴の歌声を聞いたことはほとんど無かったのである。
しかし思い出すと、50数年前の兄貴は、得意になってこんな歌をアカペラで歌っていたのである。
今日、本当に久しぶりにyoutubeで聞いたが、自分の音源に無いと言うことは、FM放送などで放送されたことがほとんど無いのだろう。
両親に続いて兄貴が逝った。次は自分の番・・・・。
おっと、この順番については、閻魔さまに気付かれないように、そっと静かにしておこう。
最後に、本場ロシア語でうたっている音源がこれ(ここより)。実にロシア民謡らしい。
<ロシア語による「郵便馬車の馭者だった頃」>
兄貴が好きだった歌の音源を、思い出しながら集めてみようかな・・・・。それも供養!?
少し早く閉じた兄貴の人生に、合掌。
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コメント
兄君ご逝去のことお悔み申し上げます。
昔、滞欧2年後帰日するとき、ウクライナ出身のV.ウカノフ氏が一緒に「ともしび」を歌ってくれたことを思い出しました。閻魔大王はともかく懐かしい人々に再会できること小生も期待?していますが、それまでは良寛さまの次の詩を一のよりどころにしています。
首を回らせば七十有余年
人間の是非 看破に飽きたり
往来 跡幽かなり深夜の雪
一炷の線香 古窓の下
投稿: 樹美 | 2019年3月 9日 (土) 14:03