これで最後「終活年賀状」
今朝の朝日新聞の記事。
「これで最後「終活年賀状」 高齢・手間…感謝添えて区切り
来年から年賀状を辞退させていただきます。そんな一文を、年始のあいさつに添える「終活年賀状」が広がりつつある。人間関係を整理したいから、高齢になったから。さまざまな理由で、長年親しんできた年賀状のやりとりについて考える人たちがいる。年賀状の受けつけは12月15日から始まる。 《皆様と交わして参りました年賀状ですが、誠に勝手ながら今年をもちまして書きおさめとさせていただきます》
新年のあいさつに続いて、年賀状の「終了宣言」が印刷されていた。神奈川県の男性(69)が2017年の正月に受け取った年賀状だ。差出人は70代後半の夫婦。男性は思った。
「お互い高齢になり、こういう終活もありだな」
男性もその年の暮れ、文面をまねて終活年賀状を書いた。毎年出してきた約50枚のうち、今後のつきあいがなさそうな5人ほどに、年賀状をやめたい気持ちと感謝の言葉も手書きで添えた。「印刷や宛名の名簿の管理が面倒だし、あまり思い入れがなく、つきあいも薄くなった人との関係を整理したい気持ちもあった」
東京都の弁護士の男性(72)にも7年前ごろから終活年賀状が届くようになった。今年は10枚ほどあった。
《高齢になったので》
《米寿を迎えたので》 そんな理由も書かれていた。「縁切り状のようなものだけど、何も言わずにやめるのではなく、きちんとあいさつしてくれて気配りなんだと思った」
都内の会社員の舩木真由美さん(40)は、もともと年賀状づくりが面倒で、年末に慌てて作っていた。昨年、終活年賀状という言葉を知った。「人生80年としたら、私も折り返し地点。年賀状のやりとりをやめて、関係を整理してみよう」。一枚も書かなかった昨年末はゆったり過ごせた。
だが、友人たちから年賀状が届くと、申し訳ない気持ちが募り、年賀状を返した。メールやLINEで「実は終活で年賀状を終わりにしようと思うんだ」と伝えると、友人たちから「楽しみにしていたのに」との返信もあった。舩木さんは毎年、家族4人で新年の抱負を「あいうえお作文」で年賀状に書いていた。「大変だけど、喜んでもらえるなら」。今年の年末はまた年賀状を出そうと考えている。
■送る意向、じわり
昨年、葬儀サービス会社「鎌倉新書」(東京)が65歳以上のモニター約200人を対象に実施した調査によると「終活年賀状を受け取ったことがある」という人は57%だった。実際に「出したことがある」は6%。一方、半数近くが「終活年賀状を送ろうと思っている」と答えた。理由は「付き合いを身近な範囲にとどめたい」「年賀状作成の負担が大きい」などさまざまだ。
年賀状のイラストなどのダウンロードサイトを運営する「TB」(名古屋市)は、昨年から終活年賀状用の文案の提供を始めた。主な顧客層は70~80代。その世代を親に持つ40代前後の層も狙う。親に代わり、子ども世代が終活年賀状を書いて出すことを想定している。「高齢化で、終活年賀状の需要はますます増えていくのではないか」と担当者は話す。(佐藤恵子)」(2018/11/18付「朝日新聞」p35より)
今年は、例年になく賀状について気にしている。理由は、ほとんどの賀状を、今年を最後にするつもりなので。
自分が初めて賀状を止めることに接したのは、2012年だった。ある親戚(従姉妹)から寒中見舞いが届き、そこに「我が家の新年の挨拶はこれを最後とさせていただきます。」とあってビックリした(ここ)。
それから2年後の2014年に叔父からも届いた(ここ)。
まるでチェーンメールのように、会社関係の人からも、何通も来た。たぶん自分と同じように、貰ってみて、「これは良い。自分も!」と思って真似をしているのだろう。
何を隠そう、自分も実施中。喪中ハガキと同じ時期に、寒中見舞いとしてのハガキで断りを書くパターンと、賀状に「今年を最後に」と書くパターンの2種があるようである。
自分は、確実で相手に迷惑が掛からないのは「寒中見舞い」スタイルかな、と思っているが、何せこれはインパクトが大きい(印象が強い)。それで自分は賀状に書き添えるようにしている。本来は、この文だけは手書きが良いのだろうが、自分は悪筆なのでワープロ。
自分が賀状に卒業宣言を書いたのは、17年に14人に出したのが最初。しかし、そのうち翌18年に9人から、またもや来てしまった。いかにパソコンのリスト通りに機械的に印刷しており、前年の賀状は記憶に無いことが分かる。そして18年には11人に終活したが、今度の正月には、そのうちまた何人かは来るのだろう。
そして今年書く19年分は、昔の同僚を中心に19名の予定。残るのは、ごく少数の友人と、親戚だけ。親戚は、まさに安否確認が目的。
しかし賀状は、自分にとって段々と不要な存在になっていることは確か。現役時代は、いつも一緒に仕事をしている同僚に「今年もよろしく」と書いたが、やはり意味は無かった。機械的に貰ったから出しただけ。
学生時代の友人も、就職した当初は行き来をしていたものの、それ以来、半世紀も会っていない人に、今後も会う機会は無い。幾ら安否確認としても、段々意味が無くなっている。
それに、今までは両親が亡くなった喪中ハガキが多かったが、これからは本人に関する喪中ハガキが飛び込むかも知れない。同年代の喪中ハガキは、意外とショックだという。
前は、元旦は賀状を楽しみにしていて、“出していないのに来た”人への賀状書きで忙しかったが、来た来ないだけを気にして、文面を読まない賀状の役割は、時代的にもう終わったように思う。
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コメント
こんばんわ、随分冷え込むようになりましたねぇ~
年賀状の「終活年賀状」の話し私も読みましたが、私は数年前から来た年賀のみ返事を出しておりました。(ありきたりの印刷した年賀ハガキに宛名だけを手書きした。味も素っ気も無いやつです。)
そのせいか、段々来る年賀ハガキも少なくなり今では10数枚のみ、これもいずれ途絶えると
思います。まあ自然消滅的な方法ですけど
【エムズの片割れより】
なるほど。そんな手もありますね。
投稿: 耳鳴りオーディオマニア | 2018年11月18日 (日) 22:02