工藤直子著「てつがくのライオン」
先日、NHKラジオ深夜便の「「ことばの贈り物」詩人 谷川俊太郎、詩人 工藤直子」(2018/11/09放送)を聞いていたら、こんな詩の紹介があった。
<工藤直子著「てつがくのライオン」>
「てつがくのライオン」
工藤直子
ライオンは「てつがく」が気に入っている。
かたつむりが、ライオンというのは獣の王で哲学的な様子をしているものだと教えてくれたからだ。 きょうライオンは「てつがくてき」になろうと思った。哲学というのは、坐りかたから工夫した方がよいと思われるので、尾を右にまるめて腹ばいに坐り、前肢を重ねてそろえた。首をのばし、右斜め上をむいた。尾のまるめ工合いからして、その方がよい。尾が右で顔が左をむいたら、でれりとしてしまう。
ライオンが顔をむけた先に、草原が続き、木が一本はえていた。ライオンは、その木の梢をみつめた。梢の葉は風に吹かれてゆれた。ライオンのたてがみも、ときどきゆれた。
(だれか来てくれるといいな。「なにしてるの?」と聞いたら、「てつがくしてるの」って答えるんだ)
ライオンは、横目で、だれか来るのを見はりながらじっとしていたが誰も来なかった。
日が暮れた。ライオンは肩がこってお腹がすいた。(てつがくは肩がこるな。お腹がすくと、てつがくはだめだな)
きょうは「てつがく」はおわりにして、かたつむりのところへ行こうと思った。
「やあ、かたつむり。ぼくはきょう、てつがくだった」
「やあ、ライオン。それはよかった。で、どんなだった?」
「うん、こんなだった」
ライオンは、てつがくをやった時のようすをしてみせた。さっきと同じように首をのばして右斜め上をみると、そこには夕焼けの空があった。
「ああ、なんていいのだろう。ライオン、あんたの哲学は、とても美しくてとても立派」
「そう? …とても…なんだって? もういちど言ってくれない?」
「うん。とても美しくて、とても立派」
「そう、ぼくのてつがくは、とても美しくてとても立派なの? ありがとうかたつむり」
ライオンは、肩こりもお腹すきも忘れて、じっとてつがくになっていた。
この詩は中学校1年生の国語教科書にも掲載されているという。
この詩をいったい生徒にどう教えているのだろう?と思った。Netでググってみると、(ここ)に教師用の教え方の記事が見付かった。
こんなサイトもあるのだ。それによると、こんな視点で教えているらしい。
「どうもこのライオンは、みんなの持っているイメージのライオンとは違うようだ。一旦、まとめてみよう。
まず、先に答えてもらったイメージのライオンというのは、イソップ物語のライオンに近いな。つまり、他の動物とは王と家来の関係であり、食うものと食われるものの関係であると。「百獣の王」なんてそのままの表現だよね。
一方この話のライオンは「てつがく」のことを考えていて、哲学をほめられてうれしがっているね。どうやら素直で子どもっぽい性格みたいだ。なんせかたつむりに呼び捨てにされて納得しているんだから、他の動物と比べて偉いわけでもない。ライオンとかたつむりの関係は、○○が言ってたけど友達みたいだよね。王と家来じゃない。話し方も、「やあ」「やあ」とか、呼びかけも「ライオン、あんた」に「かたつむり」だもんね。
こんな風に、既存のイメージ、パターン通りの設定とは違うっていうのは、前回の授業でいう、予想外でおもしろいところだ。それに、わざわざこんな風に書いているという点では、表現の仕方がおもしろいと言えるかもしれない。
このパターン通りのライオン。ライオンならこうだろ?と思うわけだけど、この『てつがくのライオン』では違う。この話のライオンは、素直でかたつむりに言われたから「てつがくてき」になろうと「てつがく」してる、というのが大きな違いだったわけだ。」
「さて、『てつがくのライオン』に話を戻そう。ライオンのいう「てつがく」と、かたつむりがいう「哲学」を抜き出してまとめるとこうなる。
<ライオンの「てつがく」>
・かたつむりが教えてくれたもの
・するもの
・なるもの
・すわりかたから工夫するもの
・木の梢をみつめるもの
<かたつむりの「哲学」>
・ライオンは哲学的な様子をしている
・あんたの哲学は、とても美しくてとても立派
きちんとすわり(でれりとしない)、姿勢を正し、何かを見つめようとするライオン。
その姿を、美しくて、りっぱと認めるかたつむり。
かたつむりに認められたことを素直に喜ぶライオン。
うーん、ライオンは一見すると格好いいんだけど、確かに「哲学」を辞書に載っていたように『人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問』だとわかっている、とは見えないね。少なくとも、見た目を気にしているだけなのが哲学かというと、そうじゃない。かたつむりもそんなライオンを認めているところを見ると、わかってないのかなぁ。
そうしてライオンは「哲学」が何かわからないけど、肩こりも空腹も忘れて座り続けるわけだ。これを間抜けだなぁ思うこともできるけど、実は案外そうでもない。
というのは、有名な哲学者、カントの口癖は
「諸君は、哲学を学ぶより、哲学することを学べ。」
だったというし、座禅でも、道元禅師は
「只管打坐(しかんたざ)」
つまり、「ただ坐れ」とおっしゃった。
「哲学」が何かわからなくても、「てつがく」というものを考えて、ただひたすらにそうしようとしているライオンは、本当のことに近づくかもしれないね。
そこでひとつ覚えておいて欲しいのが、このライオンみたいに、「どうすればいいだろうと考えて、実際にそれを行動に移す」ということ。これはすごく大切なことだと思うんだよ。
たとえば「いじめを無くそう」なんてみんなが思うわけだけど、じゃあどうすればいいのかを考えて、行動する人は結構少ない。そうすればいじめは無くなるなんて簡単なものではないけど、もし、考えて行動すれば、少しは良くなっていくと思うんだ。」(ここより)
自分はこの詩を読んで、何とも、直ぐには感想が出てこなかった。どう読めば良いのかピンと来なかった。しかし、この先生の話を聞くと、なるほどとも思う。
何となく、スッとすれ違ってしまう一つの詩。しかしそこには深い意味が隠されている。
中学生と違って、鈍感な自分にビックリ!?
| 0
コメント
作家の野上弥生子は老年になってから哲学の勉強をしようと思い立ち、最後に分かったことは哲学は数学だという事だったと書いていました。詰まるところ、哲学は宇宙、天文学だったという事なのでしょうか。宇宙の片隅に存在している人間社会も全て哲学に関連していると思えばいいのではないかと考えています。私は哲学者?失礼しました。世界の哲学者様。
投稿: 白萩 | 2018年11月16日 (金) 23:39
感性はひとそれぞれだがこのお二人余り好きになれません。近距離で講演も聞きました。
谷川俊太郎さんには質問さえ発しました(蛮勇を揮って)
谷川俊太郎が好きになれない理由
無類の車好き(高級車)
作家の五木寛之も流行作家時代は車に夢中でしたね。車屋さんに貢献するのを咎める権利は私にはないのですが なにか純度が落ちるような気がしたものです。
工藤さんも好みではありません。上から目線を感じました。
【エムズの片割れより】
ま、色々好みはあるようで・・・・
自分が昔夢中になっていて、この所距離を置いているのは・・・・。五木寛之、池上彰・・・
投稿: りんご | 2018年11月17日 (土) 09:06
昔、野坂昭如のコマーシャルで「ソ、ソ、ソクラテスやプラトンで(が?)みんな悩んでおおきくなった。」ってありましたよね。高3のとき哲学の授業がありました。哲学的思索ではなく、哲学の歴史でした。ですから「哲学とは何ぞや」には至りませんでした。
それからずいぶん経ってから、野原で一匹の猫が遠くを見ていました。それを見て私は「あ、哲学している」と何故か思ってしまいました。猫の遠くを見る姿勢が美しくて、静寂そのものの雰囲気がありました。
たしか、「ソフィの世界、哲学者からの不思議な手紙」という本がベストセラー(?)になりましたよね。買って読んでみました。ソフィという女の子が学校から帰ってくると、不思議な手紙が届いていて、その手紙のやり取りですが、まるで「禅問答」です。結局読みきれず途中で止めてしまいました。
白萩さまのコメントにありますように「宇宙の片隅に存在している人間社会も全て哲学に関連していると思えばいいのではないかと考えています。」 分かるような気がします。
投稿: patakara | 2018年11月17日 (土) 11:59