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2018年9月18日 (火)

樹木希林の「死生観」~その語録より

2018年9月15日に亡くなった女優の樹木希林さん。昨日(2018/09/17)のTV朝日の「モーニングショー」で、樹木希林さんの生涯を振り返り、語録を紹介していた。
180918kikikirin 75歳で逝った希林さん。23歳でデビュー。1977年の「日本教育テレビ」から「TV朝日」に社名が変わったときの特番で、「売る物がないから」と「悠木千帆」をオークションに出品。落札金額は2万200円(今の価値でも4~5万円)だったという。
1973年10月に内田裕也と再婚したが、2年ほどでDVが原因で別居。以来45年。
2003年に網膜剥離。手術をしない判断で左目の視力を失う。2004年に乳がん発覚。翌年に右乳房全摘。2013年に、「私ね、冗談でなく全身がんなので、来年の仕事の約束はできないんですよ」と公表。その後、全身13ヶ所にがんが転移したという。(2018/09/18付「日刊スポーツ」より)

その壮絶な人生で、この番組が集めた語録をメモしてみた。

<病から生まれた希林流“仕事との向き合い方”>
死はいつか来るものではなく、いつでも来るものなの、私の場合。だから仕事も先の約束はしない。せいぜい1年以内。仕事の交渉は留守電とファックスで全部自分でしている」(「AERA」2017年5月15日号から)
「亡くなった後の面倒を考えたら、マネージャーや付き人なんて雇えない。電車の切符を買うのも車の運転もすべて自分でやっている。逆に自分でやるからこそ、それが女優の仕事に生きてくる」(
2014/4/22付「東京新聞」夕刊から)

<仕事を選ぶ基準>
(仕事を)選ぶ基準は脚本でも監督でも共演者でもない。「仕事をくれた順番とギャラだけです」 プロフェッショナルとはそういうものであるという信念があった。(
2018/09/18付「スポーツ報知」から)

<病から生まれた死生観>
・「がん」について
「がんはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。ひょっとしたら、この人は来年にはいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう。そういう意味でがんは面白いんですよね」(
2009/2/20付「産経新聞」から)

・年をとること
「年をとることに、絶対にブレーキをかけない。だから、病気もそう、容姿もそう。ブレーキをかけない。ブレーキをかけたって何十年もかけられない。たががはずれたらどどっと来るんですから。ブレーキをかけている苦労のほうが大変じゃない?」(
2014/10/31付「毎日新聞」から)

・病気と映画
「具合が悪くなってテレビがやれなくなって、映画に来させたもらった感じ。もうやりたいこととか何もない。だって・・・ずっと“死ぬ死ぬサギ”やってるんだから(苦笑)。(今後は)まぁ体が続けば・・・ね。私の人生、上出来じゃないの?畳の上で死ねそうだもの」(
2015/6/8付「日刊スポーツ」から)

・生きること死ぬこと
「生きるのも死んでいくのもどちらも日常。生きることは良いことで、死ぬことは悪いこと、というのでは無いと思うのよね」(
2016/2/3付「毎日新聞」夕刊から)

・どうしたらうまく生きることができるのか?
「ほら、手でくみ上げ式の井戸。最初は空気ばっかりで(水が)出てこないでしょ。でも、こうしてやっていると・・・あれと同じ。私、誰もいなくても笑うの。笑っているうちに、ほら、井戸じゃないけど、水がこみ上げてくる!」(
2016/2/9放送NHK「クローズアップ現代」から)

・人生の幕引き
「がんになって、整理を始めました。撮影が終わると台本は処分して、衣類や食器など1日1点は捨てるようにしています。旗を立てて劇的な幕引きをするつもりはない。いつの間にか消えているっていうのが理想でね」(
2018/9/8付「京都新聞」から)

樹木希林さんについては、この5月に「樹木希林の「人生、上出来でございました」(ここ)という記事を書いた。
長くがんと付き合い、達観して死を受け入れた希林さんの言葉は、我々凡人がうかがい知れない悟りの境地から出た言葉のような気がする。

色々な所で語っていた希林さんの数々の名言。誰かが、これらの言葉を集めて本を出すのではないかと思う。
調べてみたら、希林さんの映画は、賞を取ったような映画はほとんど見ていた。「夢千代日記」「39 -刑法第三十九条-」「半落ち」「東京タワー」「歩いても歩いても」「そして父になる」「わが母の記」「あん」そして「万引き家族」等々、とても書ききれない。
遺作となった映画「エリカ38」も、来年公開になったら見に行こうかな・・・・。 

またひとり、大女優が世を去った。合掌。

(付録)
<連載「(語る 人生の贈りもの)樹木希林」(全14回)2018年「朝日新聞」より> 

(関連記事)
樹木希林の「人生、上出来でございました」 

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コメント

希林さん語録をもう一つ・・・9月16日中日新聞朝刊から・・・・長野県上田市の美術館「無言館」は戦没画学生の作品などを展示しており 希林さんは2015年テレビ番組の撮影で初めて訪問。希林さんの人間性や生き方に感銘を受けた館主ー窪島さんの依頼で、同館で毎年実施している成人式に足を運び、新成人にメッセージを送ってくれた。窪島さんは「忙しいのに一人ひとりに丁寧に手紙を書いていて、人柄が伝わった」と振り返る。
 窪島さんは、希林さんが「いま、自分がおもしろおかしく生きている世界は偽りのような気がする」と話していたことを覚えている。・・
 
 実はこの無言館の成人式(5月)に10年ほど前、私はわが息子を参加させようとして窪島さんには ご迷惑をおかけしました。参加の手順は成人を迎える若者が その年のゲストに手紙を書き ゲストからの返事がその式で読まれる、と言った感じだったと思います。ところがうちの馬鹿息子が期限内にどうしても手紙を書かないで、結局・・・その時のゲストは 有森裕子さんでした。
希林さんもきっとそんなやりとりなどがあったりして手紙をかかれただろうなと想像します。
 本題から離れました。仕事を選ぶ基準はーー順番とギャラですとは希林さんの含羞が言わせた言葉と理解しています。ご自分でしっかりと判断されてお仕事をされてきたといいたかったのですが。さて「夢千代日記」の録画でも観ようかな。

【エムズの片割れより】
改めて朝日新聞の連載「(語る 人生の贈りもの)樹木希林」を読みました。(PDFを上に追記)
メモを見たら、「夢千代日記」の舞台になった湯村温泉に行ったのが2000/5/19でした。
出張の帰りの休日を利用して、当日に急遽電話でホテルを予約しましたが、泊まっているのは自分を入れて2組だけでした。
夢千代さんの銅像がありました。しかし吉永小百合さん以上に?樹木希林さんの存在はこのドラマに欠かせないものでした。

投稿: todo | 2018年9月19日 (水) 01:48

いつも聞いている朝のラジオ番組、火曜日のパ―トナーは山田雅人さんです。
樹木希林さんのことを色々話しておられました。
「マネージャーさんに切符を買って貰わずに自分で買いなさい。
仕事は来たのから順番にして選んでは駄目です。」と。

投稿: なち | 2018年9月19日 (水) 18:25

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