「強者」の理不尽~三菱電機・労働裁量制廃止の英断
先日、朝日新聞にこんな記事があった。
「(政治断簡)キリない怠慢、華麗なる欺瞞 編集委員・高橋純子
過日。出張先にて立ち寄った喫茶店のトイレ、個室の右側の壁に貼り紙がしてある。
「最近、トイレットペーパーを大量に使用しているお客様がいらっしゃり、便器が頻繁につまっております」「そのたびに従業員が便器に手を突っ込んで取っています」
なんとストレートな愁訴であろうか。黙ってトイレを詰まらせるとは迷惑千万、後に続くは当然、「大量に使うのはお控えください」だろうと読み進めると……むむ?
「たくさん使っても構いませんので、少量をこまめに流していただけるとつまらなくなると思います。ご協力をよろしくお願い致します」
なぜだ。なぜ「構わない」なんて言うのだ。
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便器に手を突っ込む事態さえ回避できればいい。その気持ちはわかる。わかるから余計に、元凶を正さずに対処法でしのぐということではいけないと思う。おかしいことをおかしいと言わずにいたら人は、生きていく上で土台となる部分をすり減らし、しゃんと立つことができなくなってしまうから。
でもこういうこと、あちこちで起きているんだよねと、個室で独りごちる私。膿(うみ)を温存したまま講じられた“再発防止策”、「行政をゆがめても構いませんので、公文書として残さずメモもこまめにとらないで頂けるとバレなくなると思います」みたいなことをやらされる官僚とかさ。
「強者」の理不尽にさらされ続けると、抵抗する気力を奪われ、そのうち粗末な「エサ」をもらっただけで大変な恩顧を受けたかのごとく感じるようになる。かくして「強者」はますます増長し、さらなる理不尽が横行する。「正直、公正」なんて当たり前のことを言うと叱られるこの国、なんて美しい国。
無理が通れば道理はわりと簡単に引っ込むことを思い知らされたこの6年。ボーッとしていたら飼いならされる。おかしいことはおかしいと声を上げ、気弱な道理を励ましてあげなければならない。見えない首輪をふりほどき、当たり前を取り戻すのだ。
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さて自民党は総裁選のさなかである。政策の中身よりも、恫喝(どうかつ)、締め付け、乗れ乗れ勝ち馬、諸センセイ方のお尻の穴の小ささがいやに際立つ低調な選挙戦、それでも首相は憲法改正が争点だったということにしておきたいのだろう、先月末、横浜市で開かれた自民党の会合で「憲法改正に取り組んでいく責任がある」「発議をしないのは国会議員の怠慢ではないか」と述べたという。
へー。怠慢だって。へー。
ならば教えて頂きたい。
同性カップルを念頭に「生産性がない」と主張し、当事者らから強く批判されたのに公式に会見も謝罪もしない国会議員は怠慢ではないのか。それをなんだかよくわからない「指導」で済ませている自民党は怠慢ではないのか。言い出したらキリがないほど累積している怠慢を放置して憲法改正に固執する首相は怠慢傲慢(ごうまん)華麗に欺瞞(ぎまん)ではないか。
「責任」を言うならまず、自分のお尻を自分で拭く。
話はそれからである。」(2018/09/17付「朝日新聞」p4より)
朝日らしく喝破している。
それにしても、“「強者」の理不尽”があらゆる所で噴出している世の中である。先の総裁選は言うに及ばず、沖縄知事選に至っては、「自公陣営の厳しい締めつけの中、『期日前投票で佐喜真氏の名前を書いた証拠として投票用紙をスマホで撮影。その“写メ”の提出を強制されている』との情報がSNSなどで飛び交っています」(現地関係者)」(ここより)とまでエスカレートしているのだから、到底民主国家とは言えない。
強者による締め付けは、貴乃花の引退問題でも噴出している。
面白かったのは、日本テレビ系情報番組「スッキリ」(2018/09/26放送)の貴闘力の発言。
「・・・2010年に野球賭博問題で解雇されたときのことをこう暴露したのだ。
「だって、正直な話、俺がクビになるときに、理事全員いる前で、『お前、協会に不利益になること言ったら、子供が相撲取りに入るんだから、お前ちゃんと静かにしとけよ』って言われて、それで今までずっと、あんまり言わないで、ずっと我慢してたんですよ」
この発言には、加藤浩次さんも、「今日、ちょっと言っちゃったということですね」と目を丸くしていた。
貴闘力さんによると、相撲協会が貴乃花親方に圧力をかけるというのは日常茶飯事だったという。現役時代に貴乃花親方にやり込められ、立場が逆転したら貴乃花親方をやり込めるケースも多いともいう。」(ここより)
相撲協会は、いじめ抜いたあげくに、窮鼠猫を噛んだ貴乃花に対し、相変わらずの「言っていません」会見。
そもそも、各部屋が協会内にある5つの一門のいずれかに所属することを決めたことこそ、誰が見ても、貴乃花を追い込むためとしか思えない。そして、弱者は潰されていく。
総裁選における“カツカレー食い逃げ事件”(ここ)など、ささやかな抵抗。
先日の朝日新聞にこんな投稿の記事があった。
「「党議拘束」に違和感
国会の議決の際の「党議拘束」に強い違和感を覚える。同じ党派に属していても人さまざま、思想信条にはかなり幅があるはずだ。国民の信任を受けた国会議員が、党の言う通りに行動を縛られるのは、「思想及び良心の自由」「個人の尊重」を定めた憲法の精神に反すると思うが、どうか。納得いく説明がほしい。(神奈川県 男性76)」(2018/09/24付「朝日新聞」p11より)
国民、有権者の代表であるにもかかわらず、ボスの投票マシン化している今の国会。そしてそれを目指す、相撲協会。
そんな中、今朝の朝日新聞がトップで報じたのが、「三菱電機、裁量制の3人労災 14~17年、過労自殺も 今春、全社で制度廃止」という記事。
「・・・労災認定が直接のきっかけではないとしながらも、同社は今年3月、約1万人の社員を対象に適用していた裁量労働制を全社的に廃止した。」
「三菱電機は04年に裁量労働制を導入し、全社員約3万人のうちシステムエンジニアや研究職などの専門業務、経営の中枢で企画・立案などの業務に就く社員約1万人を対象に適用してきた。「労働時間をより厳格に把握するため」(同)に廃止したとしているが、厚労省関係者は「大企業が裁量労働制を廃止するのは聞いたことがない。裁量労働制では労働時間管理ができないと公言したに等しい」と指摘する。」(2018/09/27付「朝日新聞」p1より)
先の国会で「裁量労働制のほうが一般労働者より労働時間が短いというデータもある」という有名な首相答弁(2018/01/29)があったが、その直後に三菱電機は、全社でこの制度を廃止していたことになる。この事実が、当時公表されていたら、国会審議に影響を与えた可能性も否定できない。
ともあれ、今回の三菱電機問題は、制度の廃止という英断に対して、好ましく受け取った。
まさに「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」(間違いを犯したと認識したら、(自らの過ちを認めることを気にせず)躊躇せずに改めるべきであるということ)である。
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