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2018年9月13日 (木)

東京五輪のボランティアは「学徒動員」?サマータイムは国民の「動員」が目的?

昨日の朝日新聞にこんな記事があった。
「「みんなで支える五輪」を問う 学生ボランティア確保/サマータイム突如浮上
 2020年の東京五輪・パラリンピックをめぐって、国が学生ボランティア確保に前のめりになったり、サマータイムの検討導入が突如浮上したりしたことに、「国民の動員だ」と批判する意見が広がっている。「みんなで盛り上げよう」という呼びかけに、「強制」の危うさはないのか。

 ■半強制の動員「憂慮」 学生ボランティア確保
 東京五輪・パラリンピックで、組織委員会は過去最大規模となる8万人の大会ボランティアを募集する。報酬や宿泊費は出ず、1日8時間で10日以上など条件は厳しく、英語など語学力も期待される。近年は商業主義が顕著な五輪に無償参加を求めていることに「ただ働き」「搾取だ」との批判が出た。さらに主力と目される学生の確保を見込んで、文部科学省が7月、大会期間中の授業の変更を認め、ボランティア参加を促すかのような通知を大学に出すと火に油を注いだ。ネット上には「学徒動員」との言葉も躍る。
 「こうした批判が盛り上がるのは、国民みんなで支える五輪という『物語』が破綻(はたん)しているからだ」。ボランティア活動を研究する仁平典宏・東京大准教授(社会学)は指摘する。
 五輪ボランティアは1984年のロサンゼルス五輪で脚光を浴びた。コスト削減に寄与し、成功の一因とされる。ただ、以降は未成熟なボランティアによって運営の不手際が生じたことも。大量のボランティアを使うと報酬は支払わなくてもコストがかさみ、「コンパクト五輪」に逆行するとの指摘もある。
 ボランティア活用は利点ばかりではないのに、組織委が過去最大規模にこだわるのはなぜか。「国民が一丸となった『おもてなし』という『物語』を描いているからではないか」と仁平さんは推測する。「無償」は純粋な気持ちの象徴で、商業主義への反論にもなるからだ。
 だが組織委の思惑と国民の感覚にはずれがあるようだ。64年の東京五輪は戦後の復興と結びついた意識を国全体で共有できた。今回は開催意義がそもそも分かりづらいのに、「国民は参加して当然」というような姿勢が反発を招いている。
 「語学力を試したい」など、個々人の「小さな物語」を実現したくてボランティアを希望する人はいる。こうした行動を「やりがい搾取」などと問題視するのは行き過ぎだ、と仁平さんは考える。
 憂慮するのは、「みんなで支える五輪」という見栄えを守るために、半強制的な動員を「ボランティア」と称することだ。98年の長野五輪でも業界団体や自治体などからの動員が問題になった。「大学も含めて中間集団からの動員は日本のお家芸。都合をつけやすい学生は狙われる可能性が高く、無理な働き方とあわせて、注意が必要だ」

 ■不参加、許されない? サマータイム突如浮上
 標準時を1~2時間早めようというサマータイムは、五輪の暑さ対策を目的に政府・与党が検討を始めた。日本近現代史を研究する辻田真佐憲さんは「競技時間をずらせば済む話なのに、歴史上の出来事だった国民の『動員』をまざまざと見せつけられた」と驚く。
 五輪に興味を持たない自由もあるのが、成熟した社会だ。「夏時間を設ければ、国民は強制的に巻き込まれる。国策イベントへの不参加や無関心を許さないという表れだ」と言う。
 64年の東京五輪は暑さを避けて10月開催だった。今回の真夏の開催にそもそも無理があると考える人は少なくない。しかし力ずくで国民を巻き込んで、何としてでも成功に導こうという姿勢に、辻田さんは太平洋戦争時における日本との共通点を感じてしまう。「五輪関係者の発言で最近目に付くのは、『暑さはチャンス』とか、打ち水の効果を大々的にアピールするとか。竹やりで立ち向かうような精神論に似ている」
 辻田さんのこうした意見がネットに載ると、賛同が多かった。ただ、このような疑問は、大会が近づくにつれてかき消されていく、と懸念する。「『今さら引き返せない』『感動に水を差すな』といった声がきっと増えてくる。大勢が巻き込まれると、そこから抜け出すことはなかなか難しい。同調圧力が高いのは日本社会の特徴ですから
」(宮本茂頼)」(2018/09/12付「朝日新聞」p31より)

我が家はへそ曲がりが多いせいか、こんな話を聞くと、“ナールほど”とツイ思ってしまう。
我が家は、そもそも東京五輪の招致からして「バッカみたい」と思っているので、それに付随する全てに対して、横目で見ている。
しかし、サマータイムの話などを聞くと、確かに「国策イベントへの不参加や無関心を許さない」という匂いを感じる。「どうせ経団連が反対するさ」ナンテ思っていると痛い目に遭うかも知れない。何せ、権力者が目指しているのは、形を変えた「国家総動員法」だから・・・!?

「うがった見方」という言葉があるが、(ここ)を見ると「文化庁が発表した平成23年度「国語に関する世論調査」では、「うがった見方をする」を、本来の意味とされる「物事の本質を捉えた見方をする」で使う人が26.4パーセント、本来の意味ではない「疑って掛かるような見方をする」で使う人が48.2パーセントという逆転した結果が出ている。」とある。

上の議論は、「うがった見方」かも知れない。
しかしこの議論、「疑って掛かるような見方」をした結果では無く、本来の「物事の本質を捉えた見方」をした結果のような気がして怖い。
いやはや、どこか権力者の裏側に、国家総動員法の復活を目指している知恵者が潜んでいると想像すると怖ろしい今の日本ではある。

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コメント

戦後、何年かサマータイムを実施した時は、焼け跡に建った千円バラックに住んでいました。目覚まし時計などはなく時間をどうやって進めて生活していたのかと思うと親は戦争が終わっても苦労は終わらなかったと頭がさがります。
「サンマタイム」と言っていましたね。
今は雨戸のある家に住み太陽の光より、慣れた体内時計で朝起きています。私の体内時計を勝手に変えないで欲しいと願うばかりです。正直なところ私は運動なんかに全く興味がないのです。残り少ない日々をゆったり暮らしたいのです。サマータイムは絶対反対です。精密機械を使っている所には様々な混乱が起こるでしょうね。どうするつもりなのでしょうか。頭が悪い人は人の上に立つなと大声で叫びたいですね。

【エムズの片割れより】
「どう考えても、実施されるはずはない」とタカを括っていられないところに、今の日本の怖ろしさがあるように思います。

投稿: 白萩 | 2018年9月15日 (土) 21:11

エムズの片割れさんの言われるように、日々私も思っています。国内のみならず、日本を取り巻く国際状況、政治家がそれらに対応して行く様子、一体どうなっていくのでしょうか。

投稿: patakara | 2018年9月16日 (日) 10:40

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