藤沢周平の全60作品と、エッセイ4作品(生前出版)を読んだ(ベスト物である「雪明かり」を除く)。ちょうど半年掛かった。 「藤沢周平の全作品を読むぞ!」(ここ )と宣言したのが、2018年4月30日だった。 その前に、既に5作品は読んでいたので、正味55作品+エッセイ4作品。上下巻で延べ79冊、ほぼ2日に1冊を読んだ計算になる。(藤沢周平作品リストはここ )(下の写真のように、読む毎にタイトルをマーカーしていった)
なぜ藤沢周平にこだわった? 前にも書いたが、そもそも出発点は「さて何から読むかな・・・と思ったら、あまりに作品が多すぎて迷う。「エエィ!全部読んでしまおう!」だった。 そして、「いつ挫折するかな?」という自分への興味。そして、読んでいて、いつの間にか目的が「達成感」になった。あと何ページ・・・、あと何冊・・・ これが達成出来れば、自分の今後の人生の過ごし方に「読書」という項目が追加できるかも?という淡い期待・・・!?
「何冊読んだって、どうせ中身は同じだろう?」という悪口を聞きながらも、一通り読んだ感想を記す。
良く言われているように、藤沢作品は、「歴史小説」(事実の追求を楽しむ小説)、「時代小説」(虚構の面白みを楽しむ小説)、そしていわゆる人情物の「市井小説」に分かれる。(「ふるさとへ廻る六部は」p140より) 結論として、自分的には歴史小説はなかなか楽しめなかった。つまり、歴史という事実から離れられないため、主人公の行動が制限され、小説的な面白みに欠ける。それに比べ、時代小説と市井小説は、どれも面白い。 藤沢作品は、名作は多くても、駄作は無いのではないか。つまり、どの作品もある一定の水準を保っているので、読後に「つまらなかった」と思う作品がない。 これはどの作品も絶版が無い、図書館に全てそろっている。という事実からも裏付けられる。中古本屋に行っても、多くの中古文庫は108円が多いが、藤沢作品は定価の半分以上で売られている。
どの作品も、時代と季節と地理が詳細に描かれる。たぶん古地図を見ながら書いているのだろう。古地図の上で、登場人物が自在に動く。情景描写も精緻。たぶん真の藤沢周平ファンは、地図上で登場人物の動向を追って行くことが可能なのではないか。
60作品の最後に読んだのが「早春 その他」。短編「早春」は筆者の唯一の現代小説。これも貴重だが、その後に続くエッセイの「小説の中の真実」が興味深かった。少し引いてみる。
「小説の中の事実 両者の微妙な関係について 小説を書いていると、歴史的な事実に材をとるにしろ、虚構の物語をつくるにしろ、事実とのつき合いを避けるわけにはいかないけれども、そのつき合い方は多種多様で、事実というものはじつに微妙なものだと嘆息することが多い。 調べて調べて相当の事実は出ているのに、本当の事実はまだほかにありそうだ、などという不気味な感じをうけることがある。そういうときに私は事実のこわさに直面しているのである。・・・ 」(藤沢周平「早春 その他」p149より)
「・・・しかしひとつつけ加えると、小説をふくむ文芸一般においては、すでに解明されている事実についてのこの程度の裁量は、許容範囲内におさまるものだろうと私は思っている。文芸は学術的な論考とは違うので、正しい事実がわかったから正しく書かなければならない義理などというものはない。むしろ事実をねじ曲げたり、ふくらましたり、変形させたりすることで、新しい魅力を生み出そうとするものだと考えたい。黙阿弥は片岡直次郎を事実とは違う大番同心にしているが、それで名作「天衣紛上野初花」の値打ちが減るわけではない。 もっともこういうことを書くと、小説家はいつもデタラメを書いているように思われかねないが、この稿の直次郎の場合は例外で、時代小説作家である私はふだんは神経質なほどに考証に気をつかっているので、書かれている事実はかなりのところまで信用してもらっていいのである。・・・」( 同p158より)
「私が丹念に資料をしらべて、出来るかぎりの事実をとりあつめて剣客小説の細部をかためるのも、そうすることで多少なりとも小説にリアリティを付与したいねがいがあるからにほかならない。ずいぶん前のことで、記憶もたしかではないが、以前井上ひさしさんが作者はひとつの嘘を信じてもらうために九十九の事実をならべる、という意味のことを言われたことがある。 この嘘が虚構の真実というものであり、小説には事実よりも重視しなければならないものがある、と井上さんは言っておられるのである。言い方は少し違うけれども、私が述べてきたこともこれと同じことを言っているのである。」( 同p161より)
先に書いたように、藤沢作品は、地理的な精緻な表現とともに、時間軸においても緻密な表現が多い。自分は、ほとんど気にしていなかったが、それらが詳細な取材による正確さを持っている事を、このエッセイを読んで分かった。
同様に、歴史小説における精密さは「白き瓶 小説 長塚節」が際立っている。文庫本で800ページの大作。まさに長塚節のたどった人生が精密に書かれていて、まるで本人が書いた「私の履歴書」みたい。
これら多くの作品を、どんな順序で読むか?自分は、シリーズ作品はまとめて読んだ。その方が分かり易い。
60作品の後に、著者の生前に出版された4つのエッセイ「周平独言」「小説の周辺」「半生の記」「ふるさとへ廻る六部は」を読んだ。これはいわゆる自分にとっては“復習”で、作品の背景が良く分かる。 しかしこれらは図書館ではあまり借りられていないようで、「半生の記」などは30年前の文庫本で、中身のページが赤く焼けていた。 エッセイ「周平独言」は、小説家藤沢周平の身近な出来事。人となりが良く分かる。 そしてエッセイ「小説の周辺」が面白かった。図書館では、数少ない単行本。しかも初版本。文庫本が置いて無かった事から、これもあまり借りられていないようだ。
エッセイの中で、氏の思想的心情が垣間見えたのが?「信長ぎらい」という短文。「信長ぎらい ・・・ 嫌いになった理由はたくさんあるけれども、それをいちいち書く必要はなく、信長が行なった殺戮ひとつをあげれば足りるように思う。 それはいかにも受けいれがたいものだったのだ。ここで言う殺戮は、もちろん正規の軍団同士の戦闘のことではない。僧俗三、四千人を殺したという叡山の焼討ち、投降した一向一揆の男女二万を城に押しこめて柵で囲み、外に逃げ出せないようにした上で焼き殺した長島の虐殺、有岡城の人質だった荒木一族の処分、とりわけ郎党、侍女など五百人余 K奉公人を四軒の家に押しこめて焼き殺した虐殺などを指す。」 「こうした殺戮を、戦国という時代のせいにすることは出来ないだろう。ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺、カンボジアにおける自国民大虐殺。殺す者は、時代を問わずにいつでも殺すのである。しかも信長にしろ、ヒットラーにしろ、あるいはポル・ポトの政府にしろ、無力な者を殺す行為をささえる思想、あるいは使命感といったものを持っていたと思われるところが厄介なところである。権力者にこういう出方をされては、庶民はたまったものではない。 冒頭にもどると、たとえ先行き不透明だろうと、人物払底だろうと、われわれは、民意を汲むことにつとめ、無力な者を虐げたりしない、われわれよりは少し賢い政府、指導者の舵取りで暮らしたいものである。安易にこわもての英雄をもとめたりすると、とんでもないババを引きあてる可能性がある。」(「 文藝春秋」平成4年9月号)」(「ふるさとへ廻る六部は」p172より)
今の(政治の)世の中にあてはめると、ゾッとする!? ババは早く捨てねば!? おっと、話がそれた!
話は戻るが、藤沢周平はよく推理小説を読んでいたという。そのせいか、短編はいわゆる謎解きのように感じた。最後に?の解が示される。市井小説は、最後にほろっとくることが多いが、ナーンダという結論もある。例えば、「龍を見た男」にある「女下駄」(ここ )のストーリー。再婚の夫婦。女房が若い男と内緒で会っているという。亭主は疑心暗鬼でやきもきするが、結果は弟だった、という話。
短編は、20数ページでも、場面設定や登場人物の位置付けが必要なので、自分の頭の中でそれらを描いている内に読み終わってしまう。慣れる前は、読んだ後に“復習(読み直し)”しないと良く分からなかった。その点、長編は、いったん登場人物を頭に描くと、幾つものエピソードが続くので楽。でも短編は、言いたいことが単純素朴なので、分かり易い。逆に歴史小説は、入り組んでいて難しい。 まあ、「密謀」の直江兼続のような有名人が主人公の話は、良く分かるが、他はとにかく登場人物も多く、複雑。
自分は、読んだ本はExcelにメモしている。そして5点満点で面白かった点数を付けている。今回読んだ藤沢周平作品のエッセイ4つを含む59作品(5作品は前に読んでいた)の内訳は、5点が14作品、4点が26作品、3点が16作品、2点が3作品だった。
話は飛ぶが、自分が以前から録ってある「NHKラジオ深夜便」のmp3ファイル。藤沢周平で検索すると、「没後15年”藤沢周平”を語る 松平定知」( 2012年3月31日放送)と「わが心の人~藤沢周平 長女・エッセイスト 遠藤展子」( 2017年1月20日放送)の二つがヒットし、改めて聞いてみた。 松平定知さんの朗読については、前に「朗読「藤沢周平:海鳴り」が終わった」( ここ )という記事を書いたが、この放送によると、氏が藤沢周平と出会ったのは、一日3.5~4時間しか寝ていないので、昼休みに仮眠室に行ったら、そこにあったのが藤沢周平の本で、それで藤沢ワールドのとりこになったとのこと。そして数年間、朗読の番組をさせろと上申し、やっとそれがかなって、ラジオ深夜便の7年間を含めて9年間朗読の放送を続けたという。6年も前の放送だが、藤沢周平の魅力を語っているので、少し聞いてみよう。
<没後15年”藤沢周平”を語る 松平定知>
そして同じく遠藤展子さんの放送では、藤沢作品の最初の読者は奥さまで、誤字脱字をメモにして指摘していたという。そしてこの時点では、遠藤さんは藤沢作品全部はまだ読んでいないと言っていた。 藤沢作品でひとつ“ホッとした表現”を見付けた。「手をこまねく」という言葉。自分は元来「手をこまねく」と言っていた。それが新聞などでは「手をこまぬく」を頑なに使っている。藤沢作品では素直に「手をこまねく」。一般的には「手をこまぬく」よりも、「手をこまねく」が多く使われていると思うのだが・・・
最後に、図書館の本について。 とにかく、はっきり言って図書館の本は汚い。そして水濡れが多いので読む気がしなくなる事がある。たぶんこれは雨の日に借りて、家まで運ぶ途中で、雨に濡れたのでは無いか? よって図書館では、水濡れをさせた人には弁償させるくらいのスタンスが必要では無いか?または、100均の薄いポリ袋を用意して、それに入れて本を貸し出せば、水濡れに対する警鐘にもなり、防げるかも・・・
ともあれ、自分の人生で、初めてある作家の全作品を読んでみた。これで、何とか読書のクセは付いた。カミさんは、どうせ前に読んだ本は忘れているから、読み直すと2度楽しめる。と言うが、これを機に、名前は知っていても読んでいない本を色々と読んでみようかと思っている。読書に対する自信は付いたようなので・・・
たぶん永遠に生き続ける藤沢周平の作品ではある。
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