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2018年8月14日 (火)

日本における英連邦・戦争捕虜の実態~笹本妙子さんの話

NHKラジオ深夜便で「明日へのことば“平和への橋わたし”放送ライター 笹本妙子さん」(2018/08/10放送)を聞いた。
日本における捕虜の実態を初めて知った。少し聞いてみよう。

<NHKラジオ深夜便「平和への橋わたし」笹本妙子さん>

この番組について、文字起こしをしてくれているサイトがあるので(ここ)から一部を引用すると・・・
平和への橋わたし 笹本妙子(放送ライター)         
21年前笹本さんは自宅近くにあるイギリス連邦墓地での戦没捕虜追悼礼拝の記事を目にします。
笹本さんはそこが日本で亡くなった戦争捕虜たちの墓地であることを知りませんでした。
墓地に眠るのは1942年から45年までに日本国内で死亡したイギリス、カナダ、オーストラリアなどの捕虜1720人です。
こんなに多くの人たちが何故ここに葬られているのか笹本さんはそのいきさつを調べ始めます。
16年前笹本さんは捕虜問題に関心を持つ人達に呼びかけて捕虜収容所の実態を調べます。
南方から日本に辿りついた捕虜はおよそ3万6000人、全国130か所の収容所に入れられ、鉱山、工場、造船所などで働かされます。
そしておよそ3500人が栄養失調や病気で死亡したとされています。
笹本さん達は調査とともに元捕虜やその家族との交流活動を積み重ね、消しがたい憎しみを解消することにも努めて来ました。
平和への橋渡し、笹本さんに伺いました。

POW(prisoner(s) of war 戦争捕虜)研究会という会を作って、英語でもホームページを出していまして、頻繁に問い合わせがあります。
捕虜の御家族がたずねてみたいとか、しょっちゅうあります。
情報を提供してその人が何処に収容されていたのかと判ると、一緒に同行して収容跡地にご案内したりしています。
すべてボランティアでやっています。
英連邦戦死者墓地と言いますが、この墓地の存在を知ったのは40年前になります。
或る日、墓地に踏み込んでみたら無数の墓碑がならんでいてほとんどの人が1942年から45年に亡くなった人達でした。
何でこの人達が戦死者として埋葬されているのか不思議でした。
図書館に行って調べに行ったが判りませんでした。
1997年にたまたま新聞での戦没捕虜追悼礼拝が行われたという記事を見ました。
埋葬されている人達は捕虜だったと書いてあり吃驚しました。・・・・」(
ここより)

「POW研究会」(ここ)というサイトがあるとのことで少し覗いてみた。
Campmap_j 国内の捕虜収容所の記事を読んでみたが、知らなかったとは言え、国内に非常に多くの収容所があったという。そして、そこには、自分のたどってきた人生と接触のあった場所も幾つかある。それらの記事を読んでみると、事細かな取材を元に、当時の状況を描き出していた。

Netで検索すると、英国の勲章が贈られていたとのこと。「Newsweek」にこんな記事があった。
世界が尊敬する日本人 田村佳子・笹本妙子(活動家)
 祖国ではほとんど知られていない女性に、イギリスの女王が勲章を贈るのは稀有なこと。だが勲章を贈られた田村佳子と笹本妙子は、まさに稀有な存在だった。
 神奈川県に住む2人はこの30年、第2次大戦中に日本に収容されていた戦争捕虜に関する情報を集めてきた。記録を隠し、過去の罪を忘れようとする風潮のなか、事実の究明は困難を極めた。
 元捕虜たちの苦悩を癒やすため情報収集に「うむことなく献身」してきた2人に、駐日英大使館は06年5月、女王に代わって名誉大英勲章MBEを授与した。謙虚な2人は、自分たちの所属する団体「POW(戦争捕虜)研究会」全体に対する叙勲と受け止めている。
 研究会ネットワークの長年の調査が実り、昨年ようやく英語のデータベースを公開できた。収容所で死亡した捕虜の記録など、貴重な情報が提供されている。
 イギリスのワーウィックに住むリチャード・ブルッカーもその恩恵を受けた1人だ。ブルッカーは日本で亡くなった母方の祖父の足跡をずっと探ってきた。「 公表された情報はどこにもなかった。データベースで初めて詳細がわかったときは涙が出た。幼くして父親を失った母や祖父を知らない私にとって、(彼女たちは)英雄だ」
 田村がこの問題に関心をもったのは偶然だった。結婚して横浜に住むことになった彼女は、横浜・保土ヶ谷の英連邦戦死者墓地に大勢の若い兵士が眠っていることに衝撃を受けた。地元の人たちも、なぜここに墓地があるのか知らなかった。田村は笹本らとともに、多くの日本人にこの問題を知ってもらおうと奮闘してきた。
 2人は日本を訪れた元捕虜や遺族のガイド役も務めてきた。ブルッカーも母親とともに、2人の案内で祖父がいた収容所の跡地と保土ヶ谷の墓地を訪ねた。
 「私たちのささやかな努力で、人々の心の傷が少しでも和らぐならありがたい」と、田村は言う。彼女たちの努力は決してささやかではない。イギリス女王もその成果を認めている。Newsweek[2006年10月18日号掲載]」
ここより)

日本人でさえ、日本国内の捕虜の実態を知ることは難しい。資料が敗戦に伴って処分されていることもある。まして、国外の捕虜の子孫からは、それらは全くうかがい知れないこと。
その扉を、この会はこじ開けた。そしてその実態を英語で発表。そして、多くの捕虜の子孫が、Netを通してその実態を知ることになったという。
これらの活動は、たぶん、国内ではそう評価されることは無いのかも知れない。原爆始め、被害者としての事件は大いに語られるが、加害者としての実態からは、目を背けてしまう。
同じような活動は、2016年8月6日の広島で、オバマ大統領が抱きしめた森重昭さんを思い出す(ここ)。
森さんは、被曝死した12人の米兵の調査に大統領が感謝したもの。そして、上の活動は、英連邦の捕虜の調査。

日本には、戸籍がある。自分たちの祖先をたどるのは戸籍を通じて可能である。前に「母の実家、宮原家の家系図を作った話」(ここ)という記事を書いた。
自分たちの存在の原点である祖先。それも、つい先である祖父母でさえも、早く亡くなっていると、その姿は知る術(すべ)がない。

今はお盆の季節。そして明日は終戦記念日。
何度も書くが、人間の死は二つあり、一つは肉体の死。そしてもうひとつが忘れ去られる死、だという。
「POW(戦争捕虜)研究会」のサイトを多くの人が覗き、加害者としての実態を知って、“戦争は絶対悪”という事実を後世につなぐのも、我々世代の務めかも知れない。

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