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2018年8月28日 (火)

八王子将棋クラブ~2018年12月末(24日)で閉店

八王子の、いや全国のアマチュア将棋ファンに激震が走ったという。八木下征男さん経営の八王子将棋クラブがこの12月末(24日)で閉店するという。

八王子将棋クラブの機関誌「八将タイムス」の8月26日号のトップにこんな記載が出た。
八王子将棋クラブ 12月末に閉店!!
180828yagisita1 42年もの長い間、皆さまと一緒に続けて参りました八王子将棋クラブも、12月末をもって閉店することになりました。理由は渋谷ビルの老朽化による改修工事と、席主・八木下の闘病からくる体力の衰えによるものです。」(
写真はここから拝借)

席主・八木下さんについては「八王子版タウンニュース(2017年11月30日号)」にこんな記事が載っていた。

羽生さんらの出発点に 横山町・八王子将棋クラブ
 現在、史上初となる将棋の「永世7冠」を目指し、竜王戦に挑んでいる羽生善治さん(47)が小学生時代、腕を磨いた場所が市内にある。横山町の八王子将棋クラブだ(当時は東町)。先月、羽生さんを破り、王座に就いた中村太地さん(29)ら多くのプロ棋士たちの「出発点」にもなってきた。
180828yagisita2  パチ、パチ、パチ――。50平方メートル程度の室内いっぱいに小学生から大人が集まり、無言で駒を指し合う。場所こそ、東町から横山町に移ったものの、1977年のオープン以来、八王子将棋クラブの変わらない光景だ。現在は週5日営業。子どもたちにとっては大人と対局し力試しできる貴重な場であり、大人たちには趣味を楽しめる息抜きのスポットとして多くの「まち棋士」を受け入れてきた。
 「山あり、谷ありで大変だったね」と店主の八木下征男さん(74)はこの40年間を振り返る。

「仕事に追われたくない」
 元々、電気設備関係の仕事に就いていた八木下さんが将棋クラブを立ち上げたのは「仕事に追われない」環境に身を置きたい、と考えたため。高度成長期のなか、仕事に忙殺される毎日を送っていたなかでの決断だった。「20歳過ぎまで将棋はルールを知っている程度だったんだけど、社内の大会で思わぬ好成績を収めたことからのめり込んでいったんだよ」。やればやるほど、結果がついてくる将棋の奥深さに惹かれたことが起業の後押しをした。

忘れられない出会い開業2年目に
 忘れられない出会いが開業2年目の夏。小中学生対象のトーナメント大会を企画したところ、母親と共に当時小学2年生だった羽生さんがクラブに来た。「お母さんに背中を押されて、という感じだったね。ほがらかでもの静かな子だったよ」。そこで飛車角と桂馬、香車の6駒無しで羽生少年と対戦したところ、八木下さんが勝利。ただ、次戦では接戦、3戦目で負けてしまった。敗戦の要因を徹底的に分析し改善策を立ててくる――。「飲み込みの早い子だったね。将棋の本も隅から隅まで読んできたようだった」と八木下さん。この一戦に勝てば級が上がるという試合に負けても、淡々と「次、勝てばいいんだよ」と話す羽生少年の姿に精神的な強さを感じたという。
180828hatioujishougiclub1  この出会いがクラブを日本一とも言えるほど有名な将棋道場に変えた。羽生さんが初めて7冠を獲得した96年から5年間ぐらいは、羽生さん「出身クラブ」として有名となり、毎日100人を超えるぐらいのお客さんが来るように。そのなかには羽生さんに憧れ、プロ棋士を目指す少年たちも含まれていた。「中村君が羽生君に憧れ、今では中村君を目指して当クラブに来る子も少なくない。羽生君から始まったこの好循環が、女流を含め10人を超えるプロが幼少期に当クラブを利用してくれていた理由になっていると思う」と八木下さんは考えている。

今は生きがいに
 「オープン当初はこんなにも有名なクラブになるとは、夢にも思わなかった。ゆっくり仕事をしていきたいと思っていたんだけど」。ただ、知名度が上がったとはいえ、一般の平日1日分の利用料金が800円である将棋クラブで生計を立てていくのは困難なことだという。「だから、私の跡を人にはお願いできないよ。今は生きがいとして運営している部分が大きい」。無理なくできる所まで。一緒にクラブを運営している妻のひろ子さんとそう決め、八木下さんは「まち棋士」たちを迎え続けていくつもりだ。」(「
八王子版タウンニュース(2017年11月30日号)」ここより)

閉店を発表した今となっては、上の「だから、私の跡を人にはお願いできないよ。今は生きがいとして運営している部分が大きい」という言葉が、数か月後の閉店発表を暗示しているようだ。
たぶん今は75歳。透析をしながら頑張ってきたが、「寄る年波には勝てぬ」ということなのだろう。

実は自分自身は、将棋は出来ない。しかし昔書いた「大山・羽生 将棋 史上最強はどっち?」(ここ)という記事に、将棋ファンのKeiichiKodaさんからたくさんのコメントを頂きながら、自分も将棋について教育されて!?しまった。
しかし、同じ八王子ということもあり、このニュースは驚きだった。でも、何でも終わりはある。
たぶん12月末の閉店の際には、八王子将棋クラブが排出した名棋士、羽生善治、阿久津主悦、中村大地、長岡裕也、増田康宏の各プロ棋士が駆け付けるのではないか。各棋士にとっても、故郷、居場所が無くなることになるので・・・
しかし、将棋という日本の伝統文化が、意外にも八木下さんのような個人努力によって支えられていたことを改めて思い知った。

★2018年8月29日付「朝日新聞」夕刊(ここ)より
180829asahiyuukann

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コメント

ちょっと意外で驚きました。八王子将棋クラブと席主の八木下さんについては、私も、エムズさんが言及されている欄で何度か触れてきました。八木下さんはつい半年ほど前も日経新聞の文化欄で、「(八王子将棋クラブは)40周年を迎え、八王子将棋クラブというと、ちょっとした将棋の聖地になっている」と書かれていた(2017/12/22の私のコメントをご覧ください)ので、闘病中だとは知りませんでした。八王子将棋クラブと八木下さんの存在を知るようになったのは、たぶん羽生さんが5段時代の1988年度NHK杯戦で4人の現名人を含む名人経験者(大山、加藤、中原、谷川)を破って優勝したあと、飛矢正順氏の「四人の名人を破った少年、天才羽生善治の研究」を読んだとき以来だと思います。この本を書くにあたって飛矢氏は羽生さんが子供時代に修行した八王子将棋クラブの席主の八木下さんにも取材して、羽生さんの子供時代のエピソードをいくつか書いています。このクラブは1番下は7級からはじめるだけれど、まだ将棋をはじめたばかりの羽生さんのために15級を用意し、羽生さんの級を毎回来るたびに級を1つずつ上げていった。迎えに来たお母さんに今日も級が一つ上がったよなどと嬉しそうに報告する羽生さんの姿も描かれています。
竜王戦の挑戦者も決まりました。闘病中の八木下さんのためにも羽生さんには竜王のタイトルを防衛し、タイトル100期の記録を達成してほしいですね。

【エムズの片割れより】
今は「おつかれさま」と言うしかないですよね。
(実は、自分がこの話を聞いたのは、「八将タイムス」を見てビックリした息子からカミさんへの電話。閉店する前に、九州から挨拶のために戻ってくると言っていました。息子にとっても、長年の居場所だった訳で・・・)

投稿: KeiichiKoda | 2018年9月12日 (水) 19:10

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