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2018年7月12日 (木)

現政権の知らんぷり対応 見抜かれている無関心

先日の西日本豪雨で、死者行方不明者が250人にも達し、各自治体や自衛隊が暑い中で必死に遺体の収容に当たっている。
そんな状況下で、“我々が選んだ”自民党政権は、被災者を横目に、こんな動きをしている。

参院6増、採決強行 参院通過 今国会、成立確実に
<視点>自民の「党利党略」
 熟議が求められる国会の中でも、選挙制度改革はとりわけ丁寧な議論が求められる。多数派が自らの都合に合わせて選挙のルールを変えられるようになれば、議会の正当性という民主主義の土台が大きくゆらぐことになる。
 自民党は今回、立法府に属する議員が守るべき大前提に背を向け、「党利党略」と批判を受ける6増案を押し通した。比例区に特定枠を設けるのは、合区で選挙区を失う同僚議員の救済策でしかなく、賛同は広がらなかった。
 自民の横暴を戒め、他党が受け入れ可能な打開策を示すのが中立の立場にある参院議長の役割だろう。過去の選挙制度改革ではこうした努力は見られたが、自民出身の伊達忠一議長は役割放棄したように見える。
 前回参院選を経て単独過半数を回復した自民のおごりを感じざるを得ない。衆院の審議では民主主義が危機にあるとの認識を共有すべきではないか。(石松恒)」(
2018/07/12付「朝日新聞」p1より)

一方、彼の博打(カジノ)法案は「「人命第一と言いながらカジノ第一。本当にア然とする」(立憲民主党の辻元清美国対委員長)、「カジノ審議が遅れても、国民は誰も困らない」(自由党の山本太郎共同代表)」という指摘も無視し、“災害というどさくさ”に紛れて突き進んでいるようだ。

こんな状況でも、改革支持率が上がっている原因は何だろう?という視点で新聞を読んでいると、こんな記事が目に止まった。

「(思考のプリズム)現政権の知らんぷり対応 見抜かれている無関心 國分功一郎
 先日、ドイツの若い哲学者マルクス・ガブリエルと公開討論する機会があった。民主主義をテーマとした討論の中で私は、「いま日本では役人による公文書改ざんが問題になっているのだが、驚くべきことに人々はこれにほとんど怒っていない」と述べた。
 そのとき私の念頭にあったのは、哲学者ハンナ・アレントがその著書『全体主義の起原』のなかで、20世紀初頭に現れた大衆社会を分析して述べた言葉、大衆は何事をもすぐに信じるが同時に何事をも信じていない、であった。
 公文書の改ざんは未曽有の疑獄事件と関わっている。ウソにウソを重ねた関係者たちの矛盾点は既に暴かれている。会見して事情を説明すべき人物は国民の前に現れない。政権はただほとぼりが冷めるのを待つばかりだ。
 ところが、この事態を前にしても世論が怒りに震えることはない。どんなにありそうもないウソでも受け入れ、それがデタラメだと分かってもけろりとしている。アレントはそのような態度を指して、軽信とシニシズムの同居と呼んだ。何でもすぐに信じるが、確たる信念を何一つ持っていないから、騙(だま)されたと分かっても平気なのだ。
     *
 アレントは大衆社会の最大の特徴を、「自分の幸福への無関心」に見ている。私は最近、同書を読み直しながら今の日本社会を想起せざるを得なかった。確かに私たちはいま、自分たちの幸福に対して関心を持てなくなっているのではなかろうか。
 こう反論する人がいるかもしれない――。今の日本社会は、「自分さえよければよい」と思っている人ばかりではないか、と。もしそのような反論を思いついた人がいたならば、それこそ現代における幸福への無関心を如実に示す証拠であると言わねばならない。
 幸福には未来への見通しや理想が欠かせない。「自分さえよければよい」というのは「自分だけは災難を避けたい」という焦りの表現に過ぎない。だが、いま私たちはそうした焦りを幸福への関心と混同してしまうほどに混乱した社会を生きている。
 自分の幸福への関心は、自分たちの幸福への関心と切り離せない。だが、自分の幸福に関心がないのだから、自分たちのそれについて関心を持ちうるはずがない。だから、自分の生きる場が危機に晒(さら)されても、それに真剣に対応しようとしない。騙されてもシニシズムでやり過ごせる。
     *
 すべては、人が何らかの信ずる価値を持てずにいることに由来しているように思われる。何かを信じていないから、何でもすぐに信じてしまう。自分の幸福への無関心もおそらくそこに由来する。
 ガブリエルは討論の中で、ドイツ基本法の第1条が掲げる「人間の尊厳の不可侵」という価値について堂々と語った。私はそのことをとてもうらやましく思った。日本の憲法もまた「基本的人権の尊重」をその原理の一つとして掲げている。しかし私はそれを彼のように堂々と語ることはできない。その価値は日本では少しも信じられていないからである。
 現政権はこれまで、どんな批判に対しても知らんぷりをすることでやり過ごしてきた。歴代の政権であれば「さすがにそれはマズい」と考えるようなことも平気で実現している。その最大の例は2014年の閣議決定による憲法解釈の変更だ。
 政権の知らんぷりが通用するのは、私たちが「これだけは譲れない」という何らかの価値を信じることができずにいるからだろう。政権はそのことを見抜いているから、このような事態に陥っても少しも焦っていないのである。(哲学者)」(
2018/07/11付「朝日新聞」夕刊p2より)

「何でもすぐに信じるが、確たる信念を何一つ持っていないから、騙(だま)されたと分かっても平気なのだ。」
「自分の幸福に関心がないのだから、自分たちのそれについて関心を持ちうるはずがない。だから、自分の生きる場が危機に晒(さら)されても、それに真剣に対応しようとしない。騙されてもシニシズムでやり過ごせる。」

という指摘をどう捉えるか?

*シニシズム=「徳こそ唯一の善であり,幸福は欲望から自由になることによってのみ達せられると説き,学問,芸術,贅沢,快楽を軽蔑して反文化的禁欲的生活を唱えた古代ギリシアのキュニコス派の立場。 転じて一般に,道徳,習慣などを無視し万事に冷笑的にふるまう態度をいう。」

「政権の知らんぷりが通用するのは、私たちが「これだけは譲れない」という何らかの価値を信じることができずにいるからだろう。政権はそのことを見抜いているから、このような事態に陥っても少しも焦っていないのである。」
まさに、「政権」対「国民」の戦い、と捉えると、現在は完全に政権の勝ちの状態。
今、衆院解散総選挙を打っても、自民党の過半数は動かないという。そこまで国民は舐められている。しかしこれが現実・・・
国民は何をされても怒らず、現政権にやりたいようにやらせている。その影響が我々に届くのはたぶん孫の世代になってからだろう。その時は、どうせいないからいいや!??

財政問題と言い、自分たちだけ良ければ・・・がはびこっている情けないのが、今の状況かも!?

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