組織内での情報は筒抜け~「信用しない」がスタート
今朝(2018/07/25)の朝日新聞のトップはこんな記事だった。
「野田氏側へ文書、金融庁漏出 情報開示決定前「閣僚なので共有」
野田聖子総務相の事務所による金融庁への説明要求に関し、朝日新聞が同庁に情報公開請求した内容が漏れていた問題で、同庁は24日、取材に対して、請求者に関する情報を含めて開示決定前に総務省に伝えた、と認めた。同庁幹部である審議官も了解のうえで、開示決定通知書などを事前に渡していたという。「閣僚の一人に関する請求で報道される可能性が高いため、共有しておいたほうがいいと判断した」としている。
■請求者情報も伝達「反省」 金融庁
野田氏は同日の閣議後会見で、伝え聞いた内容を第三者に漏らしていたことを正式に認め、「慎重さに欠けたと反省している」と謝罪した。情報公開制度を所管し、請求内容の漏出防止を指導する総務省のトップが自ら漏らしていたことに加え、金融庁が閣僚に関するものであることを理由に他省庁に決定通知書まで渡していたことが明らかになり、制度の信頼性が大きく揺らぐことになった。
朝日新聞は5月2日、金融庁に、野田氏の事務所が違法性を指摘されている会社の関係者を同席させ、同庁の担当者に説明をさせた際の面会記録の開示を求めた。金融庁は5月31日付で開示決定通知を出した。
金融庁の説明によると、同庁の情報公開担当者は開示決定前の5月23日、総務省に出向き、大臣室職員に請求内容などが書かれた開示決定通知書や、開示する方針の面会に関する記録を手渡したという。請求者名は黒塗りで隠したが口頭で朝日新聞の記者であることを伝えた、としている。こうした手続きは、国会担当の審議官も了解したという。
野田氏によると、23日のうちに開示請求の内容と請求者が朝日新聞であることを聞いたという。野田氏は5月下旬、複数のメディアとの懇親会の場で、自身の事務所に絡んで朝日新聞が金融庁に情報公開請求をしている、と漏らした。
金融庁は取材に「請求者の情報を伝えたことは反省している。今後、情報公開法の適切な運用に努めたい」とした。野田氏は会見で「(金融庁からの情報伝達は)不適切だった。(自分が知った時点で)注意喚起するなどの対応を取るべきだった」とし、「記者との懇親会で問題意識を持たず、話題としてしまったのは慎重さに欠けた」などと述べた。(沢伸也、角拓哉、長谷文)」(2018/07/25付「朝日新聞」p1より)
そう、行政府としての国の機関は、一体の組織。そこに対する“ヤバイ話”は、縦割り組織の枠を超えて、危機管理にひた走る。まさに国家公務員の互助会である。
話は変わるが、企業などには、組織内の不祥事などに備え、内部通報制度が整備されるようになった。これは、自分の組織内の不祥事などを外部に、いわば密告するような制度なので、通報者の秘密が確実に守れなければ機能しない。つまり、相談された側は、相談者の人権(身の安全)について、完全に保護しなければ機能しない。
しかし、現実はどうか?ほとんどの企業の内部通報は、その情報が当事者に垂れ流しされ、通報者にとって安心して相談できるようにはなっていない。それは担当社員の無知から来ている。よって、通報先を顧問弁護士事務所にしている企業もあるが、これはそれらの現実を見ての対応。
そもそも、上記のように、取り締まる役所のトップが上のような体たらく。組織内での自己完結はどだい無理な話。
こんな話を読むと、若い頃の苦い経験を思い出す。
あるとき、直属上長の問題を、その上の上長に相談したことがあった。その後、上長から「お前はこんな事を上に相談に行ったんだって?」と言われた。聞くと、自分が相談した上の上長が、何とその当事者の直属上長を呼び、「君の部下からこんな相談が来たが、どうするんだ?」と言われたとか・・・
その経験はトラウマになって、いまだに思い出すことがある。
この経験で悟ったことは、「上の人を信用した自分がバカだった」「単なる組織上の立場(上の立場の人)で判断するのではなく、自分が相談するに値する人物かどうかを、よく見極めなければダメ」ということ。
もちろんその上の人に対する自分の信頼度は0%で、その後も仕事上では長い関係があったが、本音ベースで話をすることは皆無だった。
結局は、“わきまえ”だろう。朝日新聞の事件も、話す方も、聞く方もお互いがわきまえていれば、バレない。つまり問題にならなかったかも。しかし、違法なことは、どこかにほころびが出る。結局は組織内で止まらず、先の財務省の公文書偽造のように、外部のメディアに“内部通報”してバレる。
ここで重要なことは、自浄作用が効かない、ということ。自分の組織のことを内部通報制度で通報しても、自分の組織によって潰される。そして犯人捜しのすえ、通報者が組織から干される。
だから、誰も見て見ぬふりをして、不祥事が放置される。そして、どうしても許せない場合は、外部にチクるしかない。内部で、“下手人”を徹底的に捜されるキケンを犯して・・・・
組織で生きていかなければならないサラリーマンは、経験でボタンの押し方を覚えていく。何かの課題が発生すると、どの組織の誰にこう手を打って(こういう話をして)、その次に誰にこう手を打って・・・・。それらの手順は、自動的に頭の中で構築される。それが出来ない人は、経験不足。この動きを日本では根回しと言う。
年金生活者になって、こんな“人との軋轢”から解放されて、今は自由を謳歌。
よって、この所、昔の会社のいわゆる同窓会が面倒になってきている。つまり、会社を卒業しても、これら同窓会は、昔の人間関係の軋轢をそのまま持ち越している組織だから。昔の上長は、定年退職して何十年経っても、相変わらず昔のままの上長なのである。
それに嫌気が差し、この所、同窓会には行っていない。年賀状もすべて止めようと思っている。
最大のストレスは人間関係。気が向かない人間関係からは、そろそろ身を引いても良い年代では?
新聞を読みながら、情報の扱い、人間関係、軋轢など、昔の現役時代のことをつい思い出してしまった。それに引き換え、今の年金生活は天国だ~!
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