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2018年7月 1日 (日)

「栄冠は君に輝く」~全国高等学校野球大会の歌

関東地方は梅雨も明け、晴天が続いている。
今年は全国高校野球選手権も100回目を迎え、今日は東京大会で開会式が開かれたという。
この大会の歌について、先日こんな記事があった。

「栄冠は君に輝く」、夢と挫折の物語 「本当の作詞者」の思い、映画に
 全国高校野球選手権が第100回の記念大会を迎える今年、大会歌「栄冠は君に輝く」をテーマにしたドキュメンタリー映画が制作される。作詞した石川県能美(のみ)市の故・加賀大介さんと家族の物語が描かれる。撮影に協力した妻の道子さん(93)は、野球少年だった夫の思いが詰まった歌をこの夏、甲子園で聞くつもりだ。
180701eikan  大会歌の歌詞は1948年6月、朝日新聞が公募した。5252編の中から石川県根上町(ねあがりまち)(現・能美市)の加賀道子さんの詞が選ばれ、翌7月に発表された。道子さんは金沢市内の職場で歌詞の当選の連絡を受け、5万円の賞金を受け取った。
 だが、本当は婚約者だった大介さんが、道子さんの名で応募したものだった。「賞金目当てと思われるのはプライドが許さなかったようです」と道子さん。20年後の68年2月、朝日新聞の取材に「作詞者は夫」と告白するまで、取材なども道子さんが受けていた。
 こうした経緯や歌詞に込められた思いなどを東京の映画監督稲塚秀孝さん(67)が、映画「ああ栄冠は君に輝く」にまとめる。90回大会の際に道子さんを取材したことがあり、「100回大会で映画を作りましょう」と約束し、脚本を温めていたという。
 能美市や金沢市でロケをした。映画の中では、歌手の加藤登紀子さんも歌う予定で、語りは俳優の仲代達矢さんが務める。ドラマ部分とインタビュー部分をあわせ、作品は90分。7月下旬から全国で公開する予定。
 稲塚監督はこの映画のテーマを「男の夢と挫折、そして家族の物語」と話す。大介さんは野球少年だった16歳の時、試合中に右足のつま先をけがして骨髄炎となり、ひざ下を切断。松葉杖生活になっていた。作詞当時は短歌会や劇団を主宰しつつ、小説執筆にいそしんでいた。創作に打ち込む傍ら、ラジオでは欠かさず野球中継を聴いていたという。大介さんは73年6月、58歳で病気で亡くなった。
 道子さんは3番の歌詞が特に好きだ。野球にうちこむ命の輝き。大介さんの思いを感じる。「今でも新しい。本当にすてきです。素晴らしい歌を残してくれた」
 道子さんは今夏、子や孫ら一家総出で甲子園を訪れる予定だ。「こんなに長生きして100回大会を迎えられるとは。甲子園で『栄冠は君に輝く』を聴くことは、私の生きがいみたいなものです」
     ◇
 大介さんの地元、能美市の根上野球場には大会歌の歌碑がある。その下には大介さんの遺稿などが入ったタイムカプセルが埋められており、命日の今月21日、それを取り出すセレモニーがある。第100回記念大会の年に取り出すことを決めていた。(塩谷耕吾、大隈崇)」(
2018/06/18付「朝日新聞」p30ここより)

この歌の音源は、意外と少ない。オリジナルは、伊東久男とコロムビア男声合唱団によるものらしい。

<伊東久男・コロムビア男声合唱団「栄冠は君に輝く」>

「栄冠は君に輝く」

 作詞・加賀大介
 作曲・古関裕而

雲はわき 光あふれて
天たかく
純白のたま きょうぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは 歓呼にこたえ
いさぎよし ほほえむ希望
ああ 栄冠は 君に輝く

風をうち 大地をけりて
悔ゆるなき
白熱の 力ぞ技ぞ
若人よ いざ
一球に 一打にかけて
青春の 賛歌をつづれ
ああ 栄冠は 君に輝く

空をきる たまのいのちに
かようもの
美しく におえる健康
若人よ いざ
みどり濃き しゅろの葉かざす
感激を まぶたにえがけ
ああ 栄冠は 君に輝く

そして、次の合唱バージョンが一般的。

<コロムビア合唱団「栄冠は君に輝く」>

今行われている「2018 FIFAワールドカップ」では、「0―1で負けていたポーランド戦の終盤、日本は勝利を目指すことを放棄して、パス回しをして試合を終えました。コロンビアがセネガルに勝ったことで、日本は2大会ぶりに決勝トーナメントへ進出できたのですが、西野朗監督の判断について賛否両論がわき起こっています。」が話題沸騰。

高校野球で、同じような場面で思い出すのが、1992年の「松井秀喜5打席連続敬遠」。
wikiには「この連続敬遠をきっかけに明徳義塾高校に「ヒール(悪役)」のイメージがつきまとっただけでなく、高校野球における敬遠ないし「勝利至上主義」についての議論が湧き起こった。」とある。
今回のサッカーでも、今後日本が勝っても負けても、暗いイメージが付いて回ることになろう。

自分は茨城県の出身なので、高校野球もずっと茨城を応援していた。以前は茨城の高校ならだいたい知っていた。それが卒業から半世紀を経た今では、まるで分からない。新しい高校が次々と出来、市町村合併でワケが分からなくなった。
でも、下手な小細工をしない真摯な戦い方が高校野球にはあると期待している。

自分もそれほど高校野球が好きなわけでは無いが、W杯のお祭り騒ぎに比べると、よほどマジメで良いイメージ。
まだ7月に入ったばかりというのに、夏を感じさせるこの頃である。

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コメント

  エムズの片割れ さま

       こんにちは

  夏の 甲子園
   100回 記念大会になるのですね

   光陰矢のごとし
        時間が過ぎていくのは
           ほんとうに 早いです

  小学校4年のとき
    神戸から 西宮の甲東園に越してきて
    家の前が 報徳の通学路だったのです

  そのころから 兵庫県では
       報徳が強くなってきており

  43回の夏 甲子園に初出場してくれました

   それが 倉敷工相手に 奇跡の逆転劇
   準々決勝まで進み 前年の優勝校 法政二
   (巨人の柴田がいました)に負けます

   その 法政二の連覇をはばみ 優勝
   したのが 怪童 尾崎 を擁する浪商

   懐かしいです


  否が応でも 高校野球が好きになりますよね

  どうして 逆転で倉敷工が負けたのか
   有名な美談も残っています

  歴代の優勝校の名前を繰っていくと
    自分の応援した地方のチーム
       感慨深いものです

  箕島  池田  PL  と 報徳
   ここらが 強く応援したチームでした

  夢のようなこの曲  「栄冠は君に輝く」 をききながら 
    過去 現在 未来
   について 考えたいと思います   
 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年7月19日 (木) 13:48

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