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2018年6月12日 (火)

森田童子が亡くなった~「ぼくたちの失敗」

今日の夕刊を見ていたらちょっとショックな記事。
森田童子さん死去 「高校教師」主題歌
 シンガー・ソングライターの森田童子(もりた・どうじ)さんが、4月24日に死去していたことが分かった。日本音楽著作権協会(JASRAC)広報部によると、死因は心不全で、65歳だった。
 1975年以降、7枚のアルバムを発表したが、83年に音楽活動を休止。76年に発表した「ぼくたちの失敗」が、93年に放送されたTBS系のドラマ「高校教師」の主題歌となり、人気を集めた。」(
2018/06/12付「朝日新聞」夕刊P12より)

自分も森田童子には凝った。当サイトでも何曲か紹介している(ここ)。
最初が10年前の2008年3月17日の「森田童子の「逆光線」・・・自死遺族の会」(ここ)という記事。
180612morita 「森田童子の全曲の音源を集めるぞ!」と(勝手に)宣言したのが2010年7月13日の記事「森田童子の「菜の花あかり」」(ここ)だった。
当時、森田童子のアルバムは“幻のCD”で、手に入れるのはオークションで高値で買うしか無かった。自分も苦労して全曲を集めたが、世の渇望を察知してか?2016年7月20日に全アルバムが再発売された。今でも簡単に買えるのが嬉しい。

そう言えば、彼女の代表作(最も知られている歌)をあげていないことに気が付いた。そもそも、当サイトは、有名な曲の紹介ではなく、自分の好みであげているのでこうなる。改めて聞いてみよう。

<森田童子の「ぼくたちの失敗」>

「ぼくたちの失敗」
  作詞・作曲:森田童子

春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ

君と話疲れて いつか 黙り こんだ
ストーブが代わりの電熱器 赤く燃えていた

地下のジャズ喫茶 変われないぼくたちがいた
悪い夢のように 時がなぜてゆく

ボクがひとりになった 部屋にきみの好きな
チャーリー・パーカー 見つけたヨ ぼくを忘れたカナ

だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい 昔の話だネ

春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ

この歌は、1976年に発表された2ndアルバム「マザー・スカイ」に収録されていたもの。しかし上の音源は、それではなく、1981年にカセットで発売された「友への手紙 森田童子自選集」というアルバムのもの。

J-CASTに、森田童子の訃報に際し、もう少し詳しい記事があった。
森田童子さん死去、素顔は謎のまま 「ぼくたちの失敗」大ヒット
   「ぼくたちの失敗」の大ヒットで知られるシンガーソングライター、森田童子(もりた・どうじ、本名不明)さんが2018年4月24日に亡くなっていたことが分かった。66歳だった。6月12日、各紙が報じた。日刊スポーツなどによると、日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報に、訃報が掲載された。死因は明らかにされていない。

「高校教師」でブレイク
   森田さんは1952年生まれ。友人の死をきっかけに歌い始めたといわれ、75年に「さよならぼくのともだち」でデビュー。全国各地の小さなライブハウスやテント公演などで歌い、学生層など若い世代を中心に、一部で熱狂的な人気を誇った。つぶやくようなトークや透明感のある声が特徴だった。しかし83年、新宿ロフト公演を最後に、時代に背を向けるかのようにひっそりと音楽活動を閉じた。
   再びスポットが当たったのは93年、テレビドラマ「高校教師」に作品が使われたのがきっかけ。再発売されたシングル「ぼくたちの失敗」は100万枚に迫るビッグヒットになり、アルバムも再リリースされるなどブレイクした。
   森田さんは「夢」や「希望」ではなく、徹底して「絶望」「憂鬱」「不幸」「孤独」を歌った。それが青春に躓いて、時代に取り残され、挫折感を味わうファン層に熱く支持された。
   「みんな夢でした」「君と淋しい風になる」「たとえばぼくが死んだら」など暗い曲がほとんどで「淋しい」がキーワード。女性だが、「ぼく」と称し、歌の中では太宰治や高橋和巳なども登場した。「安全カミソリがやさしくぼくの手首を走る」などという歌詞もあった。メジャーになることを目的とせず、カーリーヘアとサングラスがトレードマークで素顔や生い立ち、近況などのプライバシーは謎のままだった。

りりィや藤圭子、カルメン・マキ・・・
   森田さんは「高校教師」で脚光を浴びた後も沈黙を続け、マスコミの前には現れなかった。最近では2010年5月、朝日新聞の「うたの旅人」欄で、「ぼくたちの失敗」を担当した保科龍朗記者が、仲介者をたぐって接触を試みたが、「とても親しかった人との唐突な死別とみずからの病で『手紙すら書けないほど憔悴している』」という返答だった。
   ただ、依然として一部でカリスマ的な人気があり、16年は最新技術によるリマスターのアルバム全集が発売され、「全曲集」の楽譜も出版された。長年、ジャケット写真しかない歌手といわれていたが、3年ほど前、誰かがネットで大昔のライブの「お宝動画」や、ラジオにゲスト出演したときの貴重なトークを公開し、「森田童子が動いている」「生の声を初めて聴いた」と驚きが広がった。
   レコーディングには石川鷹彦さん、木田高介さんら一流アーティストが参加、「さよなら ぼくのともだち」は大森一樹監督の「オレンジロード急行」の挿入歌になり、「高校教師」では脚本家の野島伸司さんが、森田さんの曲にこだわるなど、プロの制作者の側からも高く評価されたシンガーソングライターだった。
   早生まれなどの違いはあるが、同学年に「私は泣いています」のりりィ(1952~2016)さん、「圭子の夢は夜ひらく」の藤圭子(1951~2013)さん、「時には母のない子のように」のカルメン・マキ(1951~)さんがいる。アングラ、演歌、フォークなど活動の場は違っていたが、謎めいた半生を背負った個性的な声の女性歌手が輩出した世代だった。」
(2018/06/12付「J-CASTニュース」(ここ)より)

確かに、藤圭子やりりィも、60歳ちょっとで亡くなっている。
若い人は、こんな訃報を聞いても、何も感じないだろう。しかし、我々と同じような世代の人の死は、なぜか沁みる。
人生、他の人に何らかの影響を与える何かが残せると良いが、なかなか難しい。森田童子は、31歳で音楽活動を終えたが、世から忘れ去られることなく、逝った。
米朝首脳会談の歴史的なこの日(2018/06/12)に、森田童子逝去の報。
我々凡人にはない才能があったから・・・!? 合掌。

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コメント

ほとんど聞いたことはなかったのですが、
ずっと頭の片隅に「森田童子」という《単語》は存在していました。「童子」という名前が象徴的ですね。
そういえば…高校生時代、クラブの仲間内で自分たちのことを『ぼく』と言っていました。胸が痛くなるような青春の思い出です。

【エムズの片割れより】
wikiには「芸名は笛吹童子に由来」とありますね。

投稿: アンディーのママ | 2018年6月13日 (水) 11:21

リアルタイムで森田童子を聴いていた者です。
40数年前の朝、ラジオから偶然流れてきた『今日は奇跡の朝です』がとても心地よく素直に心身に入ってきて、LP買ってほとんどの曲に浸っていました。
なので「ドラマ主題歌で有名な…」というのは私の中ではちょっと違います。
亡くなったと知った直後よりじわじわとショックが湧いています。
あの曲たちと共に私の青春がまだ生きているような気がします。

【エムズの片割れより】
自分と違って、現役の森田童子を聞いていましたか・・・
引退して30年以上経ったマイナーな歌手の訃報が新聞で報道されるとは、やはりその存在が大きかったという事なのでしょうね。

投稿: 抹茶大福 | 2018年6月13日 (水) 15:17

こんにちは。はじめまして。

先日から、貴ブログを愛読させていただいております。

この度、追悼森田童子を私のブログ【野の花日記】に載せました。

つきましては、大変勝手ながらあなた様の
2015年7月25日 (土)森田童子のドキュメンリー「夜行」を、
紹介させていただいております。
よろしくお願いします。

なお、あなた様のご本意にそぐわないようでしたら、ただちに掲載を取りやめます。

不都合でしたらお知らせ願います。

【野の花日記】のマリコです。ではまた(^^)/。

【エムズの片割れより】
ご丁寧にありがとうございます。
“お知らせ”にもあるように、当サイトはリンクフリーですので、リンクはご自由にどうぞ。
活動していなかったとは言え、一時代の終わりを感じました。

投稿: マリコ | 2018年6月16日 (土) 17:16

森田童子さん懐かしく聞きました。実は私もデビュー当時を知っている一人です。1976年鳥取の高校の学園祭、体育館の中でギター弾き語りのライブコンサートをしてくれました。まだデビュー当時間がなかったのであんな田舎の学園祭でも来てくれたんですね。当時からあのままでカーリーヘア、大きい黒のサングラス、黒い洋服でした。
勿論、初めて聞いたのですか、いっぺんでファンになりました。それ以来ずーと今も聞いています。生でライブを見れて本当にラッキーでした。何と写真も撮れたので当時のアルバムに貼っています。童子さんの歌は思春期の学生にはすんなりと受け入れたんだと思います。私もその一人です。

今回訃報を聞い、まだお若いのに、とても驚き、悲しくて、残念で、毎日童子さん聞いています。童子ロスです。

【エムズの片割れより】
高校の学園祭に呼ぶなど、なかなか開けた学校だったのですね。
自分は彼女の現役時代は全く知らないので残念!
時代を写した歌だったので、早く消えてしまったのでしょうか?

投稿: miyo | 2018年6月23日 (土) 20:15

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