樹木希林の「人生、上出来でございました」
今朝の朝日新聞に、、楽しみにしていた樹木希林さんのコラムがあった。最終回である。
「(語る 人生の贈りもの)樹木希林:14 人生、上出来でございました
■役者・樹木希林
《今年1月で樹木さんは75歳になった》
後期高齢者の仲間入りね。ここまで十分生かしてもらったなあ、って思います。私、自分の身体は自分のものだと考えていました。とんでもない。この身体は借りものなんですよね。最近、そう思うようになりました。借りものの身体の中に、こういう性格のものが入っているんだ、と。
ところが、若い頃からずっと、わがもの顔で使ってきましたからね。ぞんざいに扱いすぎました。今ごろになって「ごめんなさいね」と謝っても、もう遅いわね。
「人間いつかは死ぬ」とよく言われます。これだけ長くがんと付き合っているとね、「いつかは死ぬ」じゃなくて「いつでも死ぬ」という感覚なんです。でも、借りていたものをお返しするんだと考えると、すごく楽ですよね。
人から見ると、それを「覚悟」と言うのかもしれませんね。でも「覚悟」が決まっているということでもないの。だからといって、グラグラしているわけじゃない。現在まで、それなりに生きてきたように、それなりに死んでいくんだなって感じでしょうか。
夫の内田裕也もね、大変な思いもしたけれど、ああいう人とかかわったというのは、偶然じゃないという気がしてきたの。ほとんど一緒にいなかったけどね。でも縁があったんだろうなあ、と。だから内田には「面白かったわ」と伝えているの。
日本映画界にも、これを描きたいという意思をしっかり持った若い人が出てきましたね。すごくいいんじゃない? 日本って、東洋と西洋の思想をうまく料理出来るお国柄だから、すごい映画が出来ると思う。監督も役者も、もう少し層が厚くなってくると、とても楽しみだわね。私はもうお墓に入っているけどね。
いまなら自信を持ってこう言えます。今日までの人生、上出来でございました。これにて、おいとまいたします。
(聞き手 編集委員・石飛徳樹=おわり)」(2018/05/25付「朝日新聞」p35より)
樹木希林さんが、自らのガンを告白したのが2013年だという。5年経った。しかしテレビで見る姿は、(舞台裏は別にして)元気な様子。
ガンを抱えているからだろうか、至って人生を達観している。上の一文も同じ。
しかしこの裏も表もないスタンスは素晴らしい。この記事で、希林さんの肩書きは「役者」だって・・・。「女優」では無いのだ・・・!
映画作品を見ていると、どれも役を“作って”いるようには見えない。自然体・・・。まるで、希林さんが演じるという前提で作品が作られているみたい。
体力的に、そろそろスローダウンかな、と思っていたら、どうしてどうして、先日、カンヌ映画祭で最高賞を取った「万引き家族」という作品に出ているという。
あらすじを見ると、今年の初めに放送された、広瀬すずと田中裕子のテレビドラマ『anone』(あのね)を思い出した。
話はそれるがこのドラマ、自分が好きだった2013年の『Woman』の再来を期待したが、消化不良で終わってしまった。どうも、寄せ集め家族というと、ついこのドラマを思い出して、あまりそそられない。
でもまあ、樹木希林さんを見るために、行ってみようか・・・
まるで、悟りを開いたお坊さんのように哲学的な樹木希林さんではある。
(付録)
<連載「(語る 人生の贈りもの)樹木希林」(全14回)2018年「朝日新聞」より>
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樹木希林の「死生観」~その語録より
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コメント
自分の人生を思い切りやりきった 、あとは、いつでもこの身体をお返しする準備はできております。
と、淡々と語られる希林さんの言葉は、さすがに一芸に秀でた人の重みを感じます。
天の下では、何事にも定まった時期はあり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
聖書の御言葉ですが、まるで、あとは神様のみ旨に従うのみです・・と、仰ってるようで、ずしんと響きます。
【エムズの片割れより】
死ぬときに、「もうやり残したことは無い」と言って死ねたら・・・と思います。
投稿: あこがれ | 2018年5月27日 (日) 10:28