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2018年4月17日 (火)

沢田美喜のエリザベス・サンダースホーム

だいぶ前の放送だが、NHKラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史~沢田美喜」(2018/03/05・12放送)を聞いた。
敗戦後、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げた人である。
三菱財閥の創始者の孫であった沢田さんは、戦後、駐留米兵との間の強姦や売春などで生まれ、捨てられていく混血児を救うため、募集や私財を投げ打って、自分が育った財産税として物納されていた岩崎家大磯別邸を買い戻し、孤児院エリザベス・サンダースホームを設立。そして周囲の「混血児」への偏見迫害や、学校生活との折り合いの問題からホームの中に聖ステパノ学園小学校・中学校も設立した。
そして成人した子のために、ブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立。孤児院の卒園生が数多く移住した。

沢田さんのお話の中で、特に気になった部分がこれ。生きるために、資格(免許)を持たせること。そして当時は、捨て子だと分かるような名前を平気で付けた日本人の残酷さ。

<NHK沢田美喜さんの話(その1)>

<NHK沢田美喜さんの話(その2)>

全体に貫かれているのは、「天災は防ぐことが出来ない。しかし戦争だけは人間が防ぐことができる。戦争だけはやってはいけない。」

日本に移民が少ないのは、島国根性からか、排他的な文化があることは否めない。特に、親に捨てられた混血の孤児に対する日本人の冷たい扱いは、目に浮かぶ。
よって、沢田さんの話を聞いても、講演も里子捜しも全部アメリカ。日本では無理。

しかし、混血孤児が、どこからの援助も受けられなかったという事実を改めて知った。親から捨てられ、戦争というその原因を作った国からも捨てられ、ただ死ぬしかなかった孤児たち。その子たちも、まさに我々と同じ世代。70歳を過ぎている。
そのような歴史も、徐々に忘れ去られ、戦争を知らない政治家たちが、ただメンツのために、戦争にアクセルを踏んでいる日本。
日本人全体が、今一度、かつての戦争で何が起きたかを勉強し直さないと、将来世代に禍根を残すことになる。この沢田さんの体験とお話を、もう一度よく聞き直したいものだ。

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