中島みゆきの「雪」
先日、中島みゆきの「砂の船」(ここ)を発掘したが、同時に「雪」という歌も“発見”した。
<中島みゆきの「雪」>
「雪」
作詞・作曲:中島みゆき
雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました
あの人が旅立つ前に
私が投げつけたわがままは
いつかつぐなうはずでした
抱いたまま 消えてしまうなんて
雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました
手をさしのべれば いつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても 消える
まるで 淡すぎる雪のようです
あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら
手をさしのべれば いつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても 消える
まるで 淡すぎる雪のようです
あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら
雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました
この歌は、1981年発売の「臨月」に収録されている。この歌は、亡き父への思いを歌ったものだという。
(ここ)によると・・・
「中島みゆきの父眞一郎氏は産婦人科の開業医であった」
「眞一郎氏は1975年9月に51歳の働き盛りに脳溢血で倒れます。」
「折しも中島みゆきは同月『アザミ嬢のララバイ』でプロ・デビューを果たしています。さらに10月、「つま恋本選会」では『時代』を歌ってグランプリを受賞します。」
「1976年1月、眞一郎氏は息を引き取ります。」
「中島みゆきは父の早世を二つの歌にして発表しています。一つはサード・アルバム『あ・り・が・と・う』に収録されている『まつりばやし』で、もう一つは8枚目のアルバム『臨月』に収められている『雪』です。」
「『雪』では道標だった父親の逝去で戸惑う姿が歌われています。」
「また『雪』では「あの人が旅立つ前に 私が投げつけたわがままは いつかつぐなうはずでした 抱いたまま 消えてしまうなんて」とも歌っています。「わがまま」とはプロ・デビューを断り定職にも就かず父親の仕事の手伝いをしながら音楽活動をすることを指しているのでしょう。それを「つぐなう」機会がやっと巡ってきたのにその成果を見ることもなく逝ってしまったことへの無念さを歌うと同時に、父親に借りを作ったままであることがその後の中島みゆきの音楽活動へのばねになったのではないかと推察します。」
とのこと。
父親が亡くなったとき、中島みゆきは23歳。アルバム「臨月」は1981年なので、その5年後の作品。
そんな背景を踏まえて聞くと、実に切ない歌だ。
今音源を持っている彼女のアルバムは43。そこから選んでHDDプレヤーに転送してあるのが89曲。まだ発見していない心に沁みる歌が他にもあるかも知れない。
そう思って、発売順に、歌詞の本を片手に、改めてひと通り聞いてみようと、まず初期の3アルバムの音源を愛機HAP-Z1ESに転送した。
追:坂本冬美がこの歌をカバーしていた。
<坂本冬美の「雪」>
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コメント
お父さんのことは知りませんでした。
小坂恭子の「思い出枕」と同じ設定で受け取って、聞いてきました。
きれいで、悲しい歌ですね。
坂本冬美の歌い方はちょっと「説得調」を感じます。
些細なことですが、
「雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの」
の、
「ゆき」の「き」とか、「ふるの」の「の」とかの音が
中島みゆきの場合はスーッと高く上がっていて、
坂本冬美の歌い方はそうじゃないところが、
私にそう感じさせたと思います。
中島みゆきの歌い方に
理不尽なことに出会って処理出来ない心を感じます。
少々カマトトッぽいですが
そうでもしなければ、おさまらない心
ってある・・。
【エムズの片割れより】
普通に想像すると「あの人」は恋人。
中島みゆきの歌詞は「おまえ」が多いですが、さすがに父親を歌うときは「あの人」なのですね。納得・・・
それにしても、聞き方が繊細ですね。
投稿: Tamakist | 2018年4月13日 (金) 10:01
お父上を亡くされて、その思いを歌われたんですね。
みゆきさんが綴られた2つこと、「投げつけたわがまま」と「雪で足跡が見えない」は、私が43歳で妻を亡くしたあと20年以上経っても、最も心に残っていることで、若いみゆきさんに書けたことに感銘を受けていました。
私の場合は父親ではなく妻でしたし、そのときには3人の子どもが残されていましたので、「あの人が教えた」ではなく「二人で語り合った」と言うことでしたが、それまで周囲のことは全て把握していると思っていたことは大きな勘違いで、私たち夫婦は、仕事は私、家庭や近所付き合いは妻と、背中合わせ世界に対していたんだと言うことを痛感させらました。妻には寝たきりでも良いから生きていて欲しかったし、同時に妻の存在の大きさを実感したものです。
子どもたち、家庭への打撃を考えると、私の価値などほとんど金銭に換算できるものばかりなのに対し、妻の大きさは測り知れないものでした。保険などでそれなりの金銭が残されたなら妻は難なく子育てし、皆立派な社会人になれるだろうと、私ではなく何故妻なんだと、神を恨んだものでした。
主に子どもたちのことで、夫婦喧嘩もありました。悔やむ言葉を、それこそ投げつけたこともありました。
子どもたちが手を離れ、私がリタイアしたのち、二人でああしようこうしようと語り合った年齢になりましたが、今はそんな夢も消え去り、この曲を聴くたび、知らず涙が流れます。
【エムズの片割れより】
心に響くコメントをありがとうございました。
まるで、自分の事のように読みました。
43歳というと、仕事で最も脂がのる時期。残念でしたね。
相手が亡くなってしまうと、「取り返しが付かない」「挽回出来ない」という点で、逃げ場が無くなってしまいます。
自分も、相手が生きている内に・・・、と思うのですが、なかなか行動につながりません。
この「雪」は、中島みゆきが歌うからこそ、心に沁みます。
色々な歌手がカバーしていますが、どれも右から左に抜けていきます。
中島みゆき作品の中でも、特に光る作品だと思います。
投稿: Disciple Stephan | 2020年10月25日 (日) 13:03
中島みゆきさんの世界を語ろうと題して時たまグラスを交わす女ともだちがいる。あの歌いいね、この歌いいねの最中、「雪」って亡くなったお父様のことを歌ってるんじゃないって投げ掛けて来た。知らなかった私はそうなの?としか返せなかった。詩を追って見ると去来する思いが鏤められていることに気づく。地域がら雪との戦いが生活の一部となり、生産性のない雪片付けが日常を蝕んでいることにも気づかされる。雪は時折、喜びも悲しみもそして明日の支えになっているかもしれない過去さえも白一色にして消してしまうんじゃないかとの幻想さえ抱かせてしまうからだ。最愛の人を失ってしまい途方に暮れながら戸惑い回想に浸りたい時にも🎵何故こんな時に降るの のフレーズが痛いほど胸に突き刺さる。自然界は決して優しくなくはなく時に無情にも人々を嘲り笑う。だけど抗いながらも明日をしっかり生きて行かなければならないインスパイアを与えてくれる時もあると信じたい。中島みゆきさんの世界は、然り気無い日常を隠喩的にもメッセージとして表現してくれる。それは、悲しい歌も実は明日も頑張れるインセンティブになり得る発信にさえなっているような気がしてなりないからだ。
天才、中島みゆきさんの所以だろうと思う。いい歌は決して錆びつくことはない。
両親が他界し、子どもたちも離れひとりになった私にとって、優れた表現者、中島みゆきさんの詩と出会い救われたと今でも思っている。
投稿: 小島健一 | 2021年4月22日 (木) 01:06