中尾ミエの「芝居は終った」
今日は、中尾ミエの「芝居は終った」である。
<中尾ミエの「芝居は終った」>
「芝居は終った」
作詞:なかにし礼
作曲:宮川 泰
もう よしましょう 芝居は終ったの
もう よしましょう 愛しているふりは
冷たい口づけ 偽りの涙
どこまでも 私の心は寒い 寒い
恋の光も 恋の調べも
消えてしまった後に何が残るの
疲れきって みじめになった あなたと私
下手な芝居の幕を おろしましょう
三文役者の化粧 落しましょう
あなたも 私も さみしかったのね
抱きあえば なおさら 私は独り 独り
恋の光も 恋の調べも
消えてしまった後に何が残るの
疲れきって みじめになった あなたと私
もう よしましょう 芝居は終ったの
もう よしましょう 昨日までの続き
私に最後の セリフを言わせて
さよならは これっきり 逢えないあなた あなた
恋の光も 恋の調べも
消えてしまった後に何が残るの
疲れきって みじめになった あなたと私
この歌は、1971年3月発売だという。まさに半世紀前のリリース。
自分がこの歌が気になるのは、自分が好きな“バラード風”なので・・・
いや、専門家が、この歌をバラードと言うかどうかは分からないが、自分的にはバラード。
WIKIで「バラード」を読むと、「その特徴はクラシック音楽のものを踏襲しており、ゆったりしたテンポ、静かな楽想、美しいメロディラインやハーモニー、そしてラヴソングを中心とした感傷的な歌詞を音楽的な主軸とし、楽式的には、ピアノなどによる静かなイントロとエンディングに向けての劇的な盛り上がりが特徴とされる。」とある。
つまり、自分的には、ゆったりとしたメロディーで始まって、激しい旋律に発展していく歌と理解。
同じような形式の歌では、りりィの「心が痛い」(ここ)を思い出すが、ちょっと違うかも・・・
布施明の「どうしてこんなに悲しいの」(ここ)や「愛は不死鳥」(ここ)はどうか・・・。チョー・ヨンピルの「窓の外の女」(ここ)やダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「身も心も」(ここ)も、ゆっくりとした旋律から始まるので、バラードかも・・・
Netでこの「芝居は終った」を検索しても、ほとんどヒットしない。歌詞も出ない。そしてYoutubeにもアップされていない。それほどマイナーな歌なのだろうか?
このように、あまり有名でない歌は、ついここに取り上げてみたくなる。
つまりは、当サイトは、自分が気になっている歌の世の中へのPRかも・・・!?
歌唱力がないと、なかなか歌いこなせない中尾ミエの「芝居は終った」である
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コメント
初めて聴きました。素晴らしい曲じゃないですか。中尾ミエも上手く歌ってるのになぜ大ヒットしなかったのでしょう。私にはシャンソン風に聴こえるのですが、岸洋子とか越路吹雪が歌ってたらもう少し人気が出たのでしょうか。いつも素敵な曲を発掘してくれてありがとうございます。
【エムズの片割れより】
確かに、バラードよりもシャンソンですね。
Netにも、他の方がシャンソン風と書いていました。
投稿: 山下仁平 | 2018年3月 7日 (水) 20:55
この歌の歌詞を書いたなかにし礼について、最近二つのNHKTV番組を観ました。「インタビュードキュメント、自伝なかにし礼、わが恋、わが愛、わが命」(2017/9/13)と「SWITCHインタビューなかにし礼×野村達雄」(2018/1/20再放送)です。4000曲に及ぶ曲を作詞したなかにし氏はこれらのインタビュー番組の中で創作の秘密の一端をあきらかにしています。氏とほぼ同世代の音楽家といえば、武満徹、小澤征爾といった人達がいますが、共通点は(旧)満州の生まれということです。違いは、二人はソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に侵攻する1945年8月9日以前に日本に帰国していたのに対して、当時6歳だったなかにし氏は満州からの過酷な逃避行に巻き込まれたことです。満州からの引 き揚 げ途中で20万人の日本人が命を落としたといわれる悲惨な逃避行については、藤原てい「流 れる星は生きている」とか、相田洋「わが母最後のたたかい」(2015年、NHK出版)の第2章(この部分はNHKBSプレミアムで「母と歩いた道、相田洋旧満州引き揚げ録」としても2015/12/6放送)といった本を読んだことがあるので少しは知っているつもりですが、7-8歳の子供だったなかにし氏の心にも大きな傷跡を残ししています。1969年に弘田三枝子が歌ってヒットしたなかにし礼作詞の歌「人形の家」は
顔をみたくないほど
あなたに嫌われるなんて
・・・・・
ほこりにまみれた人形みたい
愛されて捨てられて
忘れられた部屋のかたすみ
私はあなたに命をあずけた
とはじまっていますが、当時はだれも気付いた人はいなかったけれど、実は、この歌は国と軍隊から見捨てられた満州の民の哀しみと恨みを描いたものだそうです。「人形の家」とは終戦の日から満州からの帰国を1年半も足止めされて暮らした「収容所」のことらしい。なかにし氏は自分の大事な経験は戦争にあり、これまでこのことを封印していたけれども、それを掘り返して歌を書こうと決意したとも言っています。そういう眼でみると、この歌「芝居は終わった」も、もしかしたら、そうした状況をあらわしたものなのかもしれません。
なお、なかにし氏がSWITCHインタビューの相手に選んだ野村達雄氏はポケモンgoの開発者として全世界に知られた人ですが、祖母が満州からの引き揚げ途中で中国に取り残された中国残留日本人で、逃避行後中国人と再婚し(一緒に逃避行していた子供達はつぎつぎと死亡)、野村氏の父を生んだので、野村氏は中国残留孤児3世で、野村という姓は祖母の旧姓。彼が育った中国東北部(旧満州)の村は貧しく、1995年、野村氏が8歳のとき、貧困から抜け出すため、残留孤児2世である野村氏の父が日本の親せきのつてを頼って日本(長野県)への移住することを決断したのです。
【エムズの片割れより】
ありがとうございます。勉強になりました。
投稿: KeiichiKoda | 2018年3月18日 (日) 14:42