妻が願った最期の「七日間」
今朝(2018/03/09)の朝日新聞の「声」の欄に、こんな投書が載っていた。
「(声)妻が願った最期の「七日間」
パート 男性(神奈川県 71)
1月中旬、妻容子が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに「七日間」と題した詩を残して。
《神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子(ぎょうざ)や肉味噌(みそ) カレーもシチューも冷凍しておくわ》
妻は昨年11月、突然の入院となりました。すぐ帰るつもりで、身の回りのことを何も片付けずに。そのまま不帰の人となりました。
詩の中で妻は二日目、織りかけのマフラーなど趣味の手芸を存分に楽しむ。三日目に身の回りを片付け、四日目は愛犬を連れて私とドライブに行く。《箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く》
五日目、ケーキとプレゼントを11個用意して子と孫の誕生会を開く。六日目は友達と女子会でカラオケに行くのだ。そして七日目。
《あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ 大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう》
妻の願いは届きませんでした。詩の最後の場面を除いて。《私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ》
容子。2人の52年、ありがとう。」(2018/03/09付「朝日新聞」「声」p16より)
何とも心に迫る。
こんな最期の話を聞くと、つくづく古希を迎えた自分の身にも、いつ何時、何が起こるか分からない。と思う。いつ、命が絶たれようとも、大丈夫なように準備が必要な歳だな・・・と。
この投書では、入院して2ヶ月、一度も家に帰らず他界したらしい。これは酷だな・・・
自分なら、意識が無くなっているならまだしも、どんな状態でも、何とか家に帰らせる。幾ら医師の許可が得られなくても、「どうせ死ぬんだ」と思えば、医師の許可などクソ食らえ。どんな無理も出来る。
誰も、何の準備も無く死ぬのは無念。始末しておきたい持ち物もある。自分だったら、当然“その時”は家に帰りたいし、それがカミさんだとしても、家に帰らせてあげたい。
そんな事を考えられる病状であることを願う。まあこれは「どうせ死ぬならガン」という考え方にも通じるのだが・・・
今日の新聞にこんな記事もあった。
「介護不要の健康寿命、男女で伸びる 都道府県別1位は?
厚生労働省は9日、介護などの必要がなく、日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」の2016年の推計値を発表した。男性は72.14歳、女性74.79歳で13年の前回調査より男性は0.95歳、女性は0.58歳延びていた。都道府県別では男性は山梨、女性は愛知が1位だった。・・・」(2018/03/09付「朝日新聞」より)
東京都の男性の健康寿命は72.0歳だという。自分など、あとたった2年。そう思うとゾッとする。早速「あと2年で世話になるのでヨロシク」と、夕食後にカミさんに挨拶しておいた。カミさんは当然「!???」
同じ今朝の朝日新聞にこんな投書もあった。
「(ひととき)定まらぬ父への思い
目の前に横たわり、たまに薄目を開ける。自分で動かせない父の手足をさすりながら、矛盾した思いが交錯するばかりで心が定まらない。
人はここまで痩せても生きていられるのか? という極限状態。本人は一体何を思っているのだろうか?
母と結婚して63年、家庭人として失格だったばかりか、家族に苦渋を強いてきた罪深い人間がなぜこの年(92歳)まで生きてこられたのか? 娘としては、父に対して恨みが9割、残りは哀れみかもしれない。
家族と全く言葉を交わそうとせず、外部の人には別人格。自分の欲することだけに情熱を注いできた。母はそんな夫へのストレスと障害がある私の弟の世話に疲れ、重い病気になった。
なぜそのような生き方しか出来なかったのか、せめて理由を聴きたかった。詫(わ)びの言葉が聞きたかった。
たとえいかなる理由でも許せない、という思いの一方で、目の前の消えかかる一つのいのちの重さ、尊さを思う。
日常の行為が一切できないこの苦痛こそが過去の報いか? という思いと同時に、わずかでも回復し、最期は穏やかでありますようにと祈る自分がいる。(福岡県 匿名 主婦 61歳)」(2018/03/09付「朝日新聞」p33より)
この投書を読んで、人間の「業(ごう)」という文字が頭に浮かんだ。
広辞苑によると「行為。行動。身(身体)・口(言語)・意(心)の三つの行為(三業)。また、その行為が未来の苦楽の結果を導くはたらき。善悪の行為は因果の道理によって後に必ずその結果を生むというのが仏教およびインドの多くの宗教の説。」とある。
人間が死ぬとき、どんな最期を迎えるのか? 因果応報。それを決めるのは本人の意志ではないのである。
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