「人間の魂とは何か」~桐野夏生「だから荒野」より
今日は、東日本大震災から7年目。TVでも色々な特集番組が放送されていた。
昨日、食事に居間に降りて行くと、カミさんがコピーを片手に「読むから聞いて!」という。それが下記。
「私には忘れられない思い出がございます。今回の原発事故とも、原爆体験とも違うのですが、初めて人前で話させて頂きます。私には歳の離れた妹かおりました。間に弟がおりますので、妹が生まれた時、私は十歳になっていました。母は長崎市にほど近い琴海町と いうところで、和裁を教えておりまして、とても忙しくしていました。春先のある日、妹が風邪を引いて熱を出しました。ちょうど生後五ヵ月頃でしたので、母親から貰った免疫も切れる頃だったのでしょう。和裁教室に教えに行かなくてはならない母が私に氷枕を取り替えるように言って、心配そうに出掛けて行きました。どうしても授業を休めなかったのです。年配の方は氷枕がどんな物かご存じでいらっしゃいましょう?ゴム製で、氷を囗から入れて、金属の留め金で留めるのです。春休みでしたので、私は遊びに行きたくて仕方がなかったのです。それで、氷を適当に入れて留め金をし、そのまま出掛けました。ところが、その日の夕方から、妹は高熱を発しました。往診のお医者様が肺炎になったようだ、と心配そうに言いました。原因は、氷枕だったのです。私の留め方がいい加減だったので、留め金が外れて、冷たい氷水がこぼれ、妹の背中を濡らしていたのに誰も気付かないまま、風邪を悪化させてしまったのです。翌朝、すぐに入院することになり、妹は苦しそうにはあはあと息をしていました。夜中、私は用足しに起きまして、なんとなく、妹の寝床を覗きました。母が横でうたた寝をしていました。すると、妹が突然目を開け、私の方を見て、泣いたのです。赤ん坊の泣き方ではありませんでした。両の目尻からすうっと涙を流し、まるでおとなのように静かに泣いているのです。不思議ですね、人間の魂というものは。たった五ヵ月の赤ん坊にも、この世を去る悲しみがわかっていたのでしょう。
母が気配で飛び起きて叫びましたが、妹はすでにこと切れておりました。私はそれからずっと、妹の涙を忘れることができずに生きてきたのです。あんなに小さな赤ん坊でも、死ぬ瞬間は何かがわかる。何かわかるのでしょうか。妹の命まで貰ったかのように、私は原爆にも遭わず、馬齢を重ねて九十二歳になりました。もちろん、こんなことを思うこともあります。妹があそこで生き抜いたとしても、原爆で亡くなったかもしれない、と。人の運命はわかりません。けれども、私には大きな課題が残されてしまったのです。即ち、人間の魂とは何か、を考えることであります。私が大勢の人間の死、つまり大量死に拘っているのも、たくさんの人間が死ぬ瞬間に、妹のように涙を流してこの世から消えて行ったのかと思うと、居ても立ってもいられないからなのです。妹は私を恨むことなく、別れを告げて逝きました。一瞬にして亡くなられた方々には、そんな余裕はなかったことでしょう。その死者の思いはどこに向かうのか。消えてなくなってしまうのか。いや、そんなことは絶対にありえない、人間の魂なのですから。どんなに疎まれても、私が自分の経験や思いを語り続けて一生を終えようと思ったのは、実はそんなことがあったからなのです』(桐野夏生著「だから荒野」p439より)
カミさんは、直ぐに泣くので、これも途中で涙ぐみ、「後は自分で読んで」という。
聞くと、カミさんが今読んでいる桐野夏生著「だから荒野」に載っていた一文だという。
もちろん自分はこの本を読んでいないので、どんなストーリーの流れかは知らないが、まあひとつのエピソードとして聞いた。
しかし、「不思議ですね、人間の魂というものは。たった五ヵ月の赤ん坊にも、この世を去る悲しみがわかっていたのでしょう。」は有り得るのか・・・?
カミさんの弟は、6歳の時に病気で亡くなったが、小学校前の子どもでも、自分が死ぬのを分かっていたという。人間も動物。動物は死に逝くのが分かるらしい。
7年前に、幾多の命が失われた。テレビに映る津波のあの光景は、とても忘れられるものではない。
一方、今朝の新聞には、原発事故で避難を余儀なくされた人たちが、東電から貰った補償金に対するやっかみ、イヤミの言葉にさらされているという記事があった。
家族を思う時間もなく津波にさらわれた人、着の身着のままで故郷から避難を余儀なくなされ人、そしてやっかみでその人たちに罵声を浴びせる人・・・・。
まだまだ続く、大震災の傷跡、そして忘れることが出来ない人間の魂である。
(付録) Netで話題となっている今日(2018/03/11)のNHKの番組表。震災特集記事を縦読みすると「東北が大好き!」「あの日を忘れないよ」と読める。
NHKもなかなかやるな!
| 0
コメント