何事にも“期待しすぎ?”
ついカーリングのルールを覚えさせられてしまった今回の平昌五輪。今日が閉会式。日本の13個(金4、銀5、銅4)のメダルは立派。選手たちは、国中からの期待というプレッシャーに、よくぞ耐えたものだ。その期待について、今朝(2018/02/25)の朝日新聞1面のコラム。
「折々のことば:1032 鷲田清一
私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか?(山田太一)
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一人でできることも衆知を集めてできることもたかが知れている。人の生の通奏低音は「無力」であると、脚本家は言う。可能性を極点まで探るのもいいが、すると「自他への不満をかかえ、追い立てられるように生を終る」ことになる。可能性があってもどこかで断念することも大事。「力点」を違えるな、と。自身が選んだ作家たちの文章集『生きるかなしみ』の序文から。」(2018/02/25付「朝日新聞」p1より)
五輪でメダルを取るような選手は、たぶん「あきらめない」精神の持ち主なのだろう。直ぐにあきらめては、記録など出ない。でも日常生活においてはどうだろう?
期待は不満の出発点。特に政治の動向などは、自分たちの“期待”と逆行していると、フラストレーション(欲求不満)が溜まる。ニュースを見ながら、つい口からは文句が出てしまう。文句を言ったからといって問題が解決する訳でも無く・・・・
山田太一氏は「人の生のベースは「無力」である」と言う。これはまさに仏教で言う「苦」に他ならない。仏教で言う苦は「思うがままにならないこと」。
このBlogを始めた数日後に「苦」について書いた記事がある。復習の意味で、そこから、ひろさちや氏の言葉を引くと・・・
「・・・仏教でいう苦とは本来「思うがままにならないこと」という意味なのです。・・・老も病も思うがままにならない。・・・人間はその思うがままにならないことを、何とか思うがままにしようとする。それが苦しみなんですね。
では、どうしたら苦しみから逃れられるのか。思うがままにならないことを、思うがままにしようとすることが苦なのだから、思うがままにしようとしなければいいだけのことです。
老いたくない、長生きしたい、ボケたくない・・すべてが思うがままにならないことです。だったら。そこは仏さまにおまかせして、自分であれこれしようとしないのがいい。それが苦から自由になるということなんですね。そして、思うがままになることをしっかりとやるのです。
大切なのは、何が思うがままにならないことであり、何が思うがままになることであるかを、しっかりと明らかにすることです。・・・」(ここより)
「自他への不満をかかえ、追い立てられるように生を終る」ことを避けるには、何事にも少し距離を置いた方が良いのかも知れない。
ニュースを見ても、直ぐにカッカしない・・・。何事も思い通りになんて、動くはずがないのだから、少々距離を置いて冷静に・・・・
古希を過ぎて、段々とおとなしくなる?エムズ君ではある。(否、おとなしくならにゃ!?)
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コメント
いやいやエムズ様、私は怒りがあるから進歩すると思っています。怒りが湧くから考えるのです。なぜ怒りが湧くのか。何事も神の思し召しという人がいますが、それは人間を捨てることになりませんか。喜怒哀楽は人間であるから起こるのです。生きている証拠です。死んだ人には喜怒哀楽がありません。仏様ではないのですから、大いに怒って世の中を良くしましょうよ。
【エムズの片割れより】
予想通りの白萩さんのコメントでした。
確かに怒りを止めた後に残る“あきらめ”の世界は、独裁者が君臨する世界。
それを選挙などで許している日本人は、怒りを忘れたのかも・・・。いや、そもそも怒っていない?
それに比べて韓国国民の怒りはすごいですね。
投稿: 白萩 | 2018年2月25日 (日) 22:04
私は世論調査 における個別政策の賛否と安部内閣の支持率の乖離についてずっと疑問を抱いています。30パーセントほどのコアな安部支持層がいるとしてもそのほかの人たちが安部内閣の政策に対しては「不満」は表明するものの 安部政権の存否については(あきらめ)にも似た心情で認めているのではないか?と感じています。
そこには「怒り」が欠けています。
自分ひとりでは無力であることは自覚していますが自分は一人きりではないことも事実です。
【エムズの片割れより】
確かにその通りですが、先の「名護市長選」を思い出しました。1月29日の記事。蔓延しつつある「あきらめ」「気持ちがなえる」という現実・・・
「農業の比嘉政昭さん(50)は28日、街頭から新顔の支援を呼びかけた。初めて選挙に関わる。「悩み抜いて、覚悟を決めました」
護岸工事が進む辺野古の北側の地域を「二見以北10区」と呼ぶ。比嘉さんはその一角、約6千坪の畑でカボチャを育てる。
移設には反対だった。名護市沖での海上ヘリポート建設の賛否を問うた1997年の市民投票は「反対」。8年前の市長選は、初の反対派市長誕生を後押しした。市長も、二見以北の出身。過疎が進む地元対策への期待もあった。
だが、何も変わらなかった。政府は「辺野古が唯一」と繰り返した。4年前の市長選は白票を投じた。
畑にいると、米軍機の音が響く。過去には米軍ヘリのドアが畑に落ちたこともあった。集落は人が減り、共同売店も小学校も、もうない。農地整備は進まず、500リットルタンクに水をため、簡易水道と畑をトラックで何度も往復する。「これじゃあ生産高は上がらず、担い手は育たない」。取り残される不安が募った。
昨春、辺野古で護岸工事が始まった。砕石を積んだダンプカーが行き交う。「誰が市長になっても工事は止められない」。気持ちがなえた。同じように閉塞(へいそく)感を抱く仲間と昨年11月、地域の将来を考える団体を立ち上げた。
自公が推す候補を支えようと決めたのは、予算獲得を国に働きかけてくれると考えたから。灌漑(かんがい)用水の整備やコミュニティーバスの導入などを求めた。「基地を認めるのか」と知人に言われた。基地だけが地域が抱える問題じゃないのにとの思いがぬぐえない。会員は今、約200人。
現市長は「命の限り反対し続ける」という。名護市民の1人あたりの所得は約192万円。比嘉さんは、「反対ばかりの市長では、もう限界だ」と考えている。」
投稿: todo | 2018年2月26日 (月) 21:21
エムズの片割れさん。ご紹介の記事は「札束で顔を引っぱたかれて・・・転びました」。--辺野古3区へ名護市の頭越しに政府のお金が落とされるのを見てことの善悪も正邪も判断することなく転びました。---ということですよね。
投稿: todo | 2018年2月28日 (水) 06:35