ダークダックスの「シーハイルの歌」
先日フト聞いたこの旋律が、なぜか頭から離れない。まさに旧友に再会したような気分。ダークダックスの「シーハイルの歌」である。
<ダークダックスの「シーハイルの歌」>
「シーハイルの歌」
作詞:林征次郎
作曲:鳥取春陽岩木のおろしが 吹くなら吹けよ
山から山へと われらは走る
きのうは梵珠嶺(ぼんじゅね) 今日また阿闍羅(あじゃら)
けむり立てつつ おおシーハイルステップターンすりゃ たわむれかかる
杉のこずえよ みれんの雪よ
心は残れど エールにとどめ
屈伸滑降で おおシーハイル夕日は赤々 シュプール染めて
たどる雪道 果てさえ知れず
町にはチラホラ 灯(ともし)がついた
ラッセル急げよ おおシーハイル
この音源はモノラル録音。それにしても、このダークダックスの歌声が若々しい。ダークの本格活動は1957年(昭和32年)の頃。この録音が昭和35年12月発売なので、まさに活動初期、メンバーが30歳頃の歌声だ。
Netでこの歌について色々とググってみた。
「シーハイル」って何だ?
(ここ)によると「シーハイル、「スキー万歳!」Viva Skiをドイツ語で言ったもの。スキーはSchi シー、ハイルHeilは万歳。コンサイスによると、Schi Heilは「スキーヤーのあいさつ言葉」と出ていました。」とありました。」だそうだ。
この歌の背景は(ここ)に詳しい。
「この詞は地元新聞、東奧日報の記者だった林征次郎さんが、昭和4年にスキーのメッカ、大鰐で合宿中の五所川原農学校スキー部部歌として一晩で作詞された。
一同は一晩かかって歌詞を覚え、翌日は梵珠嶺に高唱しながら登ったという。やがて県内に広がり一番の「岩木の下ろし」が青森では「甲田の下ろし」、野辺地では「烏帽子の下ろし」下北では「釜臥の下ろし」と変えて歌われた。昭和30年代半ばにダークダックスが歌い、新宿の歌声喫茶「ともしび」を拠点に全国へと広がった。
詞のなかの梵珠嶺は五所川原市と青森市境の標高 458m の山。また阿闍羅山は大鰐の近く標高704m。山スキーのメッカである。・・・・・
いま梵珠山の麓にシーハイルの歌の歌碑と林征次郎さんの碑が建立されている。
作曲の鳥取春陽(1900~1931)は岩手県出身。街頭演歌師で作詞、作曲もした。シーハイルの元歌は彼が17才ごろに作詞作曲した「浮草の歌」である。・・」(ここより)
まさに“歌声喫茶「灯」”の歌である。「灯」の歌詞の小冊子が懐かしい。シリーズで何冊もあった。当時大学生だった兄貴に連れられて何度か行ったことがある。
自分のスキーは独身時代。入社1年目に、同じ課の先輩に勧められて板を買った。靴はその先輩から貰った。そして1971年の1月に志賀高原に行った。それを機に、同期の連中とあちこち行く事になる。猪苗代、石内・・・。そして1972年・73年の正月は蔵王で年越し。
メモによると、自分のスキー生活は、1976年の1月の猪苗代が最後のようだ。自己流の滑り方だったので上達せず、結局パラレルもウェーデルンも出来なかった。
結婚してからは行っていない。カミさんは「黒い弾丸」を一度見たいと言うが、結局直滑降しか出来なかったというわけ!?
それに引き替え、ウチの長男はいまだにやっているらしい。今度の正月も、新潟に行くと言う。今ではスノボーなのだろうが・・・
でもスキー人口は激減しているという。自分にとっては遠い昔の記憶・・・
こんな歌を聞きながら、昔のスキー場をふと思い出した。
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コメント
懐かしい歌声をありがとうございます。
岩木のおろし~を蔵王のおろしと替えて歌ってました。青春時代が甦ります。
投稿: りんご | 2017年12月21日 (木) 16:30
エムズの片割れさま こんばんは
いい曲ですね
自分は 歌声喫茶では歌っていませんが
歌声喫茶でよく歌われたのは 想像できます
曲調は 明るいものではなく 浮草の旅 の歌詞が 二重映しになってきますね
人生流転 このような解釈でしょうか
この暗さが 人を惹きつけるのでしょうね
明るい人生 なんて珍しいです
この曲を 歌うようになったのは 野沢のゲレンデからでした もちろん 僕の時代は 板スキー 野沢の上の平で 指導員の資格をもつ大学同期の上級者に しごかれたこと しごかれたこと そのかわり上達もはやかったです
最後のスキー旅行は 斑尾 35年も経ちます 丁度プラスチック製のスキー靴が出だしたころで 僕もプラスチック製靴を買い
意気揚々とでかけました 二日目くらいかな
リフト横の小屋で 少し暖まってから上にいきますね そこでストーブに手をかざしているとき 足下で ペキッという変な音が
なんだろうと 足元に目をやると 片方のスキー靴に 小さな亀裂が見えました
えっー 何 そんなすぐに傷ができるの??? 今日一日は 滑れるだろうと安易に判断し リフトでのぼり ゲレンデ最上部へ
さぉ 滑り出しましたが 二三〇メーターも下りると ペキ また ペキ
二三百メーターもおりると 今度は
プラスチックが短冊状に割れて 飛び散ってゆき あと 数百メーターで ギブアップ
片足のスキー靴の外側のプラスチックは全く消滅 内側の布のものだけで板に乗っている状態となった次第 仲間が通りかかり 貸しスキー靴を調達してきてもらい おりてきました
では その破損した靴はどうしたか
行儀の悪いことですが 両足とも 雪にうずめてきました 雪のない斜面には 破損したスキー靴がのこされているのでしょうか
人生 いくつもの 忘れ物 積み残し
ありますね
【エムズの片割れより】
大変なドラマをありがとうございます。
自分は、自己流で滑ったので、まったく上達はしませんでした。
やはり最初はキチンと先生に教わるべきですね。
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年12月25日 (月) 23:04