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2017年12月19日 (火)

重い再審の扉~「名張毒ぶどう酒事件」事件

今朝(2017/12/19)、犯行当時19歳だった元少年を含む2人の死刑が執行されたという。

先日、スカパー「日本映画専門チャンネル」で放送された「東海テレビドキュメンタリー傑作選」の19作品(ここ)。全てを録画してじっくり見た。どの作品も秀逸で、見応えがあった。
中でも「名張毒ぶどう酒事件」を数年毎に追ったシリーズの番組は、えん罪と再審の重い扉について、重い課題を突きつけていた。

その「名張毒ぶどう酒事件」で、先日こんな記事があった。
名張再審棄却 なおも扉を閉ざすのか
 いったん開きかけた扉は、10年余を経て、再び固く閉ざされたままだ。名張毒ぶどう酒事件の再審請求である。第10次の請求を名古屋高裁が棄却した。
 高裁は2005年、第7次の請求に対して再審決定を出している。自白の信用性に「重大な疑問がある」と断じ、死刑判決の根拠が揺らいだ。けれども、検察が異議を申し立て、取り消された。
 死刑囚の再審開始決定が覆された例はほかにない。半世紀以上にわたって無実を訴えてきた奥西勝・元死刑囚は、第9次請求中の15年に収監先で亡くなっている。
 今回は、妹が代わって再審を求めた。無罪を示す新たな証拠として弁護側が提出した鑑定結果などを高裁はいずれも否定。実質的な審理は行わずに請求を退けた。
 事件が起きたのは1961年。住民の懇親会で毒物が混じったぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した。奥西元死刑囚は捜査段階で関与を認めたが、起訴直前に否認に転じた。一審判決は無罪。二審の名古屋高裁が逆転死刑判決を出し、72年に確定している。
 使われた毒物は、自白に基づいて確定判決が認定した農薬と異なるのではないか。ぶどう酒の王冠の傷は奥西元死刑囚の歯形なのか…。40年余に及ぶ再審請求で、数多くの疑問が生じている。
 検察が開示していない証拠も含め、裁判の場で検証し直し、真相を明らかにすべきだ。三審制の安定性を保つことは大事だが、冤罪(えんざい)による人権侵害の恐れがあれば、放置してはならない。
 「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則は再審にも適用される―。最高裁が75年に示した「白鳥決定」は再審の門を大きく広げた。その後、重大事件の再審が相次ぎ、免田、財田川、松山、島田の4死刑事件は、いずれも再審無罪となっている。
 「疑わしきは―」の原則を貫くなら、いったん再審開始の判断をした段階で、裁判をやり直すべきだ。名張事件に限らず、検察官による異議申し立てや抗告によって、存命中の救済が困難になっていることに目を向けたい。
 袴田事件は、静岡地裁の再審決定に検察官が抗告し、4年近くを経た今も東京高裁で審理が続く。ほかにも、再審決定が取り消されたり、審理が長引いたりしている事件がある。再審を求める人たちはいずれも80歳を超えている。
 再審は、冤罪被害者が人権と尊厳を回復するための制度だ。検察の抗告を制限することを含め、制度の見直しが欠かせない。」(
2017/12/15付「信濃毎日新聞」社説ここより)

2005年4月、第7次再審請求で名古屋高裁(刑事1部)小出錞一裁判長によって再審決定(死刑執行停止の仮処分)されたこの裁判。しかし、2006年12月、門野博裁判長(名古屋高裁刑事2部)は再審開始決定を取り消す決定をし、死刑執行停止も取り消された。「死刑囚の再審開始決定が覆された例はほかにない。」にもかかわらず・・・
そして翌年、門野博裁判長は東京高裁へ栄転し、再審決定した小出裁判長は依願退官している。
まさに国税庁長官に栄転した“誰か”と似ている。
この背景は何か?

その東海テレビ「名張毒ぶどう酒事件」シリーズの中で、第一作で2006年に放送された「重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~」という作品から、発言を少しメモしてみた。

「憲法第三十八条
強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。

<なぜ再審の扉は重いのか>
元東京高裁裁判官 秋山賢三さん(65)。25年間裁判官を務め50歳のとき、自ら退官した。
「意外とエリートコースを走っているような人間は再審開始しない。トイレに行くにも、裁判長、右陪席、左陪席の順番。東京地裁なんかもそうだが、食事に行くときも、エレベータに乗るときもその序列というのが身についてしまうと、先輩のした裁判を簡単に再審なんかとんでもない」
<裁判所に横たわる縦社会。最高裁判所長官を頂点に最高裁判事、その下に8つの高等裁判所の長官、そして全国50の地方裁判所の所長。これらの人事はすべて最高裁が握171219enzai る。最高裁の意に背いた裁判官の多くは出世コースから外れ、地方を転々とし待遇でも差が付く。4つの死刑冤罪事件で、最高裁で確定した判決を翻し再審開始決定をした12人の裁判官。そのうち所長になったのは免田事件の裁判長ただ1人。5人は定年を待たずに自ら退官している。秋山さんも徳島地検の裁判官だった昭和55年、再審開始の決定を下し出世の道を絶たれた。>

元仙台高検検事長 小嶌信勝さん(84)。検察幹部として松山事件や財田川事件の再審請求に関わってきた。
「調べれば調べるほど再審請求で問題になっている事件は、白(被告に有利)の証拠が出ても来ても、黒(被告に不利)の証拠は出てこない。」
<警察や検察の手元にしかない捜査段階の調書や証拠物。どの証拠を裁判所に提出するかは検察に委ねられているのが今の日本の司法である。実際多くの冤罪事件では検察が隠していた証拠が再審無罪につながっている。>
「それは不利益な証拠は検察も警察も裁判所に出す義務がないようになっているからね。今の制度、やっぱりおかしいんですよ。」
「なぜ出さないんですか?」
「起訴した以上は守りたくなるのが人間の心情。」

(秋山さん)「大きな事件では捜査段階で段ボール100箱200箱を押収するわけです。しかし裁判官は具体的な事件で証拠のほんの一部しか見せられない。拡大鏡でそこだけ見せつけられて有罪を確信してしまう。そういう構造になっている。」

見えてくるのは、男社会のメンツ。ダム建設のような国策事業は、いったん始めたら止まらない。それと同じだ。警察が犯人と“決めた”人を“落とし”、何が何でもメンツの為に、裁判を維持して、有罪を“勝ち取る”。もし無罪なら、起訴した検察のメンツが潰れる・・・。
そして裁判所も、最高裁まで有罪とした再審無罪の可能性のある事件は、裁判所のメンツのために、時間をかけることによって獄中死を待つ。そしてこの名張事件はうまく獄中死まで持って行けた・・・。

人の命が、男社会のメンツと保身・出世欲で差配されているようで情けない。その流れを変えるには、辞任覚悟で行わなければならない。
日馬富士暴力事件での貴乃花親方も、同様に見える。

日本の司法も、“人の命よりも忖度”で動いているようである。

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