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2017年12月11日 (月)

NHK受信料訴訟の最高裁判決~放送の不偏不党

6日にNHK受信料訴訟で、予想通り最高裁が合憲との判断を下した。
この判決の中で、下記判決文について、各紙の社説の論調を読み比べてみた。
「放送法が、NHKについて、営利目的の業務や広告放送を禁止し、財源を受信設備設置者から支払われる受信料で賄うこととしているのは、特定の個人、団体、国家機関などから財政面での支配や影響がNHKに及ぶことのないようにし、NHK放送を受信できる者に広く公平に負担を求めることで、NHKがそうした者ら全体により支えられる事業体であるべきことを示すものにほかならない。」

結果、次の2紙の指摘に興味が向いた。
朝日新聞(社説)NHK判決 公共放送の使命を常に
 家にテレビがある者はNHKと受信契約を結ばなければならない――。そう定める放送法の規定が「契約の自由」などを保障する憲法に反するかが争われた裁判で、最高裁大法廷は合憲とする判決を言い渡した。
 判断の根底にあるのは、公共放送の重要性に対する認識だ。特定の個人や国の機関などの支配・影響が及ばないようにするため、放送を受信できる者すべてに、広く公平に負担を求める仕組みにしているのは合理的だと、大法廷は結論づけた。
 問題は、判決が説く「公共放送のあるべき姿」と現実との、大きな隔たりである。
 NHK幹部が政治家と面会して意見を聞いた後、戦時下の性暴力を扱った番組内容を改変した事件。「政府が右ということを左というわけにはいかない」に象徴される、権力との緊張感を欠いた籾井(もみい)勝人前会長の言動。過剰演出や経費の着服などの不祥事も一向に絶えない。
 今回の裁判でNHK側は「時の政府や政権におもねることなく不偏不党を貫き、視聴率にとらわれない放送をするには、安定財源を確保する受信料制度が不可欠だ」と主張した。
 近年強まる政治家によるメディアへの介入・攻撃に抗し、この言葉どおりの報道や番組制作を真に実践しているか。職員一人ひとりが自らを省み、足元を点検する必要がある。
 メディアを取りまく環境が激変し、受信料制度に向けられる視線は厳しい。それでも多くの人が支払いに応じているのは、民間放送とは違った立場で、市民の知る権利にこたえ、民主主義の成熟と発展に貢献する放送に期待するからだ。
 思いが裏切られたと人々が考えたとき、制度を支える基盤は崩れる。関係者はその認識を胸に刻まなければならない。
 あわせて、NHKが道を踏み外していないか、政治の側が公共放送の意義をそこなう行いをしていないか、チェックの目を光らせ、おかしな動きにしっかり声をあげるのが、市民・視聴者の務めといえよう。
 最近のNHKは、民放との二元体制で放送を支えてきた歴史を踏まえずに事業の拡大をめざすなど、自らの事情を優先する姿勢に批判が寄せられている。
 今回の受信料裁判を機に、公共放送のあり方について、あらためて社会の関心が集まった。
 これからの時代にNHKが担う役割は何か。組織の規模や業務の内容は適正といえるか。NHKが置き去りにしてきた、こうした根源的な問題について議論を深めていきたい。」(
2017年12月7日付「朝日新聞」ここより)

琉球新報<社説>NHK受信料「合憲」 公共放送の責務自覚を
 最高裁はNHK受信料制度は合憲と初めて判断した。テレビがあれば受信契約を結び、受信料を支払う法的義務があると指摘。テレビを設置した時点にさかのぼり負担する義務があるとした。
 しかし、視聴者とNHKの関係は単に支払う、受け取るという関係ではない。公共放送はあくまでも国民の信頼によって成り立つ制度であり、受信料の額や政策など公共放送を支える視聴者の意見を取り入れる仕組みが必要だ。NHKは視聴者の公共放送の重い責務があることを忘れてはならない。
 訴訟では「受信設備を設置した者はNHKと受信契約を結ばなければならない」と定めた放送法64条1項の解釈などが争点となった。訴えられた男性側は「法的拘束力のない努力規定。支払う必要はない」と主張。支払いの強制は契約の自由を侵害し、違憲だと主張していた。
 最高裁大法廷は、受信料制度について「NHKに国家機関などからの影響が及ばないようにし、広く公平に負担を求める仕組みだ」として、「制度は国民の知る権利を充足するために採用され、表現の自由を確保するという放送法の目的を達成するために必要で合憲」とした。
 ただし、現行の受信料制度を疑問視する意見もある。電気や水道、ガスなどの公共料金は基本料と従量制で料金が決まる。しかし、NHKの受信料は見た、見ないにかかわらず一律定額となっている。利用状況に応じた料金設定があってもいいだろう。
 NHKは訴訟で、国家から独立した形で、安定的な財源を確保するために受信料制度は不可欠だと主張した。しかし、国家からの独立を疑問視したくなる事態も起きた。
 2013年11月、安倍晋三首相は、自身への支持を公言する作家百田尚樹氏らをNHK経営委員に任命した。経営委が会長に選んだ籾井勝人氏は14年1月の就任会見で「政府が右と言うものを左と言うわけにはいかない」と述べ、政権と歩調を合わせる発言をした。15年2月には「従軍慰安婦の問題は政府のスタンスが見えないので放送は慎重に考える」などと発言し「自ら放送の自主・自律を投げ捨てる」として批判された。
 NHKが政府の意向に沿うような偏った番組を放送した場合、視聴者はどのようにして意思表示すればいいのか。
 現行の放送法上、視聴者は国会によるNHK予算の承認という間接的な手続きでしか運営に関与できない。受信料不払いは、視聴者の直接的な意思表示という側面もある。実際、職員の不祥事が相次いで発覚した04年以降支払い拒否が急増した。
 テレビを設置した時点で契約義務があるというのなら、主要先進国のように、政府ではなく市民の代表を含む独立行政委員会が放送政策を決める制度の導入などを検討すべきである。」
(2017年12月10日付「琉球新報」ここより)

上の記事で「今回の裁判でNHK側は「時の政府や政権におもねることなく不偏不党を貫き、視聴率にとらわれない放送をするには、安定財源を確保する受信料制度が不可欠だ」と主張した。」とある。判決もそれを追認した。
だとすると、安倍政権の籾井会長や百田委員の任命は、どう捉えたら良いのだろう?NHKの不偏不党に介入する政権から、どう守ろうとしているのだろう?
NHKの主張と判決が、政権によって踏みにじられているのが現実。それが許される仕組みがある。

実は、自分は大のNHKファン。いや、民放嫌いだった。特に民放のバラエティーがキライで、ズラリと並んでガハガハ笑ったり、食べ物をクチャクチャする口元を大写しするシーンが大キライだった。つまり自分はNHKしか見ない。逆にカミさんは民放しか見ない。
長い間のそのスタンスが劇的に変わったのが、「政府が右と言うものを左と言うわけにはいかない」という籾井会長の出現。
これによって、NHKニュースや報道のスタンスに疑念が湧き、それ以来民放のニュースを見るようになった。
民放のニュースや報道番組のスタンスは、自分はどうも思い込みがある。TV朝日=朝日新聞、日テレ=読売新聞、TBS=毎日新聞、フジテレビ=産経新聞・・・
それで、ついTV朝日やTBSを良く見るようになった。

報道姿勢を除くと、NHKはやはりスゴイと思う、自分はドキュメンタリー番組が好きだが、NHKの番組はさすがである。
昨日のNHKスペシャル「追跡 東大研究不正~ゆらぐ科学立国ニッポン~」(2017/12/10放送)も、さすがだった。

ドキュメンタリーといえば、実は自分は4K番組視聴のために、スカパーの「日本映画専門チャンネル」を契約しているが、「東海テレビドキュメンタリー傑作選」(ここ)が素晴らしい。(2017/12/10~12放送)。
このシリーズは前から放送しているらしく、今回は新作含めて19作品。
自分の好きなNHK BSの「ザ・ベストテレビ」。民放を含めたドキュメンタリー番組の受賞作品だが、東海テレビは受賞の常連。それらがまとめて見られる。
このように民放も頑張っているが、NHKはやはり老舗。

NHKは今回の最高裁判決を肝に銘じ、籾井前会長の報道姿勢は論外で、今後の“不偏不党”は当然として、NHKでしか作れない秀逸な番組を期待したいものだ。
そして政権のNHKへの介入を、“今回最高裁判決を逆手に取って”何とか拒否して欲しいもの・・・。

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コメント

http://www4.nhk.or.jp/P4235/x/2017-12-16/10/23893/2899060/
ここの記事と直接関係ありませんが、一応NHK関連ということで。
ちなみに、次回(第8集)で最終回です。

【エムズの片割れより】
NHKらしい番組でした。

投稿: マッノ | 2017年12月15日 (金) 22:54

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