昭和51年の出来事(29歳)~研ナオコの「愚図」
自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの30回目。3年半ぶりの再開である。例のごとく、自分が28歳から29歳、つまりサラリーマン7年目になった昭和51年(1976年)の出来事を調べてみる。
この年は、1月に宅急便が始まった。2月にはロッキード事件の捜査が始まり7月には田中 角栄前首相逮捕。5月は、植村直己が北極圏単独犬ゾリ横断を達成。7月は第21回オリンピック・モントリオール大会。そして7月にはピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューして大騒ぎが始まった。9月には日本ビクターがVHSビデオを発表。家庭用ビデオの到来である。政治では、三木内閣が退陣し、福田越夫内閣が成立。
そして歌だが、レコードの売上枚数から見たベスト10は、「およげ!たいやきくん(子門真人)」「ビューティフル・サンデー(ダニエル・ブーン)」「北の宿から(都はるみ)」「木綿のハンカチーフ(太田裕美)」「岸壁の母(二葉百合子)」「俺たちの旅(中村雅俊)」「あなただけを(あおい輝彦)」「横須賀ストーリー(山口百恵)」「わかって下さい(因幡晃)」「あの日にかえりたい(荒井由実)」の順だという。
今日取り上げる歌は、本当はこの中から選びたいが、何かしっくり来ない。それで、レコード売上の順位は低いが、研ナオコの「愚図」を取り上げたみたい。
<研ナオコの「愚図」>
「愚図」
作曲:宇崎竜童
作詞:阿木燿子あの娘があんたを 好きだって
こっそりあたしに 打ち明けたとき
友達だもの まかせときなよなんて
心にもないこと 云っちまった
あの娘はまつ毛が 自慢の娘で
まばたきしながら 人を見るのさ
比べてみたって 仕方がないよなんて
独りで勝手に 決めていたっけ
あたしって本当に 愚図なお人好しあの娘にあんたを 逢わせたのは
あんたと行きたかった コーヒーショップ
仲良くしてよ いい娘だからなんて
ふたりを笑わせて ばかりいたっけ
あの娘は精一杯 おめかしをして
あたしは色のあせた ジーパン姿
ひとりでやたら しゃべってばかりいたから
目の前のコーヒーも さめてしまった
あたしって本当に 愚図なおせっかい早く独りに なりたかったよ
そして何処かで 泣きたかった
急に重たい 心の中に
ふたりの笑い声 遠くに聞こえた
喉まで出かかった 言葉だけれど
云わずに先に 帰って来たのさ
本当はあんたが 好きだなんて
今更云える訳 ないじゃないの
あたしって本当に 愚図なおばかさん
この歌は自分的には記念碑的な歌!? つまり、歌詞の内容をほとんど気にせずに歌を聞く自分にとって、この歌だけは歌詞の内容を意識しながら聞いた歌だった。
この歌は、あまり美人が歌うと合わない(失礼!)だ。
それと、この歌は中島みゆきの歌かと思っていたら、宇崎竜童/阿木燿子のコンビの歌だって・・・
この歌を、佳苗(かなえ)という歌手の歌でも聞いてみよう。
<佳苗の「愚図」>
当サイトの歌の傾向からいうと、非常に異質な編曲の歌である。そもそも自分はオリジナル派であり、あまりにもオリジナルとかけ離れた編曲は好かない。しかし、なぜかこの歌は自分にフィットした。我ながら、何とも珍しい。
さて、話を昭和51年に戻すと、個人的には自分が結婚した年である。少しメモしておく。
1976年4月24日にお袋から、ある親戚?から見合いの話が来たとの電話を受ける。28日に写真と釣書が送られてきて、翌日にこちらの写真を送り、5月8日に親戚から会社に電話が掛かってきて、見合いの日取りを約束。そして5月23日にお見合い。まあ喫茶店で会って、市内をブラブラしただけ。昼食に釜飯屋に入ったが、こっちは緊張でほとんど食べられなかったが、相手は完食。負けた・・・
5月25日に付き合いOKの連絡が来て、5月29日に初デート。ホテル・ニュー・オータニの回転レストランで夕食。そして翌週の6月6日の鎌倉での2度目のデートで、婚約。6月13日に、11月23日の式場(赤坂・麹町会館)を予約。(つまり、“食い物”で“釣った”ことが分かる!)
茨城の実家に連れて行ったのが、7月18日だった。その時に会った祖母が「もういつ死んでも良い歳なので・・・」といった事を言っていたのを、いまだに覚えている。
その5日後の7月23日に、祖母は脳溢血で亡くなった。82歳だった。
仕事も、この年に分野が大きく変わり、後から考えると、公私ともに人生の最大の変曲点だった年。つまり、仕事のこの年の変化を乗り越えたので、その後のサラリーマン生活があった、とも言える。
今思い出しても、この年は大変だった。
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