NHK「ありのままの最期」~緩和ケア医師/僧侶・田中雅博さんの最期
今朝の朝日新聞「きょうの番組」の「はがき通信」に、「ありのままの最期」(NHK)(2017/10/8再放送)という番組についての投稿があった。
8日ならタイムシフト番組に残っているはず、と見てしまった。
NHKの番組の紹介にこうある。
「ありのままの最期 末期がんの“看取(みと)り医師” 死までの450日(2017年9月18日放送)
<番組内容>
始まりは2年前の12月。末期のすい臓がんで余命わずかと宣告された医師がいると聞き、取材に向かった。田中雅博さん(当時69)。医師として、僧侶として終末期の患者に穏やかな死を迎えさせてきた「看取りのスペシャリスト」だ。これまで千人以上を看取った田中さんの「究極の理想の死」を記録しようと始めた撮影。しかし、次々と想定外の出来事が…。看取りのスペシャリストが見せてくれたありのままの最期、450日の記録。」(NHKのここより)
★この番組は、YOUTUBE(ここ)で見ることが出来る。
氏の訃報は、産経新聞にも載ったようだ。
「田中雅博師死去 僧侶兼医師、医療と仏教の協力目指す 訃報2017.3.22
僧侶兼医師として終末期医療に仏教精神を取り入れることを提唱し続け、自らもがんに侵された真言宗豊山派の西明寺住職、田中雅博(たなか・まさひろ)師が21日、死去した。70歳。自坊は栃木県益子町益子4469。家族のみの密葬を行い、後日、本葬を行う。日程は未定。
昭和21年生まれ。東京慈恵会医科大卒。国立がん研究センターで内科医として勤務後、父の死去に伴って58年に退職し、西明寺住職を継いだ。
平成2年、境内に普門院診療所を開設。仏教精神に基づく緩和ケアに取り組んだ功績が認められ、ローマ教皇庁の招きで4度にわたり渡欧し、仏教者の立場から国際会議で講演した。
26年には進行性の膵臓(すいぞう)がんが見つかり、闘病を続けながら、宗教者が布教を目的とせずに患者のケアに当たる「臨床宗教師」の育成に尽力。28年に日本臨床宗教師会の顧問に就任した。」(2017/3/22付「産経新聞」ここより)
いつものように、この番組で心に残った言葉をメモしてみた。
「死ぬ苦しみをいかにして解決するか。その方法として行われるのが傾聴。本人の話を聞いて理解することで、話し手の方が居間まで気づかなかった本人の物語を自分自身で完成する。」
「田中さんは“死ぬのは怖くない”と言い続けていた。理由を聞くと、これまで看取った患者から“死に方”を学んだからだという。」
「田中さん夫婦は、お酒を飲むのが大好きだ。末期ガンが見付かってからも変わらない生活を続けていた。
病気になって節制する人は多いと思うんですけど?
無意味。病気に対して悪くてもいい。病気に対して良いことだけすることが良いとは限らない。悪くてもお酒飲んで楽しければそれでいい。」
「僧侶として患者の話に耳を傾け死の恐怖を取り除いてきた。3年前がんになり自分も人に話しを聞いてもらいたいと思った。友人や仕事仲間、そして講演会、自分の生きてきた価値を確かめながら語り続けた。
話を聞いて貰えて非常に満足しています。誰にも相手にされなかったら、こんなに寂しいことはない。」
「死ぬ時は、どういう風に死にたいとか、決めているのですか?
DNR(蘇生措置を拒否)ですな。人工呼吸、心臓マッサージ、そういったものを拒否します。
田中さんはDNR以外にもうひとつ自分の最期について意思表示をしていた。持続的鎮静。耐え難い苦痛を抑えるために、麻酔薬で意識を低下させ眠らせる医学的処置である。余命1~2週間から数日の段階で行い最期は眠ったまま死を迎える。「苦痛に耐えられなくなった時は眠らせてくれ」。田中さんは(妻の)貞雅さんにそう伝えていた。」
そして意識は段々と混濁していき、最期は妻貞雅さんの名前だけを繰り返す・・・・
そして「寝かせてくれ」を繰り返す。・・・
妻の貞雅さんは言う。
「私自身が医者でありながら、何でこんな時まで放って置いたんだって。もっと早く検査すれば良かった。他の人にあれだけ注意して、早期がんが見つかってありがとうございますと言っているのに、何で肝心の自分の旦那さんを、自分の主人をこういうふうになるまで(検査を)やらせなかったのは、一生悔いが残るね。代われるものなら代わりたい。もう1年もう2年早かったら、こんな命もってかれるの事はなかったのに・・・。自分が愚かだったというのが・・・・」
「命を持って行かれる」という言い方・・・・
そしてナレーターは最後にこう言う。
「田中さんが教えてくれたのは、「死はきれい事ではない。思いどおりにいかない」という事。そして「人は一人では生きていない。だから一人では死ねないんだ」と言うことも。
看取りのプロは言った。「先に死にゆく者の死に方から学べ」。その答は一人ひとりの胸の中にある。」
自分とほぼ同年代の人の死。自身も古希を迎え、死もそう無関係のことではない。
親が先に逝き、次は我々の番なのである。
死は怖くない・・・!? 本当だろうか?
この番組でも、最後に頼れるのは夫婦。自分も、カミさんに話を聞いて貰いながらだったら、そう思えるのかも知れない。「怖い」と言って、それを聞いてくれる人が居れば・・・・
自分もつくづく“先に逝きたいな”と思って見た番組であった。
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コメント
私の家の裏隣りのお爺ちゃんは、奥さんに「俺が死んだ3日後にお前が死ね」と言っていたそうです。お爺さんは介護が必要になって、介護ホームに入りました。お婆さんは夫のわがままにずっと泣かされていたので、介護ホームに会いに行くこともなく楽しそうに何年か暮らして、心臓発作で突然亡くなりました。お爺さんもお葬式には来ましたが、介護ホームで若い介護士さんに親切にされて満足していたようですぐホームに帰って行きました。奥さんは自分の持ち物だと思ってこき使っている夫族の皆様、奥様に見放される老後が待っていますよ。エムズ様も大丈夫でしょうか。亡くなる時はだれも予想がつきません。死は怖くないとお説教をしていた偉いお坊さんが「死にたくない」と死に際に叫んだ話を聞いたことがあります。子孫に沢山の財産を残せるようになってからあの世に逝きましょう。当分死ねませんね。うふふふ・・
【エムズの片割れより】
我が家は一応平穏です。自分が覚りを開いたから・・・
「我が家の西太后には決して逆らわない。西太后の言うことは、何を言っても「Yes」。それ以外の返答はない!!
「明日**に行くよ」「ハイ!」「これ直しといて」「ハイ!」「トイレ掃除は?」「ハイ!」
これしか、自分の生きる道は無いようで・・・・
TV朝日の昼の「トッとちゃん」を見ています。北海道のお祖父さんが、まさに“裏隣りのお爺ちゃん”。
平穏な老後は無理ですね・・・。
早く自分のように、悟らねば!!
投稿: 白萩 | 2017年10月21日 (土) 12:25