さだまさしの「転宅」
だいぶん前から、愛機HAPZ1ESに置いてある「歌」を、順番に聞いている。音源を歌手別のフォルダに分けているのだが、寝る前に暗いベッドに入ってから聞くのが趣味。
自分なりの洋楽・童謡のジャンルを別にした「歌」のカテゴリには、今見たら6571の音源がある。
改めて「あ」から順番に聞いているが、今は「さ」で「さだまさし」の歌を聞いている。
さだまさしの主だった歌は既に取り上げているが、「転宅」という歌をきいて、改めて挙げておきたいと思った。
<さだまさしの「転宅」>
「転宅」
作詞/作曲:さだまさし親父が初めて負けて 大きな家を払った
指のささくれ抜くみたいに 後ろ向きで荷作りをした
いやな思い出は皆 残してゆきましょうと
床の間の掛軸丸め乍ら かあさんが言った
丁度かくれんばで 息ひそめて
鬼の過ぎるのを待つみたいで
何も無くなった部屋では
おばあちゃんが 畳ふいてたそれから移り住んだのは 学校の裏通り
そこで初めて家で過ごす 親父の背中を見た
ひとつ覚えているのは おばあちぁんが我が子に
負けたままじゃないだろうと 笑い乍ら言ったこと
人生は潮の満ち引き
来たかと思えば また逃げてゆく
失くしたかと思えばまた
いつの間にか戻るそのあと我が家はも一度 家を替わることになる
一番喜ぶはずの人は 間に合わなかったけれど
人生は潮の満ち引き
来たかと思えば また逃げてゆく
失くしたかと思えばまた
いつの間にか戻る
この歌は、1976年発売の、さだまさしのソロ1枚目の「帰去来」に収録されている。(上の音源は「帰郷」(1986年)から)
WIKIに「父・雅人は第二次世界大戦終戦後、長崎出身の戦友とともに復員し、そのまま長崎に住み着いた。その後、戦友の妹・喜代子と結婚し、雅志・繁理・玲子の3人の子をもうけている。雅志の幼少時は、父・雅人は材木商を営み、自宅は部屋が10以上もある豪邸だった。3歳よりヴァイオリンを習い始め才覚を現す。ただし1957年の諫早の大水害によって父の事業は失敗し、一家は豪邸を失い小さな長屋住まいとなる。」とあるように、自叙伝的な作品らしい。さだまさし5歳の時の記憶であろう。
さだまさしの作品は、この歌のように、内容が非常に分かり易い歌と、歌詞が難解な哲学的な歌、そしてコミカルソングに分けられるような気がする。
この歌は、歌詞から情景が直ぐに浮かぶため、聞いていて何か悲しくなってくる。WIKIの「帰去来」の項にあるように「佐田家の人間はこの歌を面白半分に歌われる行為を嫌う。」 のも良く分かる。自分の家の困難な時の状況なのだから・・・・。
このお父上は、2009年に90歳で他界され、明るく送ったという。
この歌の真実は「人生は潮の満ち引き 来たかと思えば また逃げてゆく 失くしたかと思えばまた いつの間にか戻る」という歌詞ではないか。
人間、挫折した時は、なかなか明るい将来を思い描けないが、確かに朝の来ない夜はない。
孫たちの為にも、何とか未来が明るいことを祈ろう。
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