« 「無関心と呼ばれる政治不信」 | トップページ | 叙情歌の思い出 »

2017年9月24日 (日)

お彼岸~叔父の思い出

昨日は春分の日。秋のお彼岸。先日、朝日新聞にこんな投書が載っていた。
「(声) 「有縁」語り合った弟の三回忌
    農業(大分県 77)
 この夏は弟の三回忌で、有縁の者たちが集まり仏に手を合わせた。僧侶の読経の後に短い法話があり、続いて僧侶はおもむろにお供えの包み(御仏前)の束を手に取り、「在りし日の故人との思い出を語ってもらいましょうか」と言った。
 包みに書かれた名前を順に指名され、お参りした者たちは口々に弟との思い出を語っていく。内容に濃淡があるのは仕方がない。付き合いが浅いと、話すのに限りがある。逆に我々3兄弟は短時間では語り尽くせない。仕方なく一端を語って次に譲ったのだった。
 法事の場で、集まった人それぞれが故人について語ったのは初めての経験で、私自身面食らった。しかし、これはいい試みだ。後のお斎(とき)(会食)では、当然皆が故人について持ち合わせているエピソードを語るが、それは近くにいる人にしか伝わらない。
 法事は、有縁の者を有無を言わせずに集めるこの上ない手段である。お互いが日頃の無沙汰をわび、近況を語り合う。そんな機会を故人が作ってくれるのだ。そう思うと故人に感謝しなければならない。次は4年後の出会いとなる。」(
2017/09/14付「朝日新聞」p14より)

人間には2つの死があると良く言われる。肉体の死と、誰からも忘れ去られる死。
そんな意味では、法事も意味があるのかも知れない。故人を思い出すきっかけとして。
しかし、上の投書のように、強制的に指名し、故人のエピソードを語らせる、というのはどうかと思う。
つまり、皆の前で話すことが大好きな人間(主に男性)と、人前に出ただけで上がってしまって、話せなくなる人(主に女性)とが居る。
男は、会社で人前で話すことに慣れているが、女性は、そんな機会は無い。しかし男性でも、突然振られたら、困ってしまう。やはりこんな場は、話したい人に絞るべきだ。

ふと、前に叔父の法事で、にぎやかな思い出話大会があったことを思い出した。たくさんの孫たちが、おじいちゃんのことをテーマに、学校の学芸会のようなこともしていた。
今朝、墓参りに行った弟が、その叔父の墓参りに来た叔母と偶然会ったという・・・。

今朝、弟からメールが来た。今日、お彼岸でお墓参りに行ったが、帰りに、バッタリと叔母と従姉妹夫婦に会ったという。
2004年に68歳で亡くなった親父の一番下の弟(叔父)が、娘二人だったので、自分の両親と同じ墓に入っている。その叔母と、娘(従姉妹)夫婦がちょうど墓参りに来ていて、会ったのだという。
偶然も偶然だ。
自分はサボっているが、信心深い?弟は、日暮里・谷中にある菩提寺の墓参りを欠かさない。有り難いことだ。
しかし、叔母の家は伊丹なので、なかなか来られない。弟のメールによると、叔母は膝の調子が悪くてなかなか来られなかったが、少し調子が良くなったので、思い切って2年ぶりに娘の住んでいる平塚まで出て来て、今日、墓参りに来たという。
叔母も81歳。一人で大阪から出てくるのは大変だ。

この叔父に関しては、思い出が多い。自分が小学校5年の時、水戸の祖父母が竜ヶ崎の家に遊びに来た。ちょうど夏休みだったので、一緒に水戸に連れて行って貰った。1週間くらい泊まったか・・。その時に会社に入ったばかりだったのが叔父。夕方、ライターの石を買いに行くと言うので散歩がてら一緒に付いていった。道すがら、おもちゃ屋で飛行機の模型を欲しそうにしていたら買ってくれた。それが嬉しかったこと・・・
祖父が亡くなった後、叔父が結婚する時に、19歳年上の親父が結婚式で親代わりをするというので、婚約者を連れて家に挨拶に来た。その時のことも覚えている。美人の婚約者の前で、よほど嬉しいのか、婚約者に良いところを見せようとして、3人で一緒に散歩に行った時に、野球をやっていた叔父が、道の石を拾って、「あの木に当てる」と投げていた。ちゃんと当たったのかどうかは覚えていない。まあ当たったことにしておこう。
受験のときに、泊めて貰ったのも叔父の家。その後も何度も遊びに行った。学生の時には、寿司屋に連れて行って貰って、初めて“お好み”で寿司を食べた。「あがり」「ぎょく」という言葉も、その時に教わった。
叔父は、東京、清水、伊丹と移り住んだが、自分は会社の出張で時間が取れると、いつも押しかけていった。しかも突然に・・・
いつもお酒をお土産に持っていった。1970年の大阪万博に行った帰りは、日本中の色々な日本酒の小瓶がたくさん入ったものをお土産に持って行ったら、それは喜ばれた。
それ以来、いつもウイスキーを持って行った。
そのお酒とタバコが大好きだった叔父が、肝臓を痛めて68という若さで亡くなってしまって、ちょうど13年になる。懐かしのメロディーが好きで、突然に行っても、いつも叔母と一緒に歓待してくれた。
自分もその叔父が亡くなった歳を越えてしまった・・・・。

前からもそうだったが、最近特にカミさんとの雑談の中で、葬式に関する話がヤケに多い。
カミさんが一貫して言うことは、自分の葬式は簡素で、家族だけでやって欲しいと・・・。
そんなことは、ガンの余命宣告を受けてからで良いではないか、と言うが、先日心臓に少しトラブルが見付かったせいで、カミさんは自分より先に、心臓で死ぬと信じている。
もし自分より先にそうなったら、自分も必然的に殉死(餓死)する、と言ってはいるが・・・

相変わらず、夢に親父やお袋が出てくる。先日は、お袋から横っ面を張り飛ばされた夢まで・・・。(現実には無かったが・・・)
お彼岸である。いつもしていないお線香でもあげようか・・・。

170924yome <付録>「ボケて(bokete)」より

|

« 「無関心と呼ばれる政治不信」 | トップページ | 叙情歌の思い出 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「無関心と呼ばれる政治不信」 | トップページ | 叙情歌の思い出 »