加計学園の獣医学部を認めた国家戦略特区は「憲法違反」
ヒマに任せてネットサーフィンをしていると、面白い記事に出くわすことがある。これも歯切れ良く、面白い。
「加計学園の獣医学部を認めた国家戦略特区は「憲法違反」
安倍内閣の不正義を許さない――。文科省の大学設置・学校法人審議会(設置審)が25日にも結論を下すとみられている加計学園の獣医学部新設問題で、ついに法曹界が怒りの声を上げた。「加計学園問題追及法律家ネットワーク」(共同代表・梓澤和幸、中川重徳両弁護士)が、獣医学部の新設は「裁量権を逸脱・濫用する違憲かつ違法の決定」である疑いがあるとして、7日、国家戦略特区諮問会議で認定に至った経緯を確認するための質問状を安倍首相らに送ったのだ。
質問状では、獣医学部の新設には、2015年6月の閣議決定で設けられた、既存の大学・学部では対応困難な場合や、近年の獣医師需要動向を考慮する――といった「石破4条件」を満たすことが不可欠だったにもかかわらず、議事録を確認する限り、加計学園では「具体的な検討・検証を経て共通認識に至った形跡が窺えず、石破4条件を充足するとされた確たる根拠は不明」と指摘。
特区認定が、憲法65条や内閣法4条の趣旨に反する――としているほか、国家戦略特区基本方針では、〈諮問会議に付議される調査審議事項について直接の利害関係を有する議員は審議や議決に参加させないことができる〉(特区法)とあるのに、加計孝太郎理事長と親しく「利害関係を有する立場」の安倍首相が認定したのは「違法なものというほかない」と断罪している。
さすが法律家のグループだ。加計問題を「水掛け論」とトボケている安倍首相とは違い、法律に照らして的確に問題点を突いている。安倍首相は法律家グループの質問状に対して論拠を示して正々堂々と答えるべきだろう。
指摘通りなら加計学園の獣医学部新設は違法となるわけだが、野党内からは、そもそも国家戦略特区自体が「憲法違反」との声が出始めている。
「憲法14条は、すべての国民は法の下の平等にあり、『政治的、経済的又は社会的関係において差別されない』と規定し、憲法95条は、地方公共団体のみに適用される特別法は、当該地方公共団体の住民投票で過半数の同意を得なければ、国会は制定できない――とある。しかし、国家戦略特区は住民の意思など全く関係なく、特定の地域に恩恵をもたらす仕組み。つまり条文の趣旨を明らかに逸脱しています」(司法ジャーナリスト)
設置審が「憲法違反」の獣医学部新設を認可したら、日本は法治国家ではなくなってしまう。“壊憲”しか頭にない安倍首相にとっては、何とも思わないのだろうが、国民にとっては冗談じゃない。何が何でも新設を認めたらダメだ。」(2017/08/09付「日刊ゲンダイ」ここより)
加計学園と言えば、読売と朝日でこんな違いがあるという。
「読売「首相の一日」と朝日「首相動静」を読み比べて分かってしまった“あの人の不在”
2016年8月10日午後6時21分、居酒屋「漁」の怪
さて、「首相動静」をはじめとする各紙の首相の1日の記録を読むと、誰と会食したかまで克明に載っている。
しかし、各紙同じ情報が載るはずのこの記事に「差」がある日を発見してしまった。それが昨年「8月10日」。
この日の晩、安倍首相は山梨県鳴沢村でゴルフをしたあと、ある人と会食していた。
まず「朝日新聞」。
「3時32分、別荘。6時21分、同県富士河口湖町の居酒屋「漁」。加計孝太郎学校法人加計学園理事長、秘書官らと食事。8時37分、同県鳴沢村の別荘。」(首相動静)
では「読売新聞」を見てみよう。
「3時32分、同村の別荘。6時21分、同県富士河口湖町の居酒屋「漁」で秘書官らと食事。8時37分、別荘。」
あ……、読売では「加計孝太郎」の文字が抜けている。食事をしたのは「秘書官ら」になってる。
これは一体、どういう意味なのだろう。「何時何分」まで各紙同一で克明なのに不思議な差である。
まさか「忖度」が発生したのか、それともただの「手抜き」なのか。当時はこの差は誰も気にしなかったが、今となって考えると興味深い。
この「2016年8月10日」の読み比べは、フジテレビの報道情報番組『ユアタイム』の新聞読み比べコーナーでも先週紹介したら、反響が大きかった。
新聞の首相の1日の記録欄は地味だが、推理小説よりも面白かったりする。 (プチ鹿島)」(「文春オンライン」ここより)
読売のこの事実が“意識的”だとすると、もう日本のメディアは死んでいるな・・・
ところで、「国会」とはいったい何だろう。改めて広辞苑を引いてみると、「こっ‐かい【国会】コククワイ 日本国憲法上、国権の最高機関で、かつ、国の唯一の立法機関。衆議院と参議院との両院で構成し、両院は主権者たる全国民を代表する選挙された議員で組織する。明治憲法下の帝国議会も俗に国会と称したが、その地位・権限は遥かに劣っていた。」とある。
“国権の最高機関”が笑ってしまう。誰にでも分かるウソを堂々と言って、それがまかり通る学芸会。しかしそこで、国民を縛る法律が出来るというのだから怖ろしい。
3つもコピペするのは心苦しいが、下記の記事も気になった。
「(社説余滴)北朝鮮化する日本? 箱田哲也
軍事独裁政権の重い縛りを解き、韓国の民衆が自由を勝ち取って今年で30年になる。
そんな節目の年に、「絶対権力」と言われる現職大統領を革命的に、しかも非暴力で引きずり下ろしたわけだから、韓国の帯びた熱は簡単には下がらない。
ソウルであった30周年記念の国際会議をのぞくと、人々の陶酔感を肌で感じた。その際、何人かの韓国側出席者から同じような質問を受けた。
権力者の公私混同にまつわる疑惑が浮上したという点では日韓とも似ているが、日本社会はどうしてかくも平穏なのか、という問いだ。
状況が違うしなあ、と答えを考えていると、日本留学の経験がある学者が割り込み、「国民性の違い。日本は選挙で意思を示す」と解説した。
韓国には市民が立ち上がって圧政を覆した成功体験がある。今回の大統領弾劾(だんがい)もそうだが、独裁復活のにおいが漂う不当な権力行使には極めて敏感なだけに「日本は自由社会なのになぜ」と考えるのも無理からぬことか。
また、日本の一連の騒動は妙に韓国側を納得させていることも知った。「日本は法治や行政が成熟した先進国という印象だったが、実はそうでもないのね」「韓国特有かと思っていた忖度(そんたく)という概念は、日本にも根付いてたんだ」など、どこか安心したように感想を語るのだった。
確かに日本の民主主義のイメージは傷ついたかもしれないが、日本留学経験者の指摘通り、東京都議選は安倍政権に大打撃を与えた。
それに今は勢いづく韓国だって、いずれ民意と現実のはざまで苦悩の時を迎えよう。最高権力者の首はすげ替えたが、感情に流されず法理に基づき前大統領を裁けるのか、民主主義の真価が問われる。
そういえば、関係者の間では数年前から「日本が韓国化した」とささやかれてきた。
かつての韓国に、何もかも「日本が悪い」と批判する風潮があったように、最近の日本でも単純な韓国観が広がり、それが嫌韓につながっているとの指摘だ。
ソウル滞在中、日本通の韓国の重鎮とそんな話をしていると、こう切り返された。
「ある日本のトップクラス官僚など、口を開けば安倍首相はすばらしいと絶賛する。何かに似ていると思ったら、『偉大な指導者、金正日(キムジョンイル)同志は』というあれだ。もう韓国を通り過ぎたんじゃないか」……。(はこだてつや 国際社説担当)」(2017/08/11付「朝日新聞」p10より)
これだけ国民を愚弄する政権。革命が起きてもおかしくないが、毎日平穏。韓国の熱気とは大違い。これは国民性か?
「日本は選挙で意思を示す」というが、内閣支持率も、子供だましの内閣改造で“改善”されてしまったし、やはり日本人は飽きやすい??
上の「加計学園問題追及法律家ネットワーク」の動きも、メディアが後押しをして、世に知らしめるべき。そうしないと、幾ら相手が法曹でも、相変わらずの「無視」と「記憶にありません」オンパレードになってしまう。
国会での、「なし」「捨てた」「記憶にない」のやりとりを見ていると、“必殺仕置き人”にでも頼みたくなる。無法が通るのなら、こっちも無法で・・・・!?
<付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より
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