経産省若手の「不安な個人、立ちすくむ国家」が素晴らしい
今朝の朝日新聞に、経産省の若手が書いた文書、「不安な個人、立ちすくむ国家」(ここ)についての、こんな記事があった。
「(平成とは プロローグ:1)さらば「昭和」、若者は立った
今年5月、ネット上に投じられ、議論の輪が広がった文書がある。水面に放り込まれた石のように。
「不安な個人、立ちすくむ国家」と題された65ページの文書を作ったのは、経済産業省に所属する20代、30代の官僚30人。ダウンロードは140万回を超え、ネット上で賛否が渦巻いた。
内容は、国家官僚が作成したとは思えないものだ。何しろ、「国家が立ちすくんでいる」ことを認めているのだから。
「現役世代に極端に冷たい社会」「若者に十分な活躍の場を与えられているだろうか」。少子高齢化、格差と貧困、非正規雇用、シルバー民主主義などの現実を背景に、そう文書は問題提起する。
なかでも目を引くのは、「昭和の人生すごろく」という言葉だ。「昭和の標準モデル」を前提にした制度と価値観が、変革の妨げになっている。つまり、終わった昭和にすがり付いているのが日本だという。
平成世代の官僚が、文書の作成にかかわった。基準認証政策課の伊藤貴紀(26)、コンテンツ産業課の今村啓太(27)は共に、東日本大震災後に官僚になっている。
「平成は当たり前が当たり前でなくなった時代。このままではまずいという危機感は、若手ほど強いように思う」と伊藤。「日本の今後を支えるのは若い人たち。資源の配分でも、そんな世代を重視するべきでは」と今村は語る。・・・」(2017/08/27付「朝日新聞」p2より)
「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」(ここ)という文書を読んでみた。素晴らしい。
6月から話題になっていたというが、気が付かなかった。当時の朝日新聞の記事を検索すると、当時のこんな記事が残っていた。
「社会保障「現役世代に冷たい」 経産省若手、異例の提言
「昭和の人生すごろく」では、平成以降の社会は立ち行かない――。こんな問題意識で、社会保障制度などの改革を提言した経済産業省の若手職員の報告書が、インターネット上で話題だ。これまでに延べ120万人以上がダウンロードするなど、行政資料としては異例の注目度となっている。
報告書は「不安な個人、立ちすくむ国家」。経産省の20~30代の職員30人が所管の業務とは関係なく有志で昨年8月から議論を重ね、5月中旬に公表した。同省のホームページにも掲載したところ、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて一気に拡散した。
報告書が切り込んだのは「正社員男性と専業主婦家庭で定年後は年金暮らし」という、崩れつつある「昭和の標準的人生」を前提とした社会保障制度だ。
日本では高齢者の年金と介護への政府支出が国内総生産(GDP)の1割を超えて増え続ける。ところが健康寿命は伸びており、元気な人も多い高齢者を一律に「弱者」と扱って予算をつぎ込む仕組みが「いつまで耐えられるのか」と問う。
一方で、保育所整備や児童手当などの現役世帯向けはGDPの2%未満。ひとり親家庭の子どもの貧困率は5割を超え、先進国で最悪の水準だ。
報告書は「現役世代に極端に冷たい社会」のしわ寄せが子どもに向かっていると指摘。高齢者も働ける限り社会に貢献し、未来を担う子どもへの支援に「真っ先に予算を確保」するよう求めた。
「誰もが本質的な課題から逃げている」「2度目の見逃し三振は許されない」などと霞が関らしくない言葉も並ぶ報告書に、ネット上では「官僚のイメージが変わった」と評価する書き込みが相次いだ。一方で、議論の詰めが甘く、具体策がないことへの批判や、「働きたくない高齢者もいる」といった指摘のほか、社会保障を担う厚生労働省には「制度を変えることがどれほど難しいか。そこまで言うなら厚労省で働けばいい」と顔をしかめる幹部も。
報告書には当初、課題への解決策も盛り込んでいたが、あえて消したという。中心メンバーの岡本武史さん(37)は「小手先の結論を示しても『結局こんなものか』と言われて終わってしまう。誰もが納得するかはわからないが、誰もが考えなければいけないことについて広く問題提起することを狙った」と話す。今後は一般の人や他省庁とも議論を重ね、解決策を探りたいとしている。(伊藤舞虹)」(2017年6月13日付「朝日新聞」ここより)
この文書は、確かに唐突に終わっている。読んでいると、アレッと思うほど、途中で終わっている。それについて、こんな解説があった。
「・・・・・
プロジェクトの始働は、昨年10月に遡る。公募で集められた男女30人の「次官・若手プロジェクト」に与えられたミッションは、「中長期的な政策の軸を考える」という非常に漠然としたものだった。
ただし、「次官」、つまり官僚組織のトップである事務次官の名前を掲げていることはつまり、霞が関の組織では「誰も反対しない、省内で認められた」プロジェクトを意味している。
こうして自由で機動力の高い議論の場が設けられ、あらゆる部局をまたいで、25歳から最年長で須賀氏の36歳という「役所では若手の部類に入る世代」(須賀氏)が集結した。
公募に手を挙げた根底には、既存システムや規定路線を踏襲することで乗り切れてしまう、日々の仕事へのくすぶる違和感があったという。
従来、官僚の政策立案は「何が将来のためなのか、国民的合意は得られるのか」を考える際に、「ある程度、事前に評価できた範囲でやる」というのが“常識”だった。
「ただ、本当は合意があるかどうか、わからないエリアがものすごく広くなっている気がしていました」
結論を書かなかった理由
5月18日の公開直後からまたたく間に拡散されたこの文書だが、「具体的に何をするのか分からない」「政策提言に落とし込めていない」「よくある話を一つの資料にまとめただけ」と、手厳しい反応も少なくない。
具体策がないとの批判がとくに目立つのは「日本がアジア諸国に20年先駆けた高齢化を経験している」ことを示すグラフを見せて、ぶった切ったように終わる最終ページも一因かもしれない。文書の流れからは少々、唐突に感じられる。
これについて2人は、意外な事実を明かす。
「実はもともとのペーパーには、具体的対策を示す結論ページが10枚ほどありました。社会的課題を具体的政策に落とし込むのは、役人の本業ですから。けれど、最終的には結論部分を削除して、あえて寸止めの内容で完成としたのです」
そのきっかけは、公開直前にあった。
10月から半年以上にわたり、議論や文書の中身は省内でもまったくの非公開だった。ただ、最終的に経産省で最大の審議会である産業構造審議会総会にかける前に、幹部の前で初めて公開する場を得た。その時にはまだ、最終ページは存在していた。
「おそらく角をとって丸くされるだろうと、身構えて行きました。負けないぞ、と」。須賀氏は当時を思い出す。
ところが、省内の最高幹部がそろう会議での反応は予想外のものだった。
「ちっちゃい。せっかく『若手』と銘打って出そうとしている割に、とんがり方が足りない」
口々に言われたのだ。それどころか「お前たちはこんな、足元で実現可能な政策をやりたくてこれを始めたのか」と、逆に問われる。
「世の中の大きな価値観の対立というか、みんなが合意できているか分からないことについて問いかけたかった。それなのに役人の変なクセで、実行可能な具体策を、批判が出ない感じで最後、しゅしゅっとまとめようとしていたことに対して、強烈に喝を入れられたのです」
須賀氏は当時の衝撃を明かす。
こうして「不安な個人、立ちすくむ国家」文書は、最終部分を削除の上で、完成を迎えた。」(「Business Insider Japan」ここより)
このPJは次官の指示でスタートしたらしい。当時の次官は菅原郁郎という方。若手官僚が自主的に、省内の反対を押し切って発表した文書なら分かるが、次官指示のPJでの成果がこれだということは、日本の官僚も、まだまだ健在だ。保守一辺倒だとばかり思っていたが、ビックリ!!
この文書がヒットした理由は「分かり易さ」にある。決して一般国民を読者として想定していた訳ではないだろうが、さすがに優秀な人が作る資料は違う!
文書の内容は、下記の構成になっている。
1.液状化する社会と不安な個人
2.政府は個人の人生の選択を支えられているか?
(1)個人の選択をゆがめている我が国の社会システム
①居場所のない定年後
②望んだものと違う人生の終末
③母子家庭の貧困
④非正規雇用・教育格差と貧困の連鎖
⑤活躍の場がない若者
(2)多様な人生にあてはまる共通目標を示すことができない政府
(3)自分で選択しているつもりが誰かに操作されている?
3.我々はどうすれば良いか
非常に洗練されたPPT(PowerPointの資料)である。自分も同じような文書を「QC七つ道具」を使って、現役の頃に良く作った。当時を思い出す・・・。
このPPTの中に、分かってはいたが突きつけられてショッキングな表が幾つもある。
特に、P18の「定年退職を機に、日がなテレビを見て過ごしている」という表は心が痛む・・・!? そしてP19の「定年後の生き甲斐はどこにあるのか?」と続く・・・。
そして、P27の「日本の母子世帯の貧困率は世界でも突出して高い」という日本の現状に背筋が凍る。
そしてp35の
「高齢者は一律に弱者として手厚く保護する一方、 「子育ては親の責任」、「現役世代は自己責任」と突き放し、 意欲のある若者にも高齢者にも活躍の「場」を提供できていない日本。
「未来の日本の豊かさを支える子供たちだけは、 社会全体で投資し、何としても支える。」
「年齢にかかわらず、それぞれのやり方で社会に貢献する。」
と胸を張って言える方が、 将来に対する希望が持てるのではないか。」
という指摘には大いに賛同する。
「(3)自分で選択しているつもりが誰かに操作されている?」という指摘では、p46の「自分で情報を選び、自分で決断しているつもりが・・・実際には与えられた情報に踊らされている?」という指摘が厳しい。
p51ではこのような提言も・・・
「①一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ
②子どもや教育への投資を財政における最優先課題に
③「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に
(公共事業・サイバー空間対策など)」
これら現状の指摘に対する結論は難しい。たぶん解が幾つもあるから・・・。それだけに、今後の論を待つ「結論無し」は仕方がないのかも知れない。
我々年金暮らしの世代にとっては、どれも厳しい指摘だが、日本がこのままで良いはずもなく、p64の「2度目の見逃し三振はもう許されない。」のも確か・・・。
このような優秀な日本の官僚を、現在の安倍政権は、「政治家の“うそ”の辻褄合わせ」のために、膨大な時間を使わさせている。
何という悲劇か・・・
この経産省に見られるように、トップ次第で組織はどうにでもなる。官僚はどのような方向への働き方も出来る。
早く日本のトップを替えて、真に国民のための政治をする国にならなければ!
早く国の財産である官僚組織を、“政治家の為の組織”から“国民の為の組織”に!
繰り返しますが、「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」(ここ)という文書を読んでみましょう。
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コメント
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170827-00000062-mai-pol
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170827-00000520-san-l08
ここの記事とは全く関係ありませんが、
エムズの片割れさんの故郷、茨城の知事がようやく交代となるようです。
まぁ、20年以上は長すぎたようですね。
投稿: マッノ | 2017年8月27日 (日) 22:25