布施明の「星のみずうみ」~平尾昌晃が亡くなった
平尾昌晃氏が亡くなったという。昨日(2017/07/23)の朝日新聞にはこんな記事が・・・。
「平尾昌晃さん死去 「ロカビリー」「瀬戸の花嫁」
「よこはま・たそがれ」「瀬戸の花嫁」など多くのヒット曲を生んだ作曲家で歌手の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが、21日夜、東京都内の病院で、肺炎のため亡くなった。79歳だった。関係者への取材でわかった。1週間ほど前から体調を崩し入院していた。通夜、葬儀は近親者で行う予定。
東京都出身。高校時代にウェスタンバンドに加入し、米軍キャンプなどで腕を磨いた。1958年に歌手デビュー。ミッキー・カーチスさん、山下敬二郎さんと「ロカビリー三人男」で人気を博し、「ミヨちゃん」などをヒットさせた。
66年に作曲家に転身。67年に布施明さんの「霧の摩周湖」が日本レコード大賞作曲賞を受賞した。
68年に結核で倒れ、約1年間の闘病生活の後、音楽活動を再開。五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」(71年)、小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」(同)、「瀬戸の花嫁」(72年)、中条きよしさんの「うそ」(74年)、梓みちよさん「二人でお酒を」(同)など、提供曲が次々とヒット。テレビ時代劇「必殺シリーズ」の音楽、アニメ「銀河鉄道999」の主題歌のほか、宝塚歌劇団を代表するミュージカル「ベルサイユのばら」の楽曲の一部も手がけた。
74年には平尾昌晃歌謡教室(現平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。狩人、松田聖子さん、森口博子さんらを育てたほか、スクール出身の畑中葉子さんと歌った「カナダからの手紙」(78年)もヒットさせた。
闘病生活の際に様々な人に支えられた経験から、福祉活動にも力を注いだ。75年から、多数のプロ、アマチュアのゴルファー、芸能人が参加する「平尾昌晃チャリティゴルフ」を続けた。また福祉施設への慰問や寄付、障害があるミュージシャンへの音楽活動支援なども行った。
03年に紫綬褒章を受章。日本作曲家協会や日本音楽著作権協会(JASRAC)の役員も歴任した。06年から「NHK紅白歌合戦」のフィナーレ「蛍の光」の指揮を務めた。(河村能宏、安部美香子)
<評伝>回り道で深めた音楽
平尾昌晃さんは、高校時代から米軍キャンプでプロとして歌うなど、ジャズやカントリー、ロカビリーといった外来音楽を吸収していった。「そこで培った音楽的素養が、レコード会社が抱える既存の専属作家の楽曲とは一線を画し、1960~70年代に人々の心を震わせる曲を次々と生み出した」と、音楽評論家の北中正和さんは語る。
ロカビリーブームでアイドル歌手として華々しくデビュー。カバー曲だけではヒット競争に勝てないとして、作詞作曲も行い、「ミヨちゃん」を大ヒットさせた。本来なら日本のシンガー・ソングライターの先駆けとして歌謡史に位置づけられたかもしれない。だが、ブームが沈静化した後の時代の変化に乗り切れず、作曲家の道に大胆にかじを切った。
そんな中、病が平尾さんの音楽人生を大きく変えた。68年に肺結核で長野県岡谷市の病院に入院し、長い闘病生活を送った。本格的に譜面の書き方を覚えたことで「どんどん曲想が浮かんできた」という。「わたしの城下町」「よこはま・たそがれ」といったヒット曲が生まれたのはこの後だ。
また入院経験で社会貢献の精神も得た。「あのとき助けられた体験はお金には換えられない」と思い、音楽を通じ福祉に携わる道を歩む決意をしたという。
回り道をしたことで、自らの音楽を深めていった人生だった。(河村能宏)」(2017/07/23付「朝日新聞」p30より)
何度か以前に、平尾昌晃の人生のドキュメンタリー番組を見たことがあるが、どれも、平尾昌晃は、長野県岡谷市での闘病生活について語っていた。
その時に作られて歌が、「星布施明の「星のみずうみ」~平尾昌晃が亡くなったみ」という曲。
wikiにはこの曲について、こう紹介がある。
「本曲は1969年頃、作曲家の平尾昌晃が結核のために健康保険岡谷塩嶺病院(長野県岡谷市)に入院していた際に知り合った地元の詩人・小口幸重に作詩を依頼し、曲をつけたものである。
平尾はこの岡谷での療養時代を「自分の作曲家人生の重要な分岐点」としており、本曲はその中で制作されたことを語っている。」
しかしこの曲は、あまりヒットしなかったらしく、布施明のCD集には、ほとんど収録されていない。自分もやっと「華麗なる“布施明の世界”~愛の歌を今あなたに~ [Disc 1]」というCDで見付けた。
<布施明の「星のみずうみ」>
「星のみずうみ」
作詞:小口幸重
作曲:平尾昌晃愛がこぼれて 涙になったよ
涙がたまって 湖になったよ悲しくて悲しくて その湖に
今日もまた 呼びかける うつろな瞳
いとしさにたえかねて 霧にとざされた
まぼろしのほほえみが 僕の胸をさす
こころの奥の 星のみずうみ
涙のつぶを 散りばめた
淋しくて悲しくて さよならさえも
泣いていた思い出が 眠るみずうみこころの奥の 星のみずうみ
愛しただけで あの人は
恋しくてせつなくて 後姿も
幸せに手をふった 星のみずうみ
星のみずうみ 星のみずうみ
この布施明の「星のみずうみ」は1969年4月1日発売。
この時代の布施明は、自分が夢中になって聞いた時期。自分は大学2年の1967年春からテレビのある家に下宿した。それで布施明を“発見”した。まずは「恋」だった。それからさかのぼって「霧の摩周湖」。そして次々と発売された「愛のこころ」「愛の園」「愛の香り」「華麗なる誘惑」。そしてこの「星のみずうみ」と続いた。どの曲も数え切れないほど聞いた思い出の曲である。
当サイトにも平尾作品はたくさん挙げているが、初期の氏の曲は、どれも好きだった。
そんな氏が亡くなったという。肺結核に始まり、2年前には肺がんも発症していたとか・・・
病気に付きまとわれていた人生だったようだ。
段々と、人が亡くなっていく。時間の流れで仕方がないが、作品は永遠に残る。
人の死には2つあるという。肉体の死と、人の心から忘れ去られる死。
そんな意味では、平尾昌晃は永遠に生き続ける作曲家なのであろう。
ご冥福を祈る。
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