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2017年7月 2日 (日)

研ナオコと中島みゆきの「海鳴り」

先日知った、研ナオコの「中島みゆき作品コンプリート」というCDに、今、凝っている。これが素晴らしいアルバムで、Amazonの解説にはこうある。
「現存する「中島みゆき作品」を唄う「研ナオコ音源」のすべてを、バージョン違いも含めて3枚のCDに詰め込んだ納得のコレクション。
研ナオコが歌うすべての中島みゆき作品を3枚のCDに閉じ込めました。
170702kennaoko 1枚目は研ナオコへの書き下ろし作品だけを完全収録、2枚目は中島みゆき歌唱楽曲のカバーを、3枚目は他アーチストへの提供曲を歌ったものを 集めました。
更にボーナストラックとして、すべてのバージョン違いまでもコンプリート。
初CD化音源もたっぷり収録して、研ナオコと中島みゆき、どちらのファンにも満足していただける作品集に仕上がりました。全44曲 CD3枚組」

その中で特に、改めて知った2曲を、この所よく聞いている。その1曲が「海鳴り」という曲。

<研ナオコの「海鳴り」>


「海鳴り」
  作詞・作曲:中島みゆき

海鳴りが寂しがる夜は
古い時計が泣いてなだめる

遠く過ぎて行った者たちの
声を真似して 呼んでみせる

覚えてるよ 覚えてるよ
この足元で はしゃいでいたね
覚えてるよ 覚えてるよ
時計だけが 約束を守る

海鳴りよ 海鳴りよ
今日もまた お前と 私が 残ったね

海鳴りよ 海鳴りよ
今日もまた お前と 私が 残ったね

見てごらん 今歩いてゆく
あんなふたりを 昔みたね
そして今日は明日は誰が
私のねじを巻いてくれるだろう

忘れないで 忘れないで
叫ぶ声は今も聞こえてる
忘れないよ 忘れないよ
時計だけが約束を守る

海鳴りよ 海鳴りよ
今日もまた お前と 私が 残ったね

海鳴りよ 海鳴りよ
今日もまた お前と 私が 残ったね

毎度言っているが、自分は旋律から歌に入る。旋律が気に入ってから、詩を読むが、まあほとんどは良く分からない。この歌詞も、コメントはしない。(“ねじを巻く”という現実的な言い方が突然出て来て、ビックリしたが・・・)、
でも、何か寂しい・・

Netでこの曲についてググってみると、この「海鳴り」は1978年4月10日発売の中島みゆきの『愛していると云ってくれ』というアルバムの収録曲だという。
その後、1978年10月25日発売の『20才になれば』というアルバムで桜田淳子がカバーし、1979年8月21日発売の『ひとりぽっちで踊らせて』のB面で研ナオコがカバーしている。
その音源が上の曲だ。桜田淳子の歌はまだ聞いていない。

オリジナルの中島みゆきでも聞いてみよう。

<中島みゆきの「海鳴り」>

昔、朝日文庫で「中島みゆき全曲集」「中島みゆき最新歌集1987-2003」という文庫本を買った(ここ)。

その本にある歌詞を見ながら歌を聞いている。なぜかこのような大歌手の歌は初期の歌が好き。何度も書くが、小椋佳然り、さだまさし然り、そして中島みゆきも、初期の歌が好き。
しかし、素晴らしい中島みゆきの歌詞を味わおうと買った本だが、ほとんど読んでいない。つまり、自分にとって、中島みゆきの歌詞は難解・・・
よって、いつも旋律から入る・・・
改めて、中島みゆきの世界を味わおうと、初期からのアルバムを、追って来てみようかな・・・と思うこの頃なのである。中島みゆきは天才。そして研ナオコも素晴らしい歌手だ。(ただし、“35th Anniversary Version”の数曲は声が出ていないので残念!?)

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コメント

 中島みゆきは「EAST ASIA」ぐらいまで、CDが出る度に買ってました。
 私は、歌詞に惹かれて歌を聴きますが、
思えば、そのフレーズにかぶせられた曲がイイから惹かれたのだ、と最近気がつきました。

 この歌も、琴線を揺さぶられた曲です。

     覚えてるよ 覚えてるよ
     時計だけが 約束を守る

     海鳴りよ 海鳴りよ
     今日もまた お前と 私が 残ったね

という詞とメロディが、
その時の私の「喪失感」「取り残され感」「見捨てられ感」を、びたっと表現していたから、聞いている内に涙が出たのだと、思います。

 そもそも、CDタイトルの「愛していると言ってくれ」って・・・。心の中で泣き叫んでいるけど、口に出しては、絶対、言えないことばだ。

 初期の中島みゆきは、それをタイトルにして、「歌でしか言えない」(これもCOタイトルです)孤独の叫びを、何曲も歌ってきたと思います。

 その後、「泣き止んで(=聞き手と一緒になって泣くことは止めて)」、
泣いている誰かに「泣かないで」と歌うようになったと思います。「泣いて終わらないで」と。小娘の時代が終わったのだと思います。

 小椋佳や中島みゆきの初期の歌が私も好きですが、若造、小娘の思いがそのままとらえられているからかな、と思います。

【エムズの片割れより】
子の歌は最近“発見”した歌ですが、聞けば聞くほど味が出てきます。
確かにこの歌は、大人の中島みゆきではなく、娘から脱皮した不安定な中島みゆきの魂が、自分を惹きつけるのかも・・・

投稿: Tamakist | 2017年7月 3日 (月) 16:39

中島みゆきが未だ40才前にこの歌詞を~と
深い感慨に打たれました。
老境を生きる今の自分の心に沁みてきます。
さだまさし同様に彼女も天才です。
一編の小説よりも感動的です。
人生を人間を描いています。

余談ですが
最近続けて さだまし作詞作曲(いのちの理由)
を聴いて涙が込み上げました。
当地で活躍しているソプラノ歌手が
好んでアンコール曲に加えている歌です。

特に
私が生まれて来たわけは
幸せになるために~
ここで涙腺が崩壊します。
生まれて間もない命が消えてゆく
消されてしまう事例が絶えない現実に思いが及ぶのです。

【エムズの片割れより】
歳をとると感受性が下がると思っていましたが、りんごさんはまだまだ現役ですね。

投稿: りんご | 2017年7月10日 (月) 07:45

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