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2017年7月31日 (月)

左遷~「干された5年、そこで楽しむ」

朝日新聞夕刊2面に連載されている「左遷をたどって」という囲み記事。今日の話題は、道路公団での話。

「(左遷をたどって:4)干された5年、そこで楽しむ
 こんなに目立った左遷はめったにないだろう。
170731sasen 〈道路公団、改革派「一掃」〉(2003年6月1日付朝日新聞)
 新聞各紙は突然の人事発令を「左遷」などの見出しで伝えた。民営化前の日本道路公団で本社総務部調査役だった片桐幸雄さん(68)は03年6月1日付で、四国支社(高松市)副支社長に異動した。
 背景には、当時の藤井治芳総裁との間で民営化をめぐる路線対立があったとされる。片桐さんは小泉純一郎元首相の要請で、政府の道路関係4公団民営化推進委員会の事務局次長に出向し、「8人目の委員」と呼ばれたほどの民営化論者だった。
 四国支社に着任してまもなく、片桐さんは月刊誌「文芸春秋」に、公団が債務超過に陥っていることを示す財務諸表を隠したなどと批判する手記を発表した。すると副支社長職を解かれ、総務部の一角に机が与えられた。
 民営化推進委に出向した時点で干される覚悟はしていた。「左遷」のだいぶ前、妻の久美子さん(68)に組織の意にそまない姿勢をとることを打ち明けた。久美子さんは「反権力的な人だと思って結婚した」と賛成してくれて、2人でファミリーレストランで祝杯をあげた。
 四国支社で仕事はなかった。「左遷を楽しんでしまおう」と気持ちを切り替えた。
 大量の本を職場に持ち込んだ。生活のリズムを崩さないよう、早朝に起きて洋書を読んだ。仕事が終われば同僚が飲みに誘ってくれた。居酒屋で知り合った地元の人たちと登山に出かけた。久美子さんとうどんを食べ歩いた。
 打ち込めるものも見つけた。知り合いの大学教授が香川大の経済学研究者を紹介してくれて、その研究会に参加したのがきっかけだった。難解な著作で知られるイタリア生まれの経済学者スラッファ(1898~1983)について報告することになった。
 スラッファは主流派の新古典派に対抗する理論を唱えたが、多くを語らずに世を去った。片桐さんは若いころに著作を読んで、歯がたたなかった。左遷の時間が再挑戦の機会をくれた。東京に戻ってからも研究を続け、07年に「スラッファの謎を楽しむ」という著作に結実させた。
 「評価を後世の判断に任せるような生き方にも魅了された」と片桐さんは話す。
 道路公団総裁に伊藤忠商事出身の近藤剛氏が就任後、片桐さんは04年6月16日付で本社総務部調査役に復帰した。
 四国支社を去る際、幹部の一人に「いいよな。1年間仕事しないで給料をもらい、本社に復帰か」と言われた。ぐっとこらえた。でも空港に行くと、飲みにいった職員たちが見送りに来てくれていた。
 復帰とはいえ、左遷前とまったく同じポスト。その後もほとんど仕事がない状況が続き、08年11月に60歳で退職するまで、5年余りに及んだ。
 「組織の中でうまく立ち回って神経をすり減らすより、正直に生きたほうが楽です」
 片桐さんは特別な例かもしれない。だが、その精神力は並大抵ではないと感じる。(古屋聡一)」(
2017/07/31付「朝日新聞」夕刊p2より)

サラリーマンは、組織または上長の方針に反抗すると、干される。これはどんな組織でも有り得ること。
でも道路公団民営化の話はスケールが大きい。国の方針に、所属組織が抵抗し、国の方針に添った社員を左遷した、という話。そう、今の政権ではないが「通常の人事異動」で済まされる。

そもそも組織は、今までの流れと違う流れに変えようとすると、抵抗する。
自分も現役時代、自分が長い間所属していた組織から出た途端、今まで居たその組織の運命を大きく変えたことがあった。たぶん、元の組織では「裏切り者」と言わていたのだろう。しかし時代の流れに逆らうことは出来ない。その後、その組織が所属していた数千人の大きな組織は、消滅した。「消滅させたキッカケを作ったのはお前だ」と言われたこともあったが、その後の会社全体の大きな変化を見ると、全てが時代の変化に付いて行けるかどうか、だったということを、皆が納得している。
後にならないと分からない。

先の、加計学園問題で、反旗を翻した文科省の人が、報復人事が怖いと言っていた。一方、文科省OBの寺脇さんが、テレビで「課長補佐クラスは、幾ら内部告発しても、そんな下まで官邸の人事は及んでこない。例え来て左遷されても、若いので、幾らでも挽回のチャンスはある」といったような発言をされていた。
たまたまさっき見たWOWOWドラマ「アキラとあきら」でも、銀行の方針(倒産会社の資金回収)に逆らって融資先を助けた主人公が、地方に飛ばされる場面があった。
この設定では、飛ばされた地方支店の誰もが、その理由を知っており、白い目で見る。

最初の道路公団の例では、54歳という地位のある時の反抗だったため、復活出来ないまま、つまり仕事を与えられないまま6年を過ごして退職している。
そう、幾ら世間的に正しいことでも(不正の告発)、組織の論理からすると、それは組織への裏切りなのだ。

福沢諭吉の書?と言われている「福澤心訓」(ここ)に、「世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です。」という項がある。

世の中では、リストラなどで、仕事が与えられず、それに耐えられなくなって会社を辞める話は、枚挙に暇がない。この記事の氏は、まさに「その精神力は並大抵ではない」。

この左遷の記事を読みながら、ふと文科省や防衛省の内部告発について、その人たちの今後の人生を、ふと考えてしまった。
若い人は復活出来る。しかし歳が行った人は、幾らそれが正義であっても、なかなか出来ない・・・・。

201707311909087d5 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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