« 「孤独死はひとごとではない?」 | トップページ | 「ベルばら」の池田理代子氏の話 »

2017年6月 8日 (木)

バカな国民で良いのか?

「国民はバカ」という前提で政治を動かす現政権。我々は“バカな国民”で良いのだろうか?
先日(2017/06/06)のTV朝日のモーニングショー(am8:50)で、加計学園問題で、ジャーナリストの青木理さんがこんな発言をしていた。
「安倍政権は、森友学園問題で変な学習をしたところがあって、そもそも調査なんかするつもりはないんですよ。しないための理屈をいろいろ考えているだけで、このまま時が過ぎれば直截な言い方をすれば、馬鹿な国民は忘れますよ、だからこのままやり過ごしましょう。では僕らの国民は馬鹿でいいんですか?ここで怒らなかったら、悪しき前例(政府にとって都合が悪い資料が出て来ても「調査しません」で終わってしまう。それが許される)になってしまいますよ。」

「国民はバカ」でググったら、こんな記事が見付かった。古賀茂明氏の発言である。
「安倍さんの政治哲学とは、嚙み砕いて言えば、国民は「すごく怒っていても、時間が経てば忘れる」「ほかのテーマを与えれば気がそれる」「嘘でも断定口調で叫び続ければ信じてしまう」、つまり「国民は馬鹿である」ということです。」(ここより)

ここまで連日、森友・加計学園問題でウソ八百の政府の言動を報道され、誰が見ても「ウソだろう」と思う官房長官の記者会見をテレビで放送されていても、そして「共謀罪」を「テロ等準備罪」と呼んで、国民を「印象操作」しても、コロリとだまされ、選挙になると与党に投票して「内閣支持率」を支えている国民。
ふと、「こんなデタラメをやっている政府なので、当然支持率は下がるはず・・・」と思っている“自分の方がおかしいのでは?”とまで思ってしまう。

話は飛ぶが、先日こんな記事があった。
「(政治断簡)「自由」を壊す技法とは 編集委員・松下秀雄
 ひとたび恐怖や不安に覆われると、「自由な社会」は簡単に壊れるものなのか。
 9・11同時多発テロ後の米国の経験を振り返り、そんなことを考えた。
 事件の翌月、捜査機関の権限を拡大する愛国者法が成立。これを根拠に、米国家安全保障局(NSA)は市民の通信記録などを収集、大規模な監視活動を始める。
 活動を内部告発したのが、エドワード・スノーデン氏。経過を記録したドキュメンタリーや、氏の著作に触れ、市民の「丸裸」ぶりにぞっとした。誰と会ったか。何を買ったか。どのウェブサイトを見たか。全行動を把握できるというのである。
 一方で政府の活動は、明かせば安全が脅かされるとベールに覆われる。監視の実態も隠された。スノーデン氏が暴いた活動の中には、当局が過激とみなすイスラム教徒の性癖の調査も。公にすれば評判を落とし、影響力をそげるともくろんだのだ。
 政府からは市民の活動が丸見え。市民からは政府が見えない。その非対称は何をもたらすのか。スノーデン氏はこう警鐘を鳴らす。
 「国民は、権力に反対する力を潰される。政府と国民の力のバランスが変わり、支配する者と、される者になる」
     *
 なぜ、9・11後の米国に関心を抱いたか。日本でいま起きていることと、どこか通じるように思えたからだ。
 特定秘密保護法に安全保障法制、審議中の「共謀罪」。いずれも安全が脅かされるから、危険を避けるためだからといった理由が挙げられた。
 これに対し、政府の活動が隠される、市民が監視されるなどと批判が起きたが、内閣支持率は下がらない。海外でのテロ。核やミサイル実験。不安にさらされている時、「安全のため」といわれると、自由や人権は二の次になるからだろうか。
 市民が政府を監視する手立てはやせ細る。防衛省も財務省も文部科学省も、日報や交渉記録などを「廃棄した」「確認できない」と突っぱねる。いや、あるという前文科事務次官は「出会い系」への出入りを暴かれ、信用ならぬやつだといわんばかりの人格攻撃を受けている。
 さらに、一部メディアの報道ぶり。「権力の監視」はどこへやら、いまや政権の広報かと見まがうばかりだ。
 政治記者になって23年、ここまでの光景は初めて見る。スノーデン氏の言葉通り、政府と市民の関係が変わりつつあるのか? その表れが「安倍1強」なのか?
     *
 身の危険を感じる時、安全最優先になるのは世の常だろう。けれど政府を監視できなければ、その危険がどれほどのものか、不安をあおられていないかもわからない。ナチス・ドイツの国家元帥、ゲーリングはこう言った。
 「人々は指導者の意のままになる。『我々は攻撃されかけている』といい、平和主義者を『愛国心に欠け、国を危険にさらしている』と非難する。それだけで良い」
 そうしてナチスは全権を掌握し、戦争に突き進んだ。忘れてはならない教訓である。」(
2017/06/05付「朝日新聞」p4より)

間接民主主義の日本では、国会議員が国民の代表者。その野党議員が国会という公式な場で質問しても、饒舌ながらはぐらかして質問に答えない首相。
野党議員と首相のやりとりを聞いていると、これでは幾ら時間を掛けてもしょうがない、と感じる。つまり、首相が野党議員をバカにして相手にしてないのだから、幾ら時間を掛けても議論にならず、時間だけが過ぎていく。そんな首相を、選挙で何度も選ぶ国民。

「共謀罪」も含め、これから益々暗い世の中になっていく日本。
将来を担う孫たちに対し、「こんな暗い世の中にしてはいけない」と思ってきたが、「大人たちがバカだから・・・」、いや違うな?・・・「今の大人たちが、孫世代を、暗い自由のない監視社会の中で生きて欲しいので、どんどん法律で暗い世の中にするので、せいぜい頑張ってね!」なんだね。
今まで「国民がバカだから内閣支持率が下がらない」と思っていたが、「国民が、孫たちの将来世代の人々に、自由のない監視社会で生きて欲しいと“願っている”のだ」と気が付いた。

20170113174533470 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

|

« 「孤独死はひとごとではない?」 | トップページ | 「ベルばら」の池田理代子氏の話 »

コメント

ほんとうに 腹立たしい限りの毎日です。

この政権が最低だと思ったのは、
後藤さんを見殺しにしたときです。

忘れてないぞ!!!

【エムズの片割れより】
国民が“しぶとい民族性”に脱皮しないと・・・
「直ぐに忘れるバカ」と見くびられているようではダメ。

投稿: Tamakist | 2017年6月 8日 (木) 17:30

そうですね、最近の国会は漫画です。安倍さんの答弁は下手な言い訳だけで全く答弁になっていません。自民の議員には恥という感覚が無いのでしょうか。
監視社会は50年前田舎へ越して来て少し経験しました。地方税や国保などはすべて町内の自治会と婦人会が集めるのです。各家の年収などまるわかりでした。そしてガラス戸越しに他人の家をじっと見ている人がいるのです。噂が噂を呼んで実家の手伝いに出掛ける奥さんが「彼氏」がいるになってしまったのです。こんなことは日常茶飯事でした。まあ、政府の悪口を言って警察へ密告されることはなかったのですが、覗きの恥を正当化される土台にはなるでしょうね。恥を知らない総理の国ですからね。

【エムズの片割れより】
昨日、たまたまWOWOWで「ブルックリン」という映画を見ました。
NYに出た女性が、姉の死で田舎に帰ったが、田舎の「ウワサの世界」について、「忘れていた」と言って気付き、逃げるようにNYに戻っていく・・・
そんな点では、都会が良いのですが、その都会でさえ、警察に監視されるとすると、ゾッとします。

投稿: 白萩 | 2017年6月 8日 (木) 21:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「孤独死はひとごとではない?」 | トップページ | 「ベルばら」の池田理代子氏の話 »