FMシアター「蛍の光 窓に雨」
今日は、夕方スマホが鳴ってビックリした。というのは、電話がかかってくる確率はゼロに近いので・・・
先日の中学の同窓会(ここ)の幹事からで、友人の消息についての確認の電話だった。名簿を修正するためだという。
ふと、先日聞いたラジオドラマを思い出した。同窓会が出てくる。FMシアター「蛍の光 窓に雨」(2017/05/27放送)だ。
NHKのサイトに、あらすじとしてこう載っている。
「FMシアター「蛍の光 窓に雨」
40歳の男と女。かつて学級委員だった二人が、25年ぶりに中学校の同窓会を開くことになった。しっかり者の女性・高橋双葉は、積極的に同窓生の連絡先を調べ名簿作りを進める。一方、昔から面倒くさいことばかり押し付けられてきた男・鈴木彰は、いい年齢になっても未だ「成熟した大人」になった確信がない。
同窓生達の行方を調べるうちに、40歳の男女は過去に再会し現在に向き合うことになる。二人の思い出を巡る旅は、二度目の成人式のような成長と、卒業式のような寂しさへと行き着いた。」(ここより)
<FMシアター「蛍の光 窓に雨」より>
このセリフが気になった。余命幾ばくもなくなった女性をホスピスに訪ねて行ったときの会話・・・
「私がクラス会を開きたい、名簿を作りたいと思ったほんまの動機、きっかけ。私よりうまくいってない人を探してて。心も体もずたずたの私より、もっと不幸な人、きっとどこかに1人ぐらいは居ると思う。あの人よりはまだマシなはず、そうやって、比べて安心して、自分の痛みや後悔を軽くしたかった。そやから、血眼になって名簿を作った。・・・」
同期会もそうだが、いわゆる同窓会は、元気な人だけが出てくる。よく「出席者は、ここに来られるだけ元気。来られない人が心配」と話す。
確かに、病気なのでもう名簿から外してくれと言ってくる人もいる。
このセリフは、その逆で、自分よりもっと不幸な人を探すという。
「他人の不幸は蜜の味」とはよく言われる。まさに上のセリフ通り。
先の中学の同窓会でも、若い頃は、子供が某有名中学に入ったとかいう話を聞いて、ヘエ~と思ったもの。しかし、この同窓会は、幹事が「肩書きも何も関係無い」というスタンス、と前に聞いていたので、この会では「自分は・・」という話がそれほど出なかった。
特に今回は、我々も古希という年代に入ったせいか、もっぱら誰々が亡くなった、という話ばかり。
たまたま先日同窓会があったばかりなので、何となく聞きながら、物語に入り込んでしまった。
そして、主人公の、若いなりにもキチッとした人生の終わり方についても、感心した。
自分なんてとてもとても・・・・。人生色々である。
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