楽観的考え方と悲観的考え方~加藤諦三氏の話
NHKラジオ第2の日曜カルチャー「加藤諦三の幸福論~何が人を幸せにするのか~2」(2017/05/14放送)を聞いた。テーマは「楽観的考え方と悲観的考え方」。
NHKのサイトにこう説明がある。
「加藤諦三の幸福論~何が人を幸せにするのか~
早稲田大学名誉教授、作家、心理学者 加藤 諦三
努力が報われない人がいる。逆に努力が報われる人がいる。人間関係で大切なのは意識ではなく無意識である。人は相手の無意識に反応する。初回その無意識の問題を考える。無意識を自覚することは、完全な人間性を獲得するとともに社会が人間の間に築いた障壁を取り払うとフロムは言う。2回目は幸せな人の共通性、3回目は悩んでいる人の共通性を考える。最後にカレン・ホルナイが心の地獄と言った自己蔑視の問題を考える。
人間としての根源的な問題を、人間にとってコミュニケーションがいかに大切であるかを理解し、なぜうつ病や自殺と言う悲劇が起きるのかを考える。人間がどの様に生きればそれらを避けられるか。」(ここより)
「加藤諦三さんのお話、第2回は「幸せな人の共通性。楽観的考え方と悲観的考え方」。日々生活していると、物事がうまくいかないとか、失敗したなどと感じることはよくあることです。日本人は世界一“悲観主義者”が多いと言われています。起こった事実に対して、楽観的に解釈する人と、悲観的に解釈する人ではその後の人生が大きく変わっていきます。今回は楽観主義と悲観主義について考えていきます。」(ここより)
<「加藤諦三の幸福論~何が人を幸せにするのか」(1)>
<「加藤諦三の幸福論~何が人を幸せにするのか」(2)>
<「加藤諦三の幸福論~何が人を幸せにするのか」(3)>
<「加藤諦三の幸福論~何が人を幸せにするのか」(4)>
聞きながら、少しメモしてみた。(話を断片的にメモしたので、文章はつながらない)
「赤面恐怖症の人は、顔が赤くなることを屈辱的に解釈する。恐怖症でない人も、事実は同じ。解釈が違う。
失敗をしても、楽天的な人は“良い経験をしたな”、悲観的な人は“ああ、ひどい目に遭った”。事実が人に影響を与える訳ではない。事実に対するその人の解釈がその人に影響を与える。
歪んだ価値観を持っている人は、事実に対する自分の解釈が自分を侮辱しているのに、事実が自分を侮辱していると思ってしまう。だから人生の可能性をどんどん狭めていく。
世界60カ国で、日本は世界一悲観主義。世界一楽観主義なのはアメリカ。同じく、日本は世界一恥ずかしがり屋の国。
悲観的解釈と楽観的解釈が、健康にどう影響を与えるか。
楽天的な態度や物の考え方が、いかに肉体的健康に影響を与えるかが、この20~30年の数多くの研究によって分かってきている。
楽観的解釈をする人の方が病気にかからない。つまり、物事の解釈がそのまま健康に影響を与える。
物事の原因を自分の内的なことに求める人と外的なことに求める人がいる。失敗の原因を自分の中に求めてしまう。心理的に健康な人は、現実にコミットしている。健康で無い人は、想像だけでどんどん行ってしまう。楽観的な人は運や巡り合わせのように外的要因に求める。これによってその人の人生の可能性が狭くなってしまうかは、恐るべきこと。
自己関連妄想、被責妄想など。
楽観的と悲観的を見分ける一つのメルクマール(指標)は、望ましく無い事が起きた時に、それをインターナルに解釈するか、エクスターナルに解釈するか。
二つ目の違いは、良くないことを引き起こした原因が長期的・持続的なものと思っているか、一時的なものと思っているか。長期的なものと解釈することで希望を失う。
不運はいつまでも続かないと思っている人と、不運はいつまでも続くと思っている人がいる。
長い間責められている人は、エネルギーが枯渇してしまう。すると持続的解釈になってしまう。負けた日に、勝つ日が来ることを知っている人はくじけない。負けた日にこれが続くと思っている人はなかなか立ち上がれない。現在がどれほど耐え難いかは、現在の困難だけによって決まるのではなく、その人が持っている将来の見通しの性質によっても決まる。明るい見通しを持っている人は困難にくじけないし、焦らないし、無気力にならない。困難に際しても心の平静を失わない。
絶望したときにどの位力が落ちるか。切望したら、その人の能力はストンと落ちる。死亡の原因は、心臓病とか色々あるが、真の原因は絶望だ。絶望するから、それだけのことに耐えられなくて死んだ。絶望はそれほど影響が大きい。
自分は、なぜ絶望したのかということを、自分が解き明かすことが最も大切。無意識に絶望感を持っているのを、自分の中で意識化してホントウの自分に巡り会えれば、世の中はコペルニクス的に変わる。事実が変わる訳ではない。解釈が変わる。
過去は変わらないというが、過去は徹頭徹尾究明すること。過去の事実は変わらないが、解釈は変えられる。
失敗が屈辱と結びついて成長した人と、失敗が励ましと結びついて成長した人は、大人になった時、失敗という事実はまったく違って解釈される。その解釈はその人の小さい時からの社会的枠組みでの体験の結果として出てくる。
心の履歴書を書くと良い。
心理学者のアドラーによると「悲観主義は巧妙に偽装された攻撃性である。」
内的・持続的・拡大解釈の悲観的解釈と、外的・一時的・限定的解釈の楽観的解釈。
自分の解釈の仕方をこの3つを中心にしてチェックし、自分の中にある攻撃性を意識化すれば、悲観的解釈は楽観的解釈に変えられる。・・・」
実は、自分は正真正銘の「悲観的人間」。
この番組でも言っていたが、ガンと言われたら、どんな体の不調もガンのせいだと思ってしまう。自分はそのタイプ。
話にあった「死亡の原因は、心臓病とか色々あるが、真の原因は絶望だ。絶望するからそれだけのことに耐えられなくて死んだ。」はまさに自分のこと・・・。
だから人間ドックは受けない。悪い情報は要らない・・・。
カミさんにこの話をしたら、何と自分は楽観主義だという。これは意外・・・
なぜなら、何かが起こると、直ぐに人のせいにするから・・・・!?
確かに「あれはカミさんのせい。もし違うならメイ子のせいだ・・・」とは良く言う。
それが楽観主義の証拠??
意外だな・・・。オレ、楽観主義??
ともあれ、要は心の持ちようらしい。
とりあえず、何か悪いことが起こったら、すべて他人のせいにしようか!?
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