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2017年3月 6日 (月)

「犬と人間 目と目で通じあう、特別な絆」

だいぶん前だが、犬についてこんな記事があった。

「(文化の扉)犬と人間 目と目で通じあう、特別な絆
 このところ猫に押され気味ですが、「最古の家畜」であり、長く関係を深めてきたパートナーと言えるのはやはり犬。犬と人間はどんな道のりを歩み、特別な関係を築いてきたのでしょうか。探ってみました。

 犬と私たちはいつ、出会ったのか。最も古い犬の骨は、ロシアで発見された約3万3千年前のものだ。旧人の居住跡で見つかった。一方、人間に家畜化されたのは2万~1万5千年前と考えられている。イスラエルのアイン・マラハ遺跡では、高齢の女性が子犬に手を添える形で共に葬られた約1万2千年前の墓が見つかっている。
170306inu  日本最古の犬の骨は約9500年前のもの。神奈川県の夏島貝塚で見つかった。縄文時代には番犬や狩猟犬として飼われていたようだ。だが、弥生時代に入ると様子が変わってくる。愛知県の朝日遺跡では犬の骨が散乱した形で見つかり、解体痕もあった。
 麻布大で動物行動遺伝学を研究した外池亜紀子さんは「縄文人は犬を埋葬していた形跡もあり、大切に飼っていたようだ。だが弥生時代に入ると、食用にした形跡が増えてくる」と指摘する。
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 日本人のそばには昔から犬の姿があった。ヤマザキ学園大の新島典子准教授(動物人間関係学)によると、早くも「日本書紀」には天武天皇が犬や牛など5種類の動物を食べることを禁じた記録が出てくるという。鎌倉時代になると「犬追物(いぬおうもの)」がはやり、矢で射るための的(まと)として殺傷された。「犬合わせ」と称する闘犬も始まった。
 江戸時代に入ると、徳川綱吉が「生類憐(あわ)れみの令」を出す。犬だけが対象ではないが、綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれることに。法政大の根崎光男教授(歴史学)は「犬は安産の神様だったり不動明王の使いだったりするなど、日本人の文化に根付いていた」と話す。
 明治時代には各府県単位で「畜犬規則」が定められ、犬が個人の所有物となった。『犬たちの明治維新』などの著者、仁科邦男さんは「飼い主と犬の個の関係が成立し、この関係が現代にまでつながっている」とみる。
 現代の日本では全世帯の14%が犬を飼っている。推計飼育数は987万匹にのぼる(2016年、ペットフード協会調べ)。
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 麻布大の菊水健史教授(動物行動学)は、犬のすごさは「人と絆を結べること」にあるという。ドイツのマックス・プランク研究所の研究で、犬は人が指をさしたり、視線を向けたりしたカップにエサがあることを理解できることがわかっている。チンパンジーですら持たない、犬特有の能力だ。
 また、犬は飼い主と目線をあわせる。すると双方で愛情や信頼に関わるホルモン「オキシトシン」の濃度が上昇するという研究が、麻布大から報告されている。オオカミは飼いならされていても、飼い主と目をあわせることはない。菊水教授は「犬は人と生活することでオオカミから進化したと考えられていて、あうんの呼吸で、人の意図を理解する能力を持っている。人がこれほど特別な関係を築けた動物は、地球上にはほかにいない」と指摘する。
 スウェーデン王立工科大の研究チームが犬とオオカミのDNAを調べたところ、柴犬(しばいぬ)と秋田犬が最もオオカミに近いDNAを持っていた。背景はまだよくわかっていないが、日本犬の研究から、犬の起源が見えてくるかもしれない。(太田匡彦)

 ■愛のかたち、教えてくれる コピーライター・糸井重里さん
 犬を飼う自信がつくまで時間がかかりました。人生に影響することまで覚悟して、ジャックラッセルテリアのブイヨンを飼おうと決めました。それから12年余りたって空気みたいに、そばにいることが自然な存在になっています。
 最初は子どものような感じで、手に負えないことに気をもんでいるのが楽しかったですね。次第に落ち着いてきて、11歳になったころ、狩猟犬なのにボールを投げても追おうとしなくなった。「現役」を引退したようで、切なかったです。
 犬は、環境に適応するために改良を加えられてきたわけですが、現代の人間にとっては心のサプリメントのような存在だと思います。間違いなく家族の一員ですが、その意味では、人間社会を精神的に豊かにしてくれる。言葉でなく、愛とは何か、いろんな愛のかたちを教えてくれる存在なんだと思います。犬が人間に何を望んでいるのかは、永久にわからないですけど。

 <知る> 縄文時代と弥生時代では犬の姿形も異なる。縄文犬は額から鼻にかけて平らなキツネ顔で、弥生犬は額と鼻の間にくぼみがあるタヌキ顔。大きさは両者とも今の柴犬と同じくらいだった。弥生犬は大陸から持ち込まれ、次第に縄文犬と混血したと見られている。
 <読む> 明治時代、小説家が飼い犬のことを書き始めた。二葉亭四迷の『平凡』や夏目漱石の『硝子戸(がらすど)の中』、徳冨蘆花の『みみずのたはこと』などが例。「犬との個の関係ができ、犬を飼うことの喜びが『発見』されたのだろう」(仁科邦男さん)」
(2017/02/12付「朝日新聞」P36より)

何度も書いているが、我が家の愛犬はヨーキー。14歳で、未だ現役。散歩をしていると、若い犬と見かけは変わらない。でも、投げたボールを追わなくなったことなど、老化は隠せない。
それにしても、愛犬メイ子の我々に対する態度は、極端である。確かにエサを与えたり、可愛がっているのはもっぱらカミさんだが、それにしても態度が大違い。
夕食後、ウトウトするのは、もっぱらカミさんのヒザの上。たまに自分が抱いてやると、スキあらば・・・の態度。自分が「ヨシッ!」と声をかけると、脱兎のごとく逃げ出す。そして、いつものブルブルッ! 「あーヤレヤレ!イヤだった!」と言っているような・・・

グチだが、今日もカミさんが出掛けたので、カミさんの命令に従ってメイ子を散歩に連れ出したのだが、玄関から動かない。いつもカミさんと一緒に散歩するときは、臭いをかぐ時だけ、グイッと引っ張り、メイ子が“止まれ”と自分に命令するのだが、カミさんが一緒でないと、今日のようにそもそも動かない。引っ張っても、抵抗する。それで力を抜くと、ただ立ち止まっている。臭いを嗅ぐのならまだ許せる。しかしメイ子の態度は、オレとは散歩はしない、との明らかな拒絶。こうまで態度がハッキリしているのが自分には気にくわない。
「何でメイ子はなつかないのかな~」と言ったら、カミさんが「アナタには、誰もなついていないでしょ」と言いやがる。ま、そうだけど・・・

しかし、上の記事を読むと、犬の能力はスゴイ。上の表によると、嗅覚は人の1億倍。そして聴覚は、65Hz~50KHzだという。人は若い人で、やっと20KHz程度と言われている。老人の自分など、せいぜい高域は7~8KHzでは?
嗅覚が鋭いことは知っていたが、聴覚までこんなにスゴイとは知らなかった。さぞ音楽もハイレゾで聴くことが出来るだろう。羨ましいことだ。

日本では14%の家で犬が飼われているという。近所の家の犬も、段々と歳を取った影響か、散歩の時に会わなくなった犬も増えた。しかしまだまだ我が家がが元気。
それで、「メイ子~~。いつまで元気なんだ~?」と良く聞く。
胃腸が弱いメイ子の獣医さんの費用もそうだが、段々贅沢になるメイ子のカンヅメの食費もバカにならない。それよりも、実はメイ子が居る限りは、我々夫婦はとても旅行には出かけられないのだ。せいぜい1泊で、犬同伴可の旅館に泊まるくらい・・。
だから一見、元気そうなメイ子の寿命が尽きる頃は、たぶん自分の(旅行が出来る)体力寿命も尽きてしまいそう・・・。つまりもう旅行には出かけられない!?
メイ子に嫌われながら、メイ子の存在に左右されている我が人生なのである。

170306sanpo <付録>「ボケて(bokete)」より

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