延命治療「辞退」を宣言~樋口恵子さん
これもだいぶん前の記事だが、延命についての話である。
「QOD 生と死を問う 第4部]死を語る<下>延命治療「辞退」を宣言
◇樋口恵子さん 家族に委ねないで
高齢者が病院に運び込まれた時、延命治療を行うべきか。本人の考えがわからず、家族が難しい判断を迫られることも多い。84歳の評論家、樋口恵子さんは、周囲に「延命治療は辞退します」と宣言した。
自身は延命治療を受けたくないと思っていても、親の最期が近い時に「やめてほしい」と言えるか。自信のない息子・娘が多いそうです。本人の意思がはっきりしていないと、身近な人が困ります。周囲に「冷たい人だ」と思われたくなくて、延命治療を頼んでしまう場合もある。我々ばあさん、じいさんは、今の時点の意思でいいから、しっかりと文章で書き、配偶者や子ども全員に伝えておく必要があるのではないでしょうか。
私は名刺の余白に「回復不可能、意識不明の場合、苦痛除去を除いては延命治療は辞退いたします」と書き込み、日付を入れ、サイン、押印をして後期高齢者医療被保険者証と一緒に携帯しています。医療機関の人は、まず保険証を探しますからね。講演会でご一緒した高名な医師に見せたら、「完璧です」と。延命するだけの治療を断るには、この程度でもいいそうです。
名刺は2年ほどで汚くなるので、日付を変えて書き直します。今のが3枚目かな。娘にも渡してあり、「約束は守るよ」と言ってくれています。
◇家族と話して
死は誰にでも必ず訪れるというのは百も承知。ですが、自分が死ぬのは怖いし、やっぱり嫌。せめて、安らかに死にたい。私は、安らかな死の対極にあるのが延命治療だと思ったのです。
でも、延命治療を否定するわけではありません。
67歳の時に、つれあいを看取みとりました。多発性脳梗塞で倒れて気管切開し、鼻腔びくうから栄養を取る状態で3年3か月を生きました。
ジャーナリストで、「プロダクティブ(生産的)でなくなったら生きていたくない」が口癖でしたから、もし「殺してくれ」なんて言われたら困っていたと思う。でも、大学の教え子が見舞いに来ると微笑を浮かべ、満足そうにしていました。生きているのが嫌そうな顔は見せなかった。存在そのものが「生きることはいいことだ」と言っていたように思うんです。
だから、「無理な延命治療はしてほしくない」でも、「ぎりぎりまでやってほしい」でもいい。家族に「私が最期の時は……」と話してあげてほしいのです。心配なら「後で撤回するかもしれないけれど、何も言わずにその時が来たら、これが私の意思だよ」と言い添えればいいんです。気が変わったら書き換えて、改めて家族に話す。
◇自分のデス
彼の死から十数年、私自身いつ死んでもおかしくない年齢になりました。死が近づけば延命治療への考えも変わるかと思いましたが、今のところ変わりません。日本には、「私一人の命ではないから家族に任せる」という人も多いようです。でも、私は命を誰かに預けるのは嫌。死について自分で決めるのは怖いけれど、任される家族は気の毒です。誰かに委ねる「おまかせデス(death=死)」ではなくて、「自分のデス」を考えていきましょうよ。
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【ひぐち・けいこ】 評論家、東京家政大女性未来研究所長、NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長。1932年、東京都生まれ。編著に「自分で決める 人生の終(しま)い方―最期の医療と制度の活用―」
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◇もしもの話難しく・・・「家族と詳しく話した」4%
厚生労働省が2013年に行った調査によると、自分で判断できなくなった場合に備え、どのような治療を受けたいか・受けたくないかなどを書面にしておくことに「賛成」と回答した人が、60歳以上では64%に上った。ただ、そう回答した人のうち実際に書面を作成しているのは、わずか6%しかいない。
60歳以上で、受けたい医療・受けたくない医療について「家族と詳しく話し合っている」とした人は4%。「まったく話し合ったことがない」と答えた人が44%いた。「もしもの時」に備えた話をするのは、容易ではないことがわかる。」(2017/01/29付「読売新聞」p25より)
改めてこの記事を読んだが、最初にあった「QOD」について、QOLに対比した「Quality of death」ではないかと思ったら、やはりそうだった。「死の質(Quality of death:QOD)」
では「質の高い死」とはどのような死なのだろう。
(ここ)によると「米国医学研究所の「終末期ケアに関する医療委員会」は、「患者や家族の希望にかない、臨床的、文化的、倫理的基準に合致した方法で、患者、家族および介護者が悩みや苦痛から解放されるような死」と定義している。」
少々難しい。しかし「質の高い死」を提供するのが緩和ケア病棟だという。
先日、ある知人からこんな話を聞いた。
ホスピスに入院中のガン末期の義姉の心臓が止まり、義兄の必死の心臓マッサージで、復活したという。
原因は、痰が絡み詰まった為に呼吸困難を起こし、心肺停止になったようで、旦那の必死の介護で呼吸が復活し血圧も安定したとのこと。緩和ケア病棟の看護師は、一切の延命処置をしないのに、驚いたとのこと。
緩和ケアの実態は知らなかったので、Netでググってみた。
(ここ)によると、
「病気や障害の程度が重くなり、自分の力だけでは生きることが難しい状態になった時、医療技術の助けを借りて生き長らえることを延命治療(延命措置)と言います。延命治療の方法は大きく分けると次の3つがあります。
1.呼吸における延命措置
2.人工栄養法による延命措置
3.人口透析による延命治療
・・・
また、心肺蘇生についても同様の問題が起こります。終末期の患者は、いつかは心肺が停止します。しかし、人工呼吸や心臓マッサージなどを行なえば、その時間は生きることができるかもしれません。
心肺蘇生による延命をどこまで行なうのか、という問題も最終的には本人や家族が決断することです。本人の意思を尊重するのであれば、事前に意識のあるうちに、どこまでの延命を望むのか、意思を確認しておく必要があります。」
それでは病院側はどんな方針なのか・・・・。(ここ)によると、
「緩和ケア病棟入院を希望される方へ
1)【延命処置は行いません】
心臓マッサージや気管内挿管、血圧を無理に上げるような昇圧剤使用などの延命処置は行いません。
2)【抗がん剤は使用しません】
がん治療を目的とした抗がん治療は行いません
・・・・」
なるほど・・。更に(ここ)には、
「ご入院頂くには、以下の要件を満たしていただくことが必要です。
1.ご自分の病名や症状をご存知で、がんをたたくためのきつい治療をおこなわず、がんにともなう苦痛をやわらげたいと希望する方
2.もともとの病気(がん)が悪化したとき、苦痛を強め、つらい時間をのばすような延命措置(人工呼吸や心臓マッサージなど)を行わないことを了解されている方
3.入院後、可及的早期に、ご自宅で過ごせるかの評価を行い、在宅療養を積極的に進めてゆきます。
4.上記について、ご家族ともどもご理解・ご了解されている方」
なるほど・・・。病院では、「死を延ばさず、黙って受け入れる」ことらしい。
そう言えば、先日まで見ていた米TVドラマ「er緊急救命室」でも、本人が延命拒否をしている場合は、医師がどんなに治療したくても、冷徹に放っておかなければならなかった。逆に治療をしたため、裁判を起こされる可能性も・・・
一方、死に際し、「どうしても死ねない」という状況がある。
満島ひかりのテレビドラマ「Woman」第5回(ここ)を思い出した。父親を亡くした母は、どんな難病に罹っていても、死ねないという。幼い子を残して、自分は絶対に死ねないと言う。
その満島ひかりのセリフは、未だに自分の耳に残っている。
その状況はギリギリだが、どの家にも何とか解決しないと死ねないという課題はあるもの。
我が家でも、ある大きな課題があった。詳細は省略するが、この問題だけは何とか糸口を見付けないと死ねない・・・
そんな我々家族の大課題が、実は先日、大きく解決に前進した。今考えられるベストの方向に動き出した。
まさに「求めよ、さらば与えられん」である。
ま、「もう死んでも良いよ!」とまでは言わないが、それでも、夫婦共に肩の荷が少しは軽くなった。
それでまたお互いに言い合っている。「絶対に延命治療はしないでね!」
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