全盲の普通中学校のクラス担任~新井淑則先生の話
先日のNHKラジオ深夜便「明日へのことば」で、「『見えなくなって、見えてきたもの』埼玉県皆野中学校教諭…新井淑則」(2017/02/20放送)を聞いた。
<『見えなくなって、見えてきたもの』埼玉県皆野中学校教諭…新井淑則>
この番組を聞いてNetでググると、オカムラのHPに、「全盲の教師が挑む新たな闘い(2014年4月)」(ここ)という記事が見付かり、この放送とほぼ同じような内容だったので、そのページから氏の紹介を転載する。
「埼玉県の長瀞中学校(2016年現在は皆野中学校)で国語教師として教鞭をとる新井淑則先生は34歳のときに両目を失明。以後、特別支援学校に異動、15年の後、悲願だった普通中学校に赴任。そして今年(2014年)4月、23年ぶりに念願のクラス担任に返り咲きました。普通学校における全盲のクラス担任は全国初。そんな新井先生に、絶望のどん底から希望を取り戻すまでの道のりと働くということについてうかがいました。」・・・・
「新井淑則(あらい よしのり)
1961年埼玉県生まれ。埼玉県長瀞町立長瀞中学校教師
大学卒業後、東秩父中学校に新任の国語教師として赴任。翌年、秩父第一中学に異動し音楽教師だった妻と知り合って結婚。初のクラス担任やサッカー部の顧問を務め、長女も生まれた絶頂期の28歳の時に突然、右目が網膜剥離を発症。手術と入院を繰り返すも右 目を失明し、32歳のとき特別支援学校に異動。34歳のとき左目も失明し、3年間休職を余儀なくされる。一時は自殺を考えるほど絶望したが、リハビリを通して同じ境遇の人たちと出会ったことなどで前向きに。視覚障害をもつ高校教師との出会いを機に、教職への復帰を決意し、36歳のとき特別支援学校に復職。その後、普通学校への復帰を訴え続け、支援者のサポートもあり46歳で長瀞中学校に赴任。盲導犬を連れて教壇に立つ。2014年4月、52歳でクラス担任に復帰。全盲で中学校の担任を持つ教師は全国でも初。著書に『全盲先生、泣いて笑っていっぱい生きる』(マガジンハウス)』がある。」(オカムラのここより)
氏の話は、上のZIPをたたいて聞いて頂くとして、若くして全盲、という人生について、考えてしまった。
いつも思ってしまう。自分だったら、耳が聞こえないのと目が見えないのでは、どちらが良いかな・・・。少々不謹慎な発想・・。
良く言われるのが、耳は一次元の情報、目は二次元の情報なので、圧倒的に目の情報が多い・・・・と。しかし、耳は、言葉での人とのコミュニケーションが取れる。しかし目は、普通には健常者と変わらなく見える。でも手話・・・
今は健常でも、人は加齢で五感は必ず衰える。
仏教では、感覚を六根で表す。すなわち般若心経における「眼耳鼻舌身意(げんにーびーぜっしんにー)」「色声香味触法(しきしょーこーみーそくほー)」(ここ)、つまり、眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)である。
でも失って困るのは、一に眼、二に耳だろう。
しかしこの新井先生は、全盲でも、普通中学の国語の授業をして、担任も任されているという。
歳と共に、誰も、この話は他人事ではない。感覚は必ず衰えるから・・・。でも失った時に、これほどの努力が出来るかどうかは難しい。
スーパーに行った時、ふとこの話を思い出し、様々な色とりどりの物が見える有り難さを、改めて思った。と同時に、加齢に伴って五感が衰えた時の心構えも、そろそろしておかなくては、とも思った。
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コメント
この先生のドラマ、テレビで前に見ました。実に努力家で前向きですばらしい先生ですね。周りの生徒や大人たちも皆さん出来ることで応援して協力する姿に感動しました。人は老いていくに従って身体のあちこちが傷んできます。誰もが障害を持つようになります。やっぱり目の悪さと耳が聞こえなくなってくるのが自覚の初めでしょうね。
私は44歳の時にひどい頭痛に襲われました。内科の頭痛薬が全く効かないのです。眼医者に行くように言われてきました。「眼圧が28もあります」と言われ眼圧を下げる目薬をさしたとたんに頭痛がピタリと止まりました。吐き気と頭痛は小さいころからありました。
お陰様ですっかり症状がなくなり、緑内障で目が見えなくなることもなく、現在に至っています。緑内障で視野が欠ける人が多いですね。
緑内障は悪くしてしまうと治りません。中年になったら、一度眼科で目の検査をすることをお勧めします。緑内障は目薬だけで防げます。
【エムズの片割れより】
前にNHKでドラマ化されたようですね。緑内障ですか・・。自分も前に、眼圧が高いと言われて調べたことがありました。視野のチェックは、よく片目をつむって真横の手が見えるかどうか調べています。まあ気休めですが・・・
投稿: 白萩 | 2017年3月 2日 (木) 11:07
深夜便で私も胸を打たれました。
中途失明の苦悩ははかり知りれないものがありますね。この先生に励まされ日頃の自分の心の有りようが恥じられました。
以前 視覚障碍者のために音読奉仕をしており、利用者との会合でご不便要望などを伺ったものです。皆様 謙虚で訛りの抜けない拙い朗読にも感謝してくださったものです。(市報の音読なのでローカル色も容認)
【エムズの片割れより】
ボランティアっをされていたとは、ご立派ですね。自分など何もしていなくて・・・
投稿: りんご | 2017年3月 8日 (水) 18:50