「カタカナ語の乱用に違和感」
今日の「朝日新聞」にこんな記事があった。
「(声 どう思いますか)2016年12月15日付掲載の投稿「カタカナ語の乱用に違和感」
■カタカナ語の乱用に違和感 高校教員(北海道 52)
本や雑誌、テレビで気になることがある。「リスペクトしている」のように、カタカナ語が多用されているのだ。「尊敬」では、なぜいけないのか。
高校国語の教科書や問題集には、カタカナ語が当たり前のように用いられている。文章を読み解くには、カタカナ語の意味を理解することが必須。重要カタカナ語を集めた参考書も数多く出版されている。
教育界でも能動的学習を意味する「アクティブ・ラーニング」や、授業計画を指す「シラバス」といった言葉が飛び交う。50歳を過ぎたせいか、カタカナ語乱用に違和感を覚える。
定着したカタカナ語も日本語で表現しにくい語もある。だから、全てを否定するつもりはない。しかし、れっきとした日本語があるにもかかわらず、カタカナ語に走る風潮はいかがか。言葉は時代と共に変化する面があるものの、「尊敬」が「リスペクト」に取って代わられる日が来るとしたら、日本人としてあまりにも悲しい。(2016年12月15日付掲載の投稿〈要旨〉)
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■使い分ければ会話が豊かに 大学生(大阪府 21)
日本人が時間をかけて作り上げてきた日本語と、元は外国語だったものを輸入してできたカタカナ語は、そもそも完全に同一のものではないと思います。内包する意味が微妙に異なるので、使い分けが可能になります。
親しい間柄で「リスペクト」を使えば相手の良い点を軽妙に伝えられます。「尊敬」は重々しいと受け取られるかもしれません。一方で、格式が重んじられる場面で「リスペクト」を使うのは、誰しも違和感を覚えるでしょう。
それぞれが異なる歴史をたどってできあがった言葉は、その裏に含まれる意味が異なるのです。カタカナ語も一概に悪とは言えず、既存の日本語では表せなかった親しみ、陽気さ、皮肉を言葉に乗せられるのではないでしょうか。場面に応じて使い分ければ、より豊かな会話ができるようになると思います。
■英語重視の時代、多用は自然 主婦(神奈川県 84)
カタカナ語の多用が時に問題になる。東京都の小池百合子知事も多用している一人だ。会見や議会では「都民ファースト」や「五輪がいかにサステナブル(持続可能)であるべきか」「東京のブランディング(価値を高める活動)を徹底」といった言い回しが聞かれる。「英語が多すぎる」と批判されている。
だが、私は疑問に思う。小学校で英語が教科になる時代だ。社会人にも英語学習が盛んに勧められている。理解できない言葉が出てきたら、批判する前に好機ととらえて辞書を引いたらと思う。使える英単語が一つ増えるではないか。
元々の「一所懸命」よりも「一生懸命」が使われているように、言葉は時代と共に変化する。教育の中で英語が重視され、比重が高まるのも時代の流れだ。カタカナ語の多用、定着も自然でおかしくない。非難するのは了見が狭い。
■明治人にならい翻訳の努力を 無職(愛知県 74)
ご投稿に同感である。2020年の東京五輪・パラリンピック会場見直しをめぐる関係者の議論で「レガシー」という言葉がよく使われた。「遺産」でいいのに。維持にお金がかかる「負の遺産」のイメージが付きまとわないよう、ぼかしているのではと勘ぐってしまう。
カタカナ語の単語なら、まだ多くは理解できる。だが、フィナンシャルグループを意味する「FG」のように、カタカナ語がアルファベットに省略されると、さらに分かりづらくなることが多い。
私は、カタカナ語より日本語のほうが微妙なニュアンスが伝わると思う。特に、漢字は表意文字で理解しやすい。たとえば、明治の知識人はフィロソフィーを「哲学」、エコノミーを「経済」と、漢字を使って訳す努力をした。
先人の知恵に学んでなるべく翻訳に努め、きちんとした日本語を使いたい。
■日本語を大切にするのが先です 会社員(神奈川県 54)
私は、社会全体がカタカナ語より日本語を大切にするのが先だと思います。
一日の新聞に目を通すだけでも、あるわあるわ、カタカナ語。ガバナンス、オーソライズ、キャリーオーバー……。これらは一見簡単そうでも、正確な意味が分かりません。
「マネーロンダリング(資金洗浄)」などと、わざわざカッコ内に日本語が併記されていることもあります。それなら最初から「資金洗浄」だけで十分ではないでしょうか。
こんな風潮のせいか、世の中には「英語ができる」「国際感覚がある」とアピールしたくて、カタカナ語を乱用しているのではないかと思える人もいます。
「情けは人のためならず」のように、誤用されている日本語も多い昨今です。あえてカタカナ語を使うより、日本語を大切にして、正しく使いたいものです。
◆節度持ち賢く使おう 中道真木男・名古屋外国語大学教授(言語学)
「グレーゾーン」のように既存の日本語で表しにくい言葉。「アフターファイブ」のように格好をつける言い方。時代に応じて生まれるカタカナ語は多数あります。一方、「ギャル」「ナウい」といった廃れる言葉もある。新陳代謝があるのです。
そうした中、新しいカタカナ語はつい口にしたくなるし、耳につく。それが「氾濫している」との印象につながるのでしょう。
「シラバス」といった用語は、正確な意味が伝わる。特定のグループの内輪で使う分には問題ありません。
ただ、グループ外の人は違和感を持つし、「ひけらかし」と受け取られる場合もある。カタカナ語はこれからも登場します。節度をもって賢く使い、既存の日本語も学びつつ、表現を豊かにしてはどうでしょう。」(2017/01/11付「朝日新聞」p16より)
同じ話題では、以前「外国語「使われすぎ」52% 巧みな言い換え難しく」(ここ)という記事を書いた。
上の記事を読んで、自分が思い浮かぶコメントは前の記事と同じなので繰り返さないが、自分はカタカナ語大キライ人間。
まあ外国語大キライ人間なので、必然的にそうなる・・・!?
「アラフォー」だとか「セレブ」だとか、家の中だとカミさんに意味を聞ける。(でも聞いても直ぐに忘れるが・・・)
テレビでも、当然のようにカタカナ語が使われる。字幕でカッコの日本語が表示されるのならまだ良いが、上の記事にもあるように、小池都知事も多用している。
そもそも自分の考え方を相手に伝えるのが会話や演説だろう。相手が、完全に知っているカタカナ語なら問題ないが、その意味を相手が知らない場合は、何を話しても自分の意志が相手に伝わらないわけだ。つまり、難しい(一般的でない)カタカナ語を使えば使うほど、一般大衆相手では自分の言いたいことが相手に伝わらない。
小池都知事は、それを百も承知で使っているのだろう。だから、多分そこには、それ以上の目的があって、わざと使っているのだろう。イメージ優先とか・・・
アルファベットの略称も、ワケが分からない。外国では、アルファベットの略称で困っている人も居るのでは?
つまりアルファベットの3文字略称など、こじつければ何にでもなる。狭い世界での共通語としては便利だが、あまり有名でない略称は、必ずカッコで日本語を付け加えるべき。
これは読み手を考えると当然。
ともあれ、会話や文字は、相手との“コミュニケーションツール”。相手をよく見て、相手が知っている言葉で話したいもの。もちろん自分宛の話には、カタカナ語は御法度であ~る。
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コメント
投資信託を勧めに来た金融機関のお姉さんに「インフレ」と「インフラ」を一緒にしている人多いでしょうね」と言ったら、「インフラを知らない人が多くて間違えているので困っています」と言っていました。かくいう私も何年か前にカタカナ語辞典で覚えたばかりです。まだ沢山間違えて覚えている言葉があると思います。100円ショップで買ったカタカナ語辞典が手放せません。覚えてもすぐ忘れてしまうのが悩みです。
【エムズの片割れより】
100円ショップで、カタカナ辞典がありますか!今度買ってこようっと。
投稿: 白萩 | 2017年1月12日 (木) 13:13