「文化庁」の看板は誰が書いた?
文部科学省が早稲田大学への天下りをあっせんしていた問題。今日はとうとうNHKで「天下りあっせん 文科省が隠蔽工作 口裏合わせ文書入手」というニュースまで・・・
このニュースが流れる度に映し出される看板。
文科省より、スポーツ庁よりも気になる看板が「文化庁」の看板。これを見る度に、この看板は、文化庁の発足時の大臣が、しゃしゃり出て揮毫(きごう=書画をかくこと)したものだろうと想像していた。最近、あまり頻繁にテレビで見せられるので、つい調べてみる気になった。
すると、この筆は、何と書の大先生の揮毫だという。
文化庁のHPにはこう説明がある。
「Q.文化庁の看板の文字を書いたのは誰ですか。
A.文化庁の標識板(縦書体)は,平成13年1月の文部科学省発足を機に書家の成瀬映山(なるせえいざん)先生にお書きいただいたものです。」(文化庁のここより)
wikiによると「成瀬 映山(なるせ えいざん、1920年3月1日 - 2007年7月16日)は、日本の書家。日展参事、読売書法会顧問、謙慎書道会最高顧問などを歴任。全日本書道連盟顧問。槙社文会代表。警視庁自警会審査顧問。現代書道二十人展出品(朝日新聞社主催)。聖徳大学客員教授。勲四等旭日小綬章叙勲。」だそうだ。
氏の書は(ここ)にもあるが、残念ながら、何という文字か、まったく読めない。
Netによると、氏の書風は「古典美を礎にした激しい行書の書風を得意とする」(ここ)のだそうだ
つまり、この文字は、しゃしゃり出た大臣が、緊張に震えながらヨタヨタと書いたものではなく、その道の大御所が揮毫した“有り難い文字”ということ。
誰が氏に依頼することにしたのか、そして出来上がった看板を誰が承認したのかは分からない。
しかし、省庁の看板は、芸術作品ではない。その時の権力者の好き嫌いで掲げる物でもない。長く国民の目に触れるもの。それを、多くの人が、「何だこりゃ!?」と思うものにしてはいけない。
初代大臣がしゃしゃり出て揮毫した看板も多い。それについて、2年ほど前に朝日新聞に記事があったらしい。(ここ)に全文があったので転載してみる。
「大臣筆の省庁看板 字は人を表す?
「字は人を表す」という。霞ヶ関の中央省庁の看板には、発足時の大臣が筆を執ったものが多い。いかめしい省庁の看板をじっと見つめると政治家の性格や政権の特徴が透視できる、かもしれない。
「字の上手下手は別として、勢いがあったかなと」。5月30日に発足した「内閣人事局」の看板を書いたのは、稲田朋美・国家公務員制度相。記者会見で自らの「作品」をこう評した。みなみに、安倍晋三首相の感想は「みずみずしい筆遣い」だった。
この看板は、東京・永田町の合同庁舎8号館にある同局に掲げられている。
「独特の味わいがあっていい」と言う職員がいる一方、「毎日の通勤時にこれがを見るのは正直しんどい。ちゃんとした書家に書き直してもらった方がいい」とこぼす職員も。
1府5省で
現在の1府12省庁の看板のうち、政治家が書いたのは1府5省。1978年に発足し中川一郎農水相が書いた農水省と、2007年に発足し久間章生防衛省以外は、01年1月の省庁再編時のものだ。
当時の首相は森喜朗氏。官邸主導を強めるために新設された「内閣府」は、森氏の揮毫だ。太い線ではっきりと書かれているが、この後政権は先細りし、三ヵ月後、総辞職に追い込まれた。
書き直しも
同じ時期、木の板に墨字で「国土交通省」と書いたのは、初代国交相の扇千景氏。大きな「国」の字と対照的に「省」の字が小さく、逆三角形になっていた。就任時の会見で扇氏は「もう少し練習しておけばよかった」。
小政党の保守党・保守新党に籍を置きながら、前任の建設相も含めると3年以上も大臣を務めたが、道路公団を掲げた小泉純一郎首相と自民党道路族との痛み挟みに。官僚統率力が十分とは言い切れなかった。
そのためかどうか、まもなく看板にひびが入った。現在掲げられているのは03年に扇氏が書き直した2代目。紙に書いたものをデジタル加工でバランスを整え、板に掘り込んでいる。
同省の担当者は「板が劣化し、文字がかすれたため、扇さんに了解を得て書き直してもらった」。あくまで「文字そのものが原因で(看板を)掛け替えたわけではない」という。
片山虎之助総務相の書いた「総務省」は丸文字気味。唯一、役所名が御影石に彫り込まれている「経済産業省」は、平沼赳夫経産相の筆だ。
一方、財務省は、達筆で知られた宮沢喜一・初代財務相ではなく、一般のフォントが使われている。前身の「大蔵省」の看板を書いたのは、池田勇人首相だった。池田氏と同様に大蔵官僚から首相に上り詰め、池田氏ゆかりの保守本流派閥「宏池会」を継いだ宮沢氏は、政治の師匠の字を書き換えることはしなかった。
書家は批判
「内閣人事局」のように、発足時の大臣が役所の看板を書くという霞ヶ関の慣習は途絶えることなく続く。だが、著書「近代書史」で大佛次郎賞を受賞した書家の石川九楊さんは「権力者が身を修めることや詩文書の教養、作法を欠いたまま、看板を書くという形だけ残っている」と話し、あきし慣習と批判する。
全省庁の題字を見て回った石川さんは「こんな表札を掲げ続けていたら、東アジアの漢字圏の要人に日本が軽蔑され、官僚の士気も低下しかねない」と危惧する。
「書は自らをさらけ出す『事故暴露装置』だ。素養のない政治家が容易に筆を執るべきではない」では冒頭の内閣人事局の文字は、どんな内面を「暴露」しているだろうか。
石川さんはこう言う。「基本的で最も大切な均衡、均等、安定性を欠き、ここにあるのは見せかけの力強さや勢いだけだ。
まさに、今の安倍政権全体象徴している」安倍内閣は9月第一週に内閣改造を行い、その官僚の顔ぶれががらっと変わる見通しだ。
したたかな政権運営で知られた小渕恵三首相は、政治を志した大学時代、将来揮毫を頼まれることに備えて書道にいそしんだ。自民党に約60人いる「内閣適齢期組」にも、真夏のあいだ大望を胸に、毛筆の稽古に精を出す議員がいるかもしれない。(2014/7/31付「朝日新聞」p4ここより)
この記事にもある稲田朋美氏の「内閣人事局」の看板は、あまりに稚拙で、品位に欠ける。何よりも、“氏らしい”出しゃばりの揮毫に、「バッカみたい」と感じるだけ。
しかし「「内閣人事局」のように、発足時の大臣が役所の看板を書くという霞ヶ関の慣習は途絶えることなく続く。」だそうだ。
憲法改定を目論む安倍政権と同様に、自らを歴史に名を残したい、という名誉欲が為せる業なのだろう。しかし本人の意向とは裏腹に、残した文字は逆の意味で「字は人を表す」のである。
実はウチのカミさんは、数年来書道に凝っている。楷書、行書までは良いが、それ以上の書になると、その良さは、我々素人には皆目分からない。文字が絵になってしまっている書には、付いて行けない。
自分が“美しい”と思ったのは、「筆まめ」の「流麗行書体」。年賀状で、この文字に出会ってからは、自分も早速「筆まめ」を買ってきてこのフォントを使ったもの。
つまり、自分にとっては、誰でもきれいと思う文体が良い文体。著名な書家の筆などは、その世界だけで通用するもの。
どんなお役人が勘違いしたのか、超芸術的な「文化庁」の看板。
一般国民のためにも、早くこの看板が落ちて割れ、普通の文字の看板に架け替えられることを祈りたい。もちろん「内閣人事局」や「スポーツ庁」「防衛省」も“普通の文字”にして欲しいもの・・・。
(2018/10/12追)
昼のNHKニュースで、文化庁の看板が変わっていることに気が付いた。2018年10月1日に変えたという。それで、今度は誰が書いた・・・?やっぱり宮田長官だって・・・・(除幕式でのの長官の挨拶(ここ)は、言い訳がナポレオンに似ている?)
文科省のHPにはこうある。
「文化庁新看板設置除幕式
10月1日、文化庁が組織改編し、新・文化庁として新たなスタートを切りました。新たなスタートを記念して宮田文化庁長官が揮毫した新しい看板が設置され、林文部科学大臣、宮田文化庁長官、中岡・村田両文化庁次長が出席して除幕式が行われました。
また合わせて一般公募1,420件の中から選ばれた新・シンボルマークも発表されました。
林大臣は、
「今日からこれまで以上に気を引き締めて、日本にとってさらに大事な分野となっていくこの文化・芸術を先頭に立って、そして各省庁の調整も文化庁が担うということで東京と京都でしっかりと仕事をしてもらいたい」
と新・文化庁に期待を示しました。
また、宮田文化庁長官は、文化庁の新看板に込めた想いを述べるとともに、
「東京と京都で素晴らしい日本の文化を世界に発信していきたい。」
と意気込みを述べました。」(文科省HPのここより)
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コメント
言われてみれば各,家の表札を見て歩けば色々ありますね。でも一目見て情けないような文字の表札は見当たりません。「文化庁」も「内閣人事局」も恥ずかしいですね。ある大学の石に彫られた字が小学生が書いたような字なので、前を通るたびに書いた人は恥ずかしくないのかなあと思ってしまいます。タクシーの中でつい言ってしまったら、運転手が「個性があって良いじゃないですか」と言いました。まあ、個性と言えばそうなのでしょうが、稲田氏の字はちょっと恥ずかしいですね。私なら絶対に書きません。あれが個性なら幼すぎます。国会の答弁も誰かが書いたものを棒読みしているような感じがします。私は上手く書けませんから「大臣」には絶対なりません!
【エムズの片割れより】
さっき、散歩しながら家の表札を改めて見たけど、どれも見易い文字ばかり。それに引き替え、お役所の表札の貧しいこと・・・
カミさんと「鉄面皮」という言葉が話題になりました。
投稿: 白萩 | 2017年1月24日 (火) 23:27
「文化庁」の看板の余りにも酷い筆跡に「漢字を常用としている東南アジアの代表が何かの機会に文科省を訪問し、正門の『文化庁』の書体の酷さに呆れることは日本の恥、一帯誰が書いたのかとメールで訪ねたら、瞬時に返信があり「時の3本の指に入る今は物故者の書道家に書いてもらったもの」と得としていました。私は文科省の職員の中にこの評価の善悪がわからないのか、そそれなりの高い謝礼を国の税金から支払った筈とさ再度、苦情を返信しました。書道家の石川九楊氏も余りに酷いとして文科省をわざわざ訪問して、庁内をしつつしたそうです。その毛塚、あるはあるは、一体、文科省関係者はどう考えているのかと私同等の意見を述べてみえました。後日、安倍総理が時の担当大臣と得意満面の笑顔で「別の新看板」を庁内に掲げる写真が新聞に掲載されました。また、私は文科省へメールで「一度ならずまたしても」と抗議しました。その時も返信があり「伸びがあり人気の女流書道家のてになるもの」と平然と解答あり。字数が多すぎ、一枚の縦一列に書き切れず左横下にそれ以下の文字が書き込むという誠に小学生並みのバランスの酷さ。それを評価する人もいない安倍以下の劣悪さ冨、「スポーツ庁しかり」下村元大臣の書だそうですが、書きも書いたり、「書は人を表す」といいますが、貧困の極み。この程、漸く「平常」に戻りました。最近テレビで見て知りました。義務教育で「書道教科」を主管する部門であることを忘れるな!
投稿: 竹内 信夫 | 2018年11月23日 (金) 13:54
書家です。成瀬映山先生。私の師です。
いろいろご迷惑をおかけしました。
先生の書は芸術的すぎるというご意見は非常に重く受け止めております。芸術的な書の先生方は普通に整斉で丁寧な字を書けと言われれば書きますけど、通常は整った字を書くというのが求められていないものですから、こんな仕儀に相成りました。
成瀬先生は小楷を好まれてまして、中国の六朝時代あたりの楷書、行書をよく書かれていました。文化庁というので結構張り切ってらっしゃったんですけどね。
むしろ逆になんちゃって書道家の方が人気が出る文字を書いてくれますから、そちらにお任せしたほうが良かったと思います。ぴょんぴょん激しくはねたり、ダンスしながら書いてる人たちの書は勢いがあって元気ですから子どもたちにも大人気でよくテレビに出てますからね。
でも我々書家たちは古典の書を見て勉強だけはしてるので、そういう人たちの字は歴史上存在しない=間違いの字だ、見てられないっていうんですよね。それで、結局素人が出てきて書く。素人だから問題だらけでどうしようもないのが前提だから、文句言う方がおかしいってわけです。政治家が書くのにも意味があるんですね。
【エムズの片割れより】
実は3年ほど前まで、ウチのカミさんも書道を習いに行っていました。
その先生の書道展に何度か連れて行かれましたが、まったく何が書いてあるか分からない・・・。
昔、叔母から銀座で書道展があるとのハガキを貰って、義理で行ったことがあるが、これもまったく分からない。
つまり、書道の世界は、人に伝える道具としての文字では無く、芸術なんだと思いました。
前の文化庁の看板も、その差異からきたことなんですね。
しかし文字(書道)の世界は、奥が深く、広大な世界。
NHKの大河ドラマなどのタイトルの字体や、各種製品のロゴにある独特の文字の素晴らしさは、やはりプロの世界。
自分のような素人には、とにかく読める文字を!という切なる希望?です。
投稿: 弟子ですみません | 2022年8月10日 (水) 05:46
ご返信ありがとうございました。
奇しくもと言いますか、成瀬先生は普通に読める書を推進されてきた方でした。「調和体」と言います。日本には日展の下に二大書道団体がありまして、そのライバル団体では「近代詩文書」と言います。相田みつをさんが有名ですね。漢字とひらがなを調和よくまとめて書くものです。
芸術書道の出発点は中国の文人文化です。詩、書、画、印の教養を江戸末期に受け入れ現代日本の書の基礎としました。韓国が戦後ずっとハングル書道を突き詰めて読める文字に専念したのに対して、古い読めない文字が中心のものとなったのは、中国の教養人の文化をそのまま残しているからということになります。
成瀬先生が読める文字に心を砕かれたことに倣い、我々門人は、これまでのただ本物を追求する書だけでなく、一般的な読める書も広く提供していくことが、これからの書道において重要なことだと考えていますし、そうありたいと考えております。
【エムズの片割れより】
書の世界も深いですね。
繰り返しになりますが、カミさんの書道の先生の展示会で、文字と言うより踊っている絵のような書にビックリしたことを、改めて思い出します。
素人には分からない世界・・・。
素人からすると、物事を伝える道具の文字は、やはり読めることが大切だと思ってしまいます。
ご教授、ありがとうございました。
投稿: 弟子ですみません | 2022年8月15日 (月) 03:38
ブログの主さまに同意ですね。さて成瀬映山は2001年御年81歳です。ピークは遙か昔のこと。「文化庁」の看板を見る限り老人特有のかなりの手の震えがみられます。65歳の老人に日米プロ野球のマウンドを任せるようなものです。
日本の権威主義がいかに害悪かを思い知らされた事態(字体)でした。当時の成瀬映山くらいの手の状態なら筆を取るのではなく審査側・監修にまわるべきです。
投稿: 通りすがり | 2022年8月17日 (水) 10:17