「位牌」と「墓じまい」
自分も「古希」を迎え、長寿の祝いの言葉が、身近になってきた。それに伴い、「位牌」やら「お墓」といったことにも、つい目が行く。
だいぶん前の記事だが、こんな新聞記事の切り抜きが出て来た。
「(Reライフ)位牌、私の死後は?
■Reライフ 人生充実
《2年前に病気で亡くなった夫の位牌(いはい)に毎日話しかけています。子どもがいないので、私が死んだあと位牌がどうなるか心配です。 横浜市 匿名希望(76)》
■あり方、宗派によって様々 最後は「まつり捨て」
「黒いお位牌にしないと四十九日法要ができない」と言われログイン前の続き、質問者は「それは困る」と必死の思いで塗り位牌を注文したという。仏壇は通信販売で購入。そこに遺影とともに安置し、夫が好きだったコーヒーを毎朝あげて手を合わせている。
そもそも位牌とはどういうものなのだろうか。
「葬儀と日本人―位牌の比較宗教史」(ちくま新書)の著者、菊地章太・東洋大学教授によると、位牌の原型が登場したのは紀元前3世紀ごろの中国だという。
仏教は紀元前5世紀ごろにインドで生まれたが、魂があの世からこの世に何度も生まれ変わるという「輪廻(りんね)転生」を教えるインド仏教には墓も位牌もなかった。
位牌を「故人の魂が宿るもの」と位置づける葬儀作法は、中国で唐の時代に生まれた禅宗が徐々に確立させてきたという。
日本に禅宗が伝わったのは鎌倉時代で、そのころから位牌も登場する。室町時代初期の僧の日記に「昔は位牌はなかった。(中国の)宋の時代から出てきた」という記述がある。
当初は将軍や高僧といった特別な人たちの葬儀のためのものだった。室町幕府を開いた足利尊氏の位牌に刻む文字をどうするか相談する手紙が残っており、それを見ると、鎌倉時代に執権を務めた北条時頼や時宗の葬儀でも位牌を作ったことがわかる。庶民の間に広まったのは江戸時代中期以降だ。
位牌のあり方は、地域により、また宗派によりさまざまだ。親鸞が始めた浄土真宗は位牌を作らないのを基本としている。
作った位牌はどうなるのか。最後は「まつり捨てられる」のだという。三十三回忌といった一定の年数が経ったところで、墓地に埋めたり焼いたりするのが一般的だ。
菊地さんは「しのぶよすがとして位牌はある。記憶がなくなったら価値はない。ずっと保存することにこだわらないのが、日本人の感性といえる」と話す。
■サポート頼む方法も 棺に入れ共に旅立ち
浄土真宗は、どうして位牌を作らないのを基本としているのか。親鸞の教えを研究している人たちから教えてもらった。
第一に、親鸞自身が「父母の孝養のために念仏を唱えたことは一度もない」と言ったことだ。「えっ」とたいていの人は驚いてしまうが、実はお釈迦様も「死んだ人に向かって読経しても意味がない」と言っている。
死んだ人の運命は本人の行い(業)で決まるもので、子孫がお経を唱えて変えられるものではない。そもそも、お経は生きている人が幸せになるための教えを記録したもので、生きているときに聞いてこそ意味があるというのだ。
第二に、最善の供養とは先祖が喜ぶことをすることだからだ。親にとって何が一番うれしいかといえば、子が幸せに生きることだろう。それには阿弥陀仏の本願を聞き求めればよいと、お釈迦様と親鸞は教える。
阿弥陀仏の本願、つまり本当の願いとは、すべての人を幸せにしたいということ。阿弥陀仏だけを信じて正しく幸せに生きようというのが浄土真宗の教えだという。
一方で、日本の多くの仏教宗派では亡くなった人の位牌を作り、仏壇の中に安置する作法が定着している。実は、浄土真宗でも位牌を大事にしている人が少なくない。その場合、仏壇の中に入れないようにしている人もいる。
現代の葬送のあり方について問題提起を続け、いまは認定NPO法人・エンディングセンターの理事長を務める井上治代さんによると、質問者と同じような悩みを抱える人は少なくないという。しかし、すでによい解決策が見つかっている。「自分が死んだとき、棺の中に入れてもらうんです。そうすれば一緒に旅立つことができる。あたたかで幸せな気分になれます」
エンディングセンターでは、喪主になってくれる人がいない人たちを支援する事業をしている。生前にきちんと契約を結んだうえで、家族の代わりとして、葬儀や死後の事務処理を取り仕切る。
この「死後サポート」を受け、すでに何人もの人が夫や妻、あるいは両親の位牌とともに旅立ったという。
■忘れられることが成仏
栃木県足利市の鑁阿寺(ばんなじ)に足利家歴代大位牌があります。図録によると、高さ約2.5メートル、代々の家長の戒名が彫られています。位牌とはこうして長年大事に守るものと何となく思っていたのですが、それは将軍家のような特別な場合に限られると知りました。ある程度の年限がたったら個人の霊は「祖霊」という先祖全体の霊の中に入っていく。個人が忘れられることが「成仏」なのだ、という説明を専門書で見つけ、深く納得しました。(高橋真理子)」(2016/11/21付「朝日新聞」p31より)
位牌は鎌倉・室町時代に登場し、江戸時代中期に庶民に広がったという。
この記事には、「なるほど・・・」とうなずく言葉が見付かる。
「作った位牌はどうなるのか。最後は「まつり捨てられる」のだという。三十三回忌といった一定の年数が経ったところで、墓地に埋めたり焼いたりするのが一般的だ。
菊地さんは「しのぶよすがとして位牌はある。記憶がなくなったら価値はない。」
確かに「しのぶよすが」である。四十九日でお寺で位牌に入魂してもらって、その位牌を無くなった人として、お参り供養する。しかしそれは位牌の後に「しのぶ」人がいる場合。
しかし、世代が代わって、位牌の後に個人が見えなくなると、その位牌は役割を終える。見たことも会ったこともない先祖の位牌に、あまり価値(意味)はない。だから「自分が死んだとき、棺の中に入れてもらうんです。そうすれば一緒に旅立つことができる。」という終わり方は道理にかなっている。
故人を覚えているのは、普通は祖父母まで。自分の場合、祖母が亡くなってちょうど40年になる。そろそろ忘れて良い時になったのかも知れない。
「個人が忘れられることが「成仏」なのだ」ということも納得・・・。
話は変わるが、位牌と同時に、お墓の行く末も気になる。子や孫がいる場合は、そのまま引き継げば良いのだろうが、子供がいない場合のお墓はどうなるのか?
例えば、継承者の居ない親戚のお墓の処置は、どうもこうなるらしい。
<墓じまい>
・全てはお寺との相談。
・承継者でないと、墓じまいなどの手続きは出来ないので、無縁墓の場合は、処置する人が、いったん承継者になって、その立場で“自分の管理しているお墓”を墓じまいすることになる。
・同じお寺の合葬墓地に移す場合も、市への届けは必要。
・移すお骨の氏名などの情報をリストで申請。分からないところは「不詳」で可。届けは郵送でも可。
・お墓の解体は、数十万円かかる。特にクレーンが入れない場所は高額。
・お寺への費用(離壇料等)は、様々。
お寺によっては、離壇料を数百万円要求される場合もあると聞く。特に田舎のお寺から都会のお寺への改葬は、檀家が減って困るお寺が、高額を要求する場合があるらしい。
しかし、無縁墓化が明らかな場合は、「無縁になって管理料を払ってもらえなくなり、寺の費用で墓石を撤去したりする事が必要になるのなら」と、墓じまいを容認する傾向もあるという。
無縁墓化が想定される親戚のお墓の処置を考えた時、どうすれば良いのか?
・知らん振りして(無縁墓のまま誰も継承しない)、全てはお寺に任せる。たぶん数年後にお寺の費用で撤去される。
・数百万も懸念される「墓じまい」は止めて、年の管理料を払い続ける。これだと数千円の年管理費を30年払っても、30万円にもならない。
・この際、キレイにするために、墓じまいを決心した時、「墓石の解体処分+お骨を取り出す+行政手続きの代行」の「墓じまい基本パック」というものもあるらしい(ここ)。
これだと、30万円ほどで市役所の手続きもしてくれるらしい。
承継者がいない親戚がいた場合、こんな話がいつ自分のところに降ってくるか分からない。
「終活」とは良く言うが、自分の死んだ後の処置について、他の人に迷惑を掛けないように、あらかじめ手続きしておくのも、大事なことかも知れない。
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