今ごろ!?山口百恵著「蒼い時」を読む
今ごろ、37年も前の本、山口百恵著「蒼い時」を読んでしまった。これがウワサ通りの秀逸。
NHKラジオ深夜便で毎月放送されている「昭和史を味わう」。先日の「行財政改革」(2017/01/09放送)でノンフィクション作家の保阪正康氏がこんな事を言っていた。
「昭和55年に引退した山口百恵さん。私は書評は良くやるのだが、芸能人の方の書評はほとんどやったことがない。この本は良い本だよ、とある人から言われて読んだ時、ビックリした。この文章は、ゴーストライターを使わずに自分で書いたというが、内容がすごくレベルが高いというか、筆の力というのはプロに匹敵すると思いました。この本を彼女が書いたということで、本当に才能のある方だなと思いました。歌っている自分の表現の仕方を、客観化しながら書いている。普通の芸能人は、“私が”“私が”と書くが、この人のは一歩引いて、その“私が”を見ている“私”という立場で文章を書いている。この人はすごい人間の観察力のある人だなと思って、そういう書評を書きました。良い本です。」
自分は、昔から山口百恵の歌はよく聞いていた。先日もハイレゾの音源を買った(ここ)。
別に“ファン”ということは思ったことはないが、独身の頃は、部屋にレコードに付いていた写真を飾ったり、篠山紀信の写真集を買ったこともある。しかし、山口百恵が自叙伝を書いていたとは知らなかった。いや知っていても、そもそも芸能人の自叙伝など、まったく興味が無かった。ゴーストライターの書いた自慢話など、読む気にもなれない。
しかし、先の保阪正康氏の話には反応した。引退する時に書いたとすると、もう40年近く前。とっくに絶版になっているだろうから、図書館ででも借りて読んでみようか・・・
ところが、図書館で検索すると、ただの文庫本なのに、何と3人も待っている。そしてAmazonでみると、何と絶版になっていない。現在も現役の本なのだ。そして中古を買おうかと調べると、結構高い。新刊本と100円しか違わない。それで新本を買ってしまった。
巻末を見ると、2013年6月の第62刷。「発売から1か月で100万部を超え、12月までに200万部を超える大ベストセラーになった。」というのも、うなずける・・・。
読んでみると、まさに保坂氏の言う通りの素晴らしい本だった。“歌手・山口百恵”を、生身の山口百恵が観察し、それを文字にしている。ファイナルコンサーは日本武道館で1980年10月5日に開催されたが、この本はその直前の9月に刊行されたという。そんな忙しい最中で、なぜこんな本を書いたのか? その解が本文にあった。
「今、この時に、私は、私の歩んだ21年の日々、そして、芸能界というある意味では特殊な世界に生きた約8年の日々を、自分の手、自分の言葉で書き記しておきたかったのである。
それは理解ある人たちの協力で実現することになった。
自分を書くという事は、自分の中の記憶を確認すると同時に、自分を切り捨てる作業でもある。
過去を切り捨てていく――それでいい。
原稿用紙を埋めながら、私はそう考えていた。
秋の終わりに、私は嫁ぎ、姓が変わり、文字通り新しい運命に生きる。
その中に、これまでの運命の、たとえそれが暗ではなく明であったとしても、持ち込むことをしてはいけない。
もし書くことによって、終決させられるのなら――それでいい。
執筆期間、約4ヶ月の間に、様々な思いを知った。・・・・」(山口百恵著「蒼い時」p207より)
キーワードは「終決」だった。
この自叙伝は、確かに本人の筆。普通は時系列で自叙伝は書かれると思うが、この自叙伝はそうではない。あるアイテム毎に、心に浮かぶ姿を文字にしている。
それにしても、多くの人が評しているように、21歳の女性が、たった4ヶ月で書いたそれまでの人生。幾ら、スタッフの助言があったとしても、これは大変な作品。読みながらスゴイと思い、読み終わって、何か心があたたかくなった。
つまり、この本の中に、自分が知っている歌手・山口百恵は居なかった。人間・山口百恵が居た。
実は自分も、入社から定年退職までの仕事について、ふとしたことから自叙伝として活字にしたことがある。しかし、最後の校正は困難を極めた。多くの人が目にする前提だったので、事柄や言葉について、結果として削るに削った。それはある人から「活字になると、ある事柄が一つの歴史、事実として残ってしまう。ひとつの文献として。それが他人に与える影響を考えて文字にしろ」というアドバイスを貰ったから・・・。書いて良いこと悪いこと・・・・。
この本も、中に出てくる他人を傷付けるのではないかと、おののきながら書いている。
実は自叙伝は、その本を多くの人が読めば読むほど、配慮が必要で、非常に難しいのである。
ともあれ、出版後37年も経って、人間・山口百恵を読んだ。しかしこの本は、絶版とならないだけの価値を持っている。歌手としてほとんどの時間を使いながら、満足に学校にも行けない状況の中で、これだけの凝縮した時間を過ごし、それを自分の文章に表せた人間が居たという事実。これが何事にも代え難い。
現役時代、谷保の三浦邸の近くに家がある同僚がいた。その同僚は、「山口百恵?よくスーパーで見かけるよ」と事も無げに言っていた。「ホント?“一度”見たいね」などと当時の自分は言っていた。
20歳でこれだけの人・・・。その人を“見たい”とは・・・
70近い自分の薄っぺらさ、そして今の無為な時間の使い方を恥ずかしく思いながら読んだ「蒼い時」ではあった。
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(2019/12/18追)
朝日新聞に、この本についての記事があった(PDFはここ)。
「(時代の栞)「蒼い時」 1980年刊・山口百恵 「女の時代」駆けたスターの告白
■揺るがぬ意思、「自立」示した
人気絶頂の山口百恵が結婚、引退する。衝撃のニュースに沸いた1980年春、節目を飾る本の出版を狙って各社が動いていた。
本人と直接交渉をし、企画を所属事務所と出版社に通したのは駆け出しのプロデューサーだった残間里江子さん(69)だ。自身も30歳を前にキャリアを模索していた時期。70年代は「女の時代」ともてはやされたが「実態は消費の担い手としての期待。その中で女性は常に本当の『自立』とは何か、生き方に右往左往してました」。
だが、時代の先頭を走り、「強い女」のイメージもあったスターは、流れにあらがうように家庭を選んだ。
その生身の本音を引き出すことが、惑う女性へのヒントになるのでは。そう考えた残間さんは、ライターの聞き書きではなく「自分で書かないか」ともちかけた。条件は二つ。うそは書かない。生い立ちや恋愛・性にも向き合う。
新たな人生を前に総括を望んでいた百恵さんは、正面から応えた。「タブー」のない21年間の物語。「当時のアイドルが自ら書くのはあり得ない。でも彼女は納得したことはやり通す強さがあった。だから一人の作家として信頼し、支えることに徹しました」。当時、芸能誌「週刊明星」の副編集長で、残間さんと共に極秘にこの本を担当した山下秀樹・元集英社会長(76)は振り返る。
名前入りの原稿用紙を特注し、執筆に戸惑っていた時期には作家の瀬戸内晴美(寂聴)さんを紹介してもり立てた。超過密スケジュールの中、原稿用紙で約450枚。引退コンサートの約2週間前に出した『蒼(あお)い時』は5日ごとに20万部の増刷がかかり、1カ月で百万部を突破した。
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「あなたのおかげで、女性の地位は十年前に逆戻りしちゃった」。結婚でキャリアを閉じることには、こうした批判もあった。百恵さんは自ら本の中で紹介し、反論する。
女の自立とは何か。「生きている中で、何が大切なのかをよく知っている」ことであり、対象は仕事でも、家庭でも、恋人でも構わない。精神的な自立なのだ――と。
デビューから楽曲を手がけた音楽プロデューサーの酒井政利さん(84)は引退を告げられたとき、驚かなかった。母親を大切に思い「いい結婚をしたい」という強い思いは最初からあったのだという。
どんな曲でも、その曲の主人公を演じる万全の準備をしてレコーディング室に入ってくる完璧主義者だ。「自分をプロデュースする能力が高く、何事も精いっぱいやる。その力を家庭で発揮し、自分を表現している。ぶれない。その道筋は、本人には最初から見えていたのでしょう」
バブル期を経て、産休、育休など子育てをしながら働き続ける仕組みができ、女性の生き方、働き方は多様化した。そうした変化の中でも『蒼い時』は時々に増刷がかかり、新しい読者をひきつけている。文庫本と併せて発行部数は340万部を超す。
なぜ、今も支持されるのか。酒井さんは、その理由に彼女が持つ「揺るがない透明感と、迷いのない決意」を挙げる。「ポスト百恵」として、多くのアイドルが登場した。「むしろ松田聖子や中森明菜ら次世代の新しい生き方の女性たちがいるから、昔ながらの生き方を貫く『山口百恵』が照らされてピカピカと輝くのかもしれません」
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今年還暦を迎えた三浦百恵さんは7月、『蒼い時』から39年ぶりに本を出版した。『時間(とき)の花束』(日本ヴォーグ社)には家族のため、仲間のため、世の中のため、自身のために刺してきたキルト作品が、思い出とともに紹介されている。息子たちの成長がわかる作品や、笑顔で針を持つ姿もある。20万5千部と、手芸関連本では異例の大ヒットを記録中だ。
その裏表紙に、さりげなく刻まれたひと言がある。
「物語は続いていく。」
時代を経ても、揺るがぬ生き方は変わらない。そう語りかけているようだ。(権敬淑)
■本の内容 引退前の約4カ月で書いた自叙伝。それまでの自分の「終決」として、婚外子という出生や父との軋轢(あつれき)、性、結婚、引退への思いなどを率直につづった。単行本では「今、蒼い時…」と題したあとがきが特製原稿用紙15枚の直筆で掲載された。」(2019/12/18付「朝日新聞」夕刊p3より)
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コメント
プロデュ-サ-の残間里江子さんがアプロ-チして出版が実現されたベストセラ-。執筆期間は引退記念映画「古都」の撮影と重なり、時には撮影所、又は楽屋、宿泊先などで、ほとんど徹夜の状態で執筆されていたそうです。
私は当時高校生でした。本を読んで、それまでは、テレビなどでしか見ることができなかった百恵さんが、とても近いところにいるような親近感を感じました。
【エムズの片割れより】
自分の世代では、彼女はまだまだ生きています。
ハイレゾで年代を追って聞いていると、その歌唱力の向上は、大変なものがありますね。
投稿: 恵一 | 2017年10月 3日 (火) 12:42