映画「シン・ゴジラ」を見る
今日はカミさんと、映画「シン・ゴジラ」を見てきた。
この映画は、前からウワサでは聞いていたが、わざわざ映画館に行く気にはなっていなかった。しかし、先日、読売新聞の記事を読んで、俄然行って見る気になった。その記事というのがこれ・・・
「[地球を読む]非常時の危機対応 ゴジラにどう立ち向かう
青山学院大学特任教授 御厨 貴
「この国はまだまだやれる」。映画「シン・ゴジラ」の中で、ゴジラ対策の任を負った官邸の政治家・矢口蘭堂のセリフに、ホッとした。今、社会現象となった話題の映画「シン・ゴジラ」はお子様向け娯楽映画ではなく、大人の鑑賞に堪える、いや大人向けの政治映画である。スクリーンに2時間くぎ付けとなること間違いなしだ。 始まってすぐ、これは3・11東日本大震災と福島原発事故、そして日米安全保障条約が絡んだ物語だと誰しも分かる。この5年間を経験した日本人につきつけられた「非常時にどう立ち向かうか」の問いに、見る者は待ったなしの感覚を持たされる。これ、考えないようにしてきたなと。
コトが起きても案の定、政治は何も決められない。そもそも突然、東京湾に出現した“巨大不明生物”の存在を認めるか否かで、政治はあたふたするのだ。何も決められない、様子見だ! いつものことながら。
政治決定のトライアングル―政治家・有識者・官邸―は、混乱の極みに陥る。中でも緊急時にトンチンカンな回答しか出せぬ有識者の役立たずぶりが、徹底的にカリカチュアライズされる。多くの政治家たちは、閣議や対策本部で無意味な感慨の吐露に終始する。しかし“決定権”を握る政治家は、いやが応でも現実と対峙たいじせざるをえない。
そこで“不作為の均衡”を打破するのが、長谷川博己演ずる若き政務の官房副長官矢口蘭堂である。物語はそこから猛烈なスピード感をもって始まる。
本来管轄が多岐にわたる複合課題は、まずは官僚体制内部の調整に手間取る。“不作為の均衡”が破られたからと言って、それはすぐには変わらない。
各省庁のタテワリのかべは、ゴジラといえども破壊できぬ強さを誇るが、“外圧”への危機対応が進む中、一気に「決断力」が見えてくる。
そのための人材集結がまた示唆的だ。政治家―官僚システムから疎外され除外された異端者、変わり者たちが各界から呼び出される。彼らは自分のオタク的興味でもってコトにあたる。あたかもゲームを楽しむかのように。そこに国家は意識されない。
さらにここでは肩書と上下関係は無用だ。人材は育てられるものではない。その社会がどれだけ異端者を抱え込むゆとりを持っているか否か、そのノリシロの大きさこそが必要なのだと分かる。
登場人物のセリフの言い回しは早いし、場面転換もめまぐるしい。その中でネマワシにこだわる官僚の自嘲的発言や行動様式がマメに描かれていく。このディテールの積み重ねが、デジャブのように3・11直後の日本を記憶から呼びさます。第2次世界大戦後を長く規定した「戦後」を脱して、「災後」の時代が到来したことを再確認できる。
“共存”する「災後」体制へ
ゴジラは成長する。凶暴化するゴジラへの対応の中で、実は政治家や官僚も成長する。矢口蘭堂はもとより、他の政治家たちも危機に臨んで成長する。そこに「危機の政治過程」が成立するのだ。
「この国も捨てたもんじゃない」。それは絶望の中で未来を託された政治家の発言だ。「スクラップ・アンド・ビルドでこの国はこれまでも復興してきた」の一語も泣かせる。これは、ベテランの上司たちを想定外のビーム乱射で一挙に失うという、危機に直面した若き政治家たちの成長譚たんに他ならない。ゴジラの成長に伴い、政治家として成長する矢口蘭堂には男の色気が漂う。
コトナカレ主義者も変わる。偶然の継承順位で首相臨時代理を命ぜられた政治家は、自他ともに無能とされた人物。その彼が何も出来ぬという自覚故に、あたかも下克上的要求に対し愚直に「決定」をくり返す様は、政策決定機構が極端なまでにそぎ落とされた場合、アイロニカルだが意外に有効かもしれぬと感じられた。もっとも旧陸軍的下克上と化す危険性を常に伴うものでもあるのだが。
アメリカでは大統領継承順位がネタになることが多い。しかしここで首相の継承順位がはっきりと描かれたのは興味深い。偶然のなせるワザで5位まで決まっているのだが、それも皆死んだらどうするのかとの問題提起的発言。これはけっこうシビアな現実的な問いかけではないか。
シビアと言えば、日米安保体制もそうだ。アメリカは日本にとって本当の友人であるのかどうか。
ゴジラ攻撃でも米軍はあくまでもアメリカの安全を第一に見すえている。だからゴジラが世界規模の原子力拡散の脅威になった時、アメリカは「目には目を」の先制攻撃の方針を躊躇ちゅうちょなく決める。
日本はこの決定を受け入れざるをえない。究極の日米関係がここには冷徹に描かれている。
他方、矢口たちは独自の対ゴジラ作戦を進める。だがそれは成功したのか否か。結局ゴジラの再活性化を防ぎつつも、日本人はゴジラと“共存”せねばならぬ運命を背負うことになるからだ。
好ましからざる“共存”は、原子力発電所と、日本人との緊張関係をそれとなく示唆する。復興の長いプロセスの中で、ゴジラとどう“共存”したらよいか。政治はそれこそ今度は時間をかけてその問いに答えねばならない。
ゴジラを語る会、ゴジラを語るブログ、暑い夏をさらに熱くするゴジラ語りの登場であった。しかも3・11から5年、はしなくも春に熊本震災が、そして今夏は日本列島をたび重なる自然災害が襲った。風水害の光景が目に映じるたびに、人はすぐさまゴジラを思い起こす。「戦後か」「災後か」をずっと考えてきた者にとって、ゴジラの常態化が示唆するものは大きい。
そこでやはり「災後」の観念は広がっていく。
実は「戦後」も近代史の中でいくたびか存在した。確かに、日清「戦後」、日露「戦後」、第1次世界大「戦後」、とそれは10年ごとに日本に訪れている。そのたびに「戦後体制」が形作られたのだ。そして最大にしておそらく最後の「戦後」が、あの戦争の終戦を機に始まった。今や71年である。
この「戦後」のアナロジーを「災後」に適用できぬわけがない。関東大震「災後」、阪神・淡路大震「災後」、東日本大震「災後」、そして熊本震「災後」と来る。東京の場合は、関東大震「災後」から20年たって東京大空襲戦「災後」に結びつく。そう、ゴジラはかつて2度東京を襲ったのだ。自然災害そして戦時災害としてだ。
ゴジラはいつかやってくる。地震を中心とする自然災害から、今や免れることの出来ぬ日本に、もっと思いを致さねばならぬ。「防災体制」そして「災後体制」を考慮に入れて、政治は進んでいくことになろう。
災害をすべて予防し克服することはありえない。だとしたら、ゴジラと“共存”する体制を政治はめざすことになる。
そのためには、「あきらめず最後までこの国を見すてずにやろう」。映画が訴えた不退転のメッセージにうなずく以外になかろう。」(2016/09/18付「読売新聞」p1より)
今日は平日なので、空いているとは思っていたが、10分前に入ったら誰も居ない。貸し切りかと思ったら、20人ほど入ってきた。残念!? まあ封切りから既に2ヶ月。とっくに旬を過ぎた映画だが、まだ一日に3回上映していた。
最初から三谷幸喜なみのウィット。政治家の動きが実にありそうで、コミカル。そして最初にゴジラの顔を見せた時は、そのコミカルな風貌に、この映画はパロディーか?と思ったほど。 “想定外”の異常事態での政治家のアタフタとする様子、そしてアメリカからの、まさに属国としての扱いは、日本の将来の姿を予見する。
最初、巨大不明生物を評して、“有識者”曰く。
「この動き。基本は蛇行ですが、補助として歩行も混じっていますね。エラらしき形状から水棲生物と仮定しても、肺魚の様な存在が推測で出来ます」
この“有識者”の無能ぶりが、今の社会でも、もてはやされている“有識者”を揶揄していて愉快。
最初にゴジラが姿を現した時の、“赤ちゃん”ゴジラの風貌には声を挙げて笑ってしまった。これからどうなるのだろうと心配しながら!?
自衛隊の出動の、「害虫駆除」という名目も愉快だし、海洋投棄された放射性廃棄物をエサに?進化したという想定も愉快。血液凝固剤の“経口投与”によってゴジラを“凍結”させるという最後の手段も奇想天外なら、その風景も福島原発の事故対応を連想させ、まさにパロディー。
その反面、アメリカを中心とする国連安保理が、都心のゴジラへの核攻撃を決議し、日本はそれに追従・・というのも、ブラックユーモア!?
ふと腕時計を見たら、上映時間の終わりまで残り10数分・・・。すると大規模な反撃。“無人在来線爆弾”が走ったと思ったら、ゴジラ近くのビルを倒してゴジラを攻撃。ビル群がリアルだったので、自分たちが今住んでいるマンションを利用された?人も多かったのでは!?
まま、ともあれ大規模なCG映画だった。ここまでダイナミックな音響と画面は、やはり家庭のテレビでは味わえない。
見終わったカミさんの評価も、好評。奢った甲斐があった!?
そして、映画の最後に延々と流されるスタッフの大規模さにも圧倒される。政府や自衛隊を初め、あらゆる組織名が延々と続く。非常に大規模な映画だという事が分かる。
なるほど・・「社会現象」という表現も分かる・・・
まあ日本も、これだけ政府を茶化しても協力が得られるので、まだまだ自由なのかも知れないな・・・と妙に感心した映画であった。
久しぶりに映画館に行って見た中では「◎」であった。楽しめた。
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コメント
エムズの片割れ様、こんにちは。S23 生まれのじいさんです。
映画は好きなのですが、福島原発から60キロのこの地では快適な映画館が近くにないので、ほとんどは家で見ます。今見たいのは「君の名は」。小説は繰り返し読んで、イメージが頭にできあがってしまったので映画を見るのがちょっと怖い状態です。早く貸し出しにならないかと待っています(なってるのかな?)。シン・ゴジラは名前だけでやや子供向けの印象があり、積極的に見ようとの思いはありませんでした。風評被害みたいなものです。でもエムズの片割れ様の記事をよみ、これはすぐに見なくては、となりました。ありがとうございます。これからもいい記事を楽しみにしております。
【エムズの片割れより】
シン・ゴジラは3/22にレンタル開始らしいですね。
案の定、色々な賞を取りました。一見の価値はあるも・・・
エール?をありがとうございました。
投稿: 斉藤 博 | 2017年3月14日 (火) 14:15