矢部宏治(著)「日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか」を読んで
先日(2016/09/04)の朝日新聞の書評欄に、矢部宏治(著)「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」が紹介されていた。この本については、1年ほど前、幾つか記事を書 いたが、その記事の中に「矢部氏の近著「日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか」も3刷3万7千部と支持を得ている。」という記述があり、読んでみる気になった。
昨日、通販から届き、数時間で一気に読んだのだが、前著に比べて、“自分にとっては難解”だった。前著は、なるほど・・・と思いながら、スッと入ったのだが、今回は、悪戦苦闘!?
文中にも「ぜひがんばって読んでみてください。」(p225)という励ましがあるほど!?
この本は、前著同様、記録による検証が主。著者の思い込みではない。しかし、外交とは何と難しいものか。それを、米国の公開資料を読み解いて、日本の当時の外交が明らかにされて行く。
もう一度、ページをめくりながら“復習”して、自分が気になったところをメモしてみた。
「東京、神奈川、埼玉、栃木、群馬、新潟、山梨、長野、静岡の一都八県の上空をカバーす る広大な空間が、実は完全に米軍の支配下にあり、日本の民間航空機はそこを飛ぶことができない。この巨大な空域は、東京郊外にある米軍・横田基地によって管理されているため、「横田空域」とよばれています。」(p18)
「ですから軍用機で日本上空まで飛んできた米軍やアメリカ政府の関係者たちは、この空域をとおって、日本の政府がまったく知らないうちに横田基地や横須賀基地などに着陸し、そのままフェンスの外に出ることができるのです。」(p21)
「そこでかれらは軍用ヘリでババババッと、いっきに飛んでくるわけです。これだと首都圏の基地から都心まで、20分くらいしか、かかりません。しかし都心には飛行場がない。では、そうしたヘリはどこに着陸するのか。 左ページの写真を見てください。そうしたヘリが着陸できる米軍基地が都心にある。なんと都心中の都心である、六本木にあるんです。ですから横田空域をとおって、まったくのノーチェックで日本に入国した米軍関係者やアメリカ政府関係者が、そこからヘリに乗って、たった20分で東京の中心部までやってくることができるわけです。」(p26)
「日米合同委員会というのは、基本的には日本に駐留する米軍や米基地など、軍事関係の問題について日米で協議するための機関なんです。でも、アメリカは日本中に基地をおいていて、さらにはこのあと説明するように、実は日本国内のどんな場所でも基地にできる法的な権利をもっている。」
「たとえば、1953年9月29日に日米合同委員会で合意した、次の取り決めを見てくださ
い。
「日本の当局は(中略)所在地のいかんを問わず〔=場所がどこであろうと〕合衆国軍隊の財産について、捜索、差し押さえまたは、検証をおこなう権利を行使しない」(p32)
「つまりそれが意味する現実は、たとえば在日米軍の軍用機が墜落したり、移動中の車両が事故を起こした場合、たとえそれがどんな場所であっても米軍が現場を封鎖して、日本の警察や消防や関係者を立ち入らせない法的権利をもっているということだからです。」(p34)
「つまり、この日米合同委員会というシステムがきわめて異常なのは、日本の超エリート官僚が、アメリカの外務官僚や大使館員ではなく、在日米軍のエリート軍人と直接協議するシステムになっているというところなのです。」(p37)
「安保関連法の成立によって、「指揮権密約」のもつ意味が大きく変化した
そのため日本は、実際にはこれまで、さまざまなかたちでアメリカの戦争に協力してきたのですが、自分たちが国外へ出て戦うことだけは拒否することを許されてきた。だからいままで「指揮権密約」、つまり「米軍が日本の軍隊を自由に指揮するための密約」については、ほとんど議論されることがなかったのです。
たとえ「戦争になったら、米軍の指揮下に入る」という密約があったとしても、それが国内だけの話なら、専守防衛という日本の方針とそれほど矛盾はないじゃないか。長らくそう考えられてきたからです。
ところが安倍政権が成立させた昨年(2015年)の安保関連法によって、状況は一変してしまいました。もしこの「指揮権密約」をのこしたまま、日本が海外で軍事行動をおこなうようになると、「自衛隊が日本の防衛とはまったく関係のない場所で、米軍の指示のもと、危険な軍事行動に従事させられる可能性」や、「日本が自分でなにも決断しないうちに、戦争の当事国となる可能性」が、飛躍的に高まってしまうからです。」(p56)
「そして、たとえひとりでも自衛隊に友人がいるかたは、現在の日本の自衛隊が、「戦争になったら、米軍の指揮下にはいる」というような、なまやさしい状態ではないことは、よくど存じだと思います。
そもそも現在の自衛隊には、独自の攻撃力があたえられておらず、哨戒機やイージス艦、掃海艇などの防御を中心とした編成しかされていない。「盾と矛」の関係といえば聞こえはいいが、けっして冗談ではなく、自衛隊がまもっているのは日本の国土ではなく、「在日米軍と米軍基地」だ。それが自衛隊の現実の任務だと、かれらはいうのです。
しかも自衛隊がつかっている兵器は、ほぼすべてアメリカ製で、コンピューター制御のものは、データも暗号もGPSもすべて米軍とリンクされている。「戦争になったら、米軍の指揮下にはいる」のではなく、「最初から米軍の指揮下でしか動けない」「アメリカと敵対関係になったら、もうなにもできない」
もともとそのように設計されているのだというのです。」(p125)
「1950年10月27日に米軍(国防省)がつくった旧安保条約の原案です。・・・
②「戦争または差しせまった戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、すべての日本の軍隊は、沿岸警備隊をふくめて、アメリカ政府によって任命された最高司令官の統一指揮権のもとにおかれる」
③「日本軍が創設された場合、沿岸警備隊をふくむそのすべての組織は、日本国外で戦闘行動をおこなうことはできない。ただし、前記の〔アメリカ政府が任命した〕最高司令官の指揮による場合はその例外とする」・・・
「アメリカ政府の決定に完全に従属する軍隊」という表現もおどろきですが、「国外では戦争できないが、米軍司令官の指揮による場合はその例外とする」という条文もおどろきです。
そしてなによりのおどろきは、いままさに日本の自衛隊は、66年前にアメリカの軍部が書いた、この旧安保条約の原案のとおりになりつつあるということなのです。」(p127)
「砂川裁判・最高裁判決
砂川とは当時、米軍立川基地(東京)のあった場所の名です。
1957年7月、この米軍立川基地の拡張工事をめぐって、反対派のデモ隊が基地の敷地内に数メートル人ったことを理由に、刑事特別法(在日米軍に関する問題について、特別の罰則や刑事手続を定めた法律)違反で23人が逮捕、うち7人が起訴されました。
1959年3月30日、この事件の一審判決で東京地裁の伊達秋雄裁判長は、在日米軍は憲法9条2項でもたないことを定めた「戦力」に該当するため、その駐留を認めることは憲法違反である。したがって、在日米軍に対して特別な法的保護をあたえる刑事特別法に合理的な根拠はないとして、被告全員を無罪としました。在日米軍を真正面から「憲法違反」であるとしたこの判決が、その後の60年安保や70年安保の原点にもなったとされる、有名な「伊達判決」です。
ところがその後、アメリカ側の工作によってこの判決は同年12月16日に最高裁でくつがえされてしまうのです。その理由は、翌年に予定されていた安保改定に影響が出ることをおそれたマッカーサー駐日大使が、判決の年内破棄をめざしてはげしい政治工作を展開したからでした。
まず一審判決が出た翌日、マッカーサー大使はすぐに藤山外務大臣を呼び出して、裁判の期間を短縮させるため、東京高裁を飛び越えて直接、最高裁に上告するように指示します。
さらにその後は、田中耕太郎・最高裁長官と情報交換をしながら裁判をコントロールし、同年12月16日に計画どおり、最高裁で一審判決を破棄させたのです。
このとき最高裁判決のなかで示された、『国家の存立にかかわるような高度の政治性をもつ問題については、裁判所は憲法判断ができない』(「日本版・統治行為論」)という判例によって、以後、日本政府がいくら重大な違憲行為をおこなっても、国民が裁判によってそれをストップさせることが不可能となり、日本国憲法は事実上、その機能を停止してしまうことになったのです。
ですから現在の日本では、権力側か腹をくくれば、国民の人権は一瞬で「合法的に」うばいとられてしまう。沖縄で、福島で、そしていま安保関連法をきっかけに日本全体で起こりつつある憲法破壊の根源が、この駐日アメリカ大使の工作によって出された最高裁判決にあるのです。」(p274)
「この判決は、大きくわけて、つぎのふたつのことをのべています。
①米軍の国内駐留は合憲である。(「米軍駐留合憲論」第2項~7項)
②安保条約のような「わが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性をもつ問題」 については、それが「一見きわめて明白に違憲であるもの」以外は、裁判所は憲法判断ができない。(「日本版・統治行為論」8項~9項)」(p276)
「再定義された日本国憲法
そういう視点から読みなおしてみると、先ほどスルーしそうになった①の「米軍駐留合憲論」(要旨の第2項~7項)の部分でも、「日本には自国を防衛する権利がある」(第4・5項)
「その自衛の方法は国連安保理の軍事行動だけに限られてはいない」(第6項)
「憲法9条は、日本が過去の軍国主義を反省し、日本政府が再び戦争を引き起こさないために制定されたものである」(第2項)
「したがって9条2項で保持を禁じられている『戦力』とは、日本が指揮権と管理権をもって再び侵略戦争を引き起こすような軍事力ということである」(第3項)
・・・
この定義にしたがえば、自衛隊がたとえ核兵器をもっても、海外へ派兵されても、指揮権が米軍にあるかぎりは違憲ではないということになるからです。」(p283)
「3人の最高裁判事の予言
そしてそうした日本国憲法の再定義、フルモデルチェンジという大きな戦略のために、本来この裁判にはまったく不必要だったにもかかわらず、わざわざ判決にとり入れられたのが「日本版・統治行為論」でした。
それが具体的に、どのような役割をはたすためにつくられた「法理」だったかは、判決の「全文」のなかに、すでにあらわれています。
というのはこの砂川裁判・最高裁判決では、①の「米軍駐留合憲論」については15人の裁判官全員が同意していたのに対し、②の「日本版・統治行為論」については、3人の裁判官が左のように重大な異議をとなえていたのです。(以下、要約)
○奥野健一(元大審院判事 参議院法制局長)と高橋潔(第一東京弁護士会所属弁護士)の「意見」
「[もし条約について憲法判断ができないとすれば]他国とのあいだで憲法に違反する条約を結ぶことにより。憲法改正の手続きをとることなく、容易に憲法を改正するのと同じ結果が得られるようになり、はなはだしく不当なことになる。」
○小谷勝重(元大阪弁護士会・会長)の「意見」
「〔もし条約について憲法判断ができないとすれば〕憲法96条の定める国民の承認による改正手続によらず、条約〔の締結〕によって憲法改正と同じ目的を達成できることになり、理論上、三権分立の原則をそこね、基本的人権の保障に反する変更もできることになる。日本国憲法は、はたしてこのような結論を認めているのだろうか」
この3人の言葉を聞いて、なにか思いあたることはないでしょうか。
「政府が憲法違反の条約を勝手にむすぶことで、正規の手続きをへることなく、実質的な憲法改正をおこなうことが可能になる」
そうです。まさにこれこそが、昨年の安保法案の審議において、私たちの目の前でおこった出来事だったのです。
57年前に3人の最高裁判事が予言したとおり、この最高裁判決が下されたあと日本では、たとえば「日米安全保障協議委員会」で日米の外務・防衛担当4大臣が協定をむすんでしまえば、国民の意思に関係なく実質的な憲法改正をおこなって、三権分立の原則を無視することも、基本的人権を弾圧することも、自由にできるようになっているのです。」(p285)
「私たちはなぜ、このような光景を目にしなければならないのか
昨年(2015年)9月に成立した安保関連法と、その採決をめぐる大混乱は、そうした日本社会にひそむ「ウラの掟」の存在を、だれの目にもみえるかたちであきらかにしたものでした。「日米安全保障協議委員会」でアメリカとの軍事上の取り決めがすでにむすばれている以上、日本政府にとって、国会の審議も、憲法をめぐる議論も、デモによって示された国民の民意も、本質的にはほとんど意味をもたなかった。それらはどんな異常な手を使ってでも、無視し、乗りこえるべき対象でしかなかったのです。
その象徴が、法案成立の2日前(2015年9月17日)、参議院特別委員会でおこなわれた強行採決時の、「人間かまくら」とよばれるあまりにも異様な光景でした。
このとき委員会のメンバーではない多数の議員や議員秘書などが議場に乱入し、委員長席を立体的にとりかこむかたちでドーム状のバリアをつくって、法案に反対する野党議員の接近をブロックしたのです。 これは当日の午前から練習をくり返していた予定の行動で、強行採決の指揮をとった自衛隊出身の佐藤正久議員が、母校の防衛大学校の恒例行事である「棒倒し」からヒントを得て、内側に背の高い人物、外側に太った人物を配置し、円錐状の鉄壁のバリアをつくったのだそうです。
写真をみればわかるように、「人間かまくら」のなかにはほとんど光がさしこまないので、前もって委員長の手元をてらすためのペンライトまで用意したものの、結局大混乱のなか、採決を求める声は聞きとれず、速記録には「議場騒然」「聴取不能」と記載されただけでした。
ところがおどろいたことに、その後公開された議事録には、まったくの虚偽である「議事経過」という文章が捏造されて書きくわえられており、法案は正常な手続きのもとで採決されたことになっていたのです!」(p286)
「「日本はなぜ、基地を止められないのか」
「日本はなぜ、原発と被曝を止められないのか」
「日本はなぜ、戦争を止められないのか」
これらの問題は、すべてひとつの大きな構造のなかにあり、同じ原因によって生みだされたものです。そしてその大きな構造の根幹に横だわっているのが、まだ占領下にあった時代のアメリカへの戦争協力体制が、66年後のいまも法的に継続しつづけているという、「戦後日本」の歪んだ国のかたちなのです。」(p288)
「占領下の戦時体制だけは、さすがにもうやめさせてほしい」といえばいい
もっとも、私は今回、日本のこうした歪んだ現状が、「占領体制の継続」ではなく、「占領下の戦時体制(=戦争協力体制)の継続」なのだとはっきりわかったことで、逆にかなり明るい気もちになりました。
「なんだ、結局占領中の朝鮮戦争への協力体制が、だまされてつづいてきただけなのか。手品のタネは、わかってみれば、案外単純な話だったんだな」と、ストンと胸に落ちるようになったからです。
あとはこの事実を多くの日本人が知り、怒り、きちんとした政権をつくって、「占領下で始まった戦争協力体制だけは、さすがにもうやめさせてほしい」と、アメリカに対して主張すればいいだけなのではないか。
ここまで不平等な条約の実態について、国民の認識が深まったとき、 「いや、ダメだ。このシステムは永遠につづけるのだ」といえるアメリカの外交官が、はたしているだろうか。「それでも日米関係は、いまのままが一番いいのだ」といえる日本の政治家がはたしているだろうか。そう思えるようになったのです。」(p289)
異常に長いメモになってしまった。
本書は、大部分を旧安保条約の検証に充てられている。もちろん自分は読んだことがない。こんな難しい条約は、読んでも分からない。
しかし、それに関する日米の密約が、今起きている事のスタートだという。
単に安倍首相だけが旗を振って動いているのではないのだという。66年前から続く色々な密約が、とても独立国とは言えないほどに日本を縛っており、それを直そうとはしない歴代の政権。
何よりも、「知らない」ことの恐ろしさ・・・。
本書の冒頭にあるように、鳩山元首相が、前著を「あなたが矢部さんですか。すごい本を書きましたね。私はこの問題(日米合同委員会などの軍事上の密約を生み出す法的構造)について、ぜんぜん知りませんでした」と評したごとく、日常的に密約を生み出している日米関係について、まず国民が知る努力が必要なのだ。
そして、まさに筆者が言う「あとはこの事実を多くの日本人が知り、怒り、きちんとした政権をつくって」しかない。
強い強い、米国に対等に渡り合え得る首相。靖国参拝で米政府から非難され、ビックリ仰天して、米にすり寄った弱い首相などではなく、米国に迎合しない首相・・・
何十年後に現れるか?
期待はできないが、期待するしかない。
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